太田述正コラム#12734(2022.5.6)
<永井和『西園寺公望–政党政治の元老』を読む(その8)>(2022.7.29公開)
「・・・松方の死は早晩避けられず、従来の「(複数元老制のもとでの)元老協議方式」はもはや維持できないと悟った西園寺は、それにかえて「(一人元老制のもとでの)元老・内大臣協議方式」への転換をはかったのであった。・・・
⇒西園寺が元老として、単数または複数の新元老の指名を摂政に「奏薦」して裁可を得さえすれば、「元老協議方式」を維持できるのですから、「もはや維持できない」はずがありません!(太田)
内大臣が後継首相候補の選定についても摂政から直接下問を受けるようになった第一次加藤高明奏薦以降を「元老・内大臣協議方式」と呼ぶならば、」それ以前の二回の内閣交代時は「非公式の元老・内大臣協議方式」と位置づけられるであろう。・・・
日本国憲法にあるような、議会が後継首相の指名を行うとの明文規定をもたないイギリスにおいては、議会の有力政党の首領である首相が、みずからの辞職にあたって国王に別の人物を後継首相として推薦する慣行が行われている。
歴史的に見れば、この「首相指名方式」が確立・定着していく過程と、二代政党制に基づく議院内閣制の定着・発展過程とは相互に関連しあっていた。・・・
⇒たまたま英型議院内閣制はそういう沿革で確立したということであって、英国でも、1923年には、労働、保守、自由、という三党が鼎立する状況下、相対的第一党となった労働党の最初の内閣が成立しており、
https://en.wikipedia.org/wiki/Labour_Party_(UK)
西園寺らが、憲政の常道を二党並立状況だけを念頭に構想していた、とは言えないでしょうね。(太田)
「元老協議方式」や「元老・内大臣協議方式」さらには「元老・重臣協議方式」のような、やめていく首相以外の者が後継首相の奏薦を行っているかぎりは、いかに政党内閣の慣行が行われていようとも、イギリス型の議会主義的立憲君主制と同じ体制になったとはいえない。
それは、統帥権の独立が認められているかぎり、イギリス型立憲君主制になったとはいえないのと同じである。
⇒英国には憲法はない・・というのが私の見解(コラム#省略)・・なので、私はイギリス型立憲君主制ではなく、英(イギリス)型議院内閣制という言葉を用いている次第ですが、このイギリス型立憲君主制も、当時の少し前の第一次世界大戦中に初めて挙国一致内閣を(2回にわたって)組織していること一つとっても、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%99%E5%9B%BD%E4%B8%80%E8%87%B4%E5%86%85%E9%96%A3
決して永久不変のものではなく、いずれにせよ、英国の政体が、極めて特殊と言って良い、議会主権制(注12)、に立脚している(コラム#省略)ことからも、それが政体の理念型として、模範として、日本等から仰ぎ見られるべきものではありますまい。
(注12)「立法府は絶対的な主権を持ち、そして立法府は、司法機関を含む他のすべての政府機関よりも上位とされ<。>・・・憲法<的な法や慣習>にも束縛されない。・・・<英国>、ニュージーランド、・・・フィンランド、オランダ、スウェーデンなどが議会主権とされる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E6%A8%A9
従って、英国の政体を理念型ないし模範とするかのような永井のこのくだりには、違和感を覚えます。(太田)
平田は・・・西園寺が健在のあいだは、後継首相の奏薦は西園寺が元老として一人で責任をおう体制(=「一人元老性」)を将来も維持すべきであり、人材不足ゆえに元老は西園寺を最後に、あとは自然消滅にまかす、それもまたやまをえぬというものであった。・・・」(38~39、42、44、51)
⇒このくだりの典拠を知りたいところですが、「人材不足」などという話は「最近の若い者は」と同じような意味でナンセンスであるところ、要は、平田は、「1912年・・・12月<、>・・・第2次西園寺内閣の総辞職を受け、元老会議で後継首相に推されるが、辞退」した
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E6%9D%B1%E5%8A%A9
時点までに、山縣有朋から、爾後元老は基本的に増やさないこととし、近い将来、西園寺を元老へと奏上して裁可を得たいと思っている・・実際、山縣は1916年10月に奏上し大正天皇の裁可を得ている・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%9C%92%E5%AF%BA%E5%85%AC%E6%9C%9B
が、それで打ち止めにするので、推されても君は元老になるのは遠慮してもらいたい、と、申し渡されていた、と、私は見ています。(太田)
(続く)