太田述正コラム#1614(2007.1.11)
<日本・米国・戦争(その6)>

 (本扁は、コラム#1609の続きであり、情報屋台(
http://www.johoyatai.com
)のコラムを兼ねています。)

 朝河は、セオドア・ローズベルト(Theodore Roosevelt, Jr.。1858??1919年)米大統領(1901??09年)による日露戦争調停の目的を、様々な典拠をもとに、次のように述べています。日露戦争当時の米国は日本に好意的であったという説がいまだに有力ですが、この説は誤りなのです。

 「戦争もし継続せば露國はすでに失えるところに加えて、太平洋沿岸の東亜領地をことごとく失うに至るべきを疑わず・・・これ・・・<セオドア>ローズヴェルト氏が・・・最も重要視せし事情にして、露国に談判の開始を勧めしもこれにより、また・・・露国に調停を勧めしもまたこれによれり。」(189頁)
「・・・ローズヴェルト氏は実に日本が大帝国を建設し得べき千載一遇の好機を奪い去りたるものなり。・・・<これは、日清戦争後の独仏露による>三国・・・干渉が日本より奪い去りたるところを十倍二十倍するも及ばざるべし・・・」(193頁)

 当然次のような疑問が生じます。ローズベルトはどうして侵略的で反自由・民主主義的なロシアの肩を持ったのかと。

 「そもそも露国は侵略主義と閉鎖主義との実行家と見做され、日本はこれに正反対の原則を標榜したるは、世の皆知るところなるにもかかわらず、正義進歩の側に立つ日本の勝利の継続せんことをローズヴェルト氏が妨げたるは、これ何故なりや。」(192頁)

 朝河は次の三つの可能性を列挙します。

 「日本が優勢に乗じて前年の公正なる宣言を忘れ、政治上経済上非違の行為に出でて、東洋の進歩幸福を妨ぐる至らんことを恐れしか。はたいわゆる黄色人種たり異教国民たり異種文明の発達者たりし日本が東洋に雄視せば、欧米人種、宗教、および文明の利害のこれがために大いに影響せられんことを憂えしか。あるいは日本の東洋および太平洋上における勢力大いに増進して、米国が人類進歩に関する天職として、自ら任ぜる大業のこれに妨げられんことを悲しみしか、・・・主として右の三理の何れかによりしものなるべきを察せんと欲するなり。この理由の正否は吾人の知るところにあらず。」(192??193頁)

 朝河は、このうちどれが正解かはあえて述べていませんが、二番目・・米国で澎湃と沸き上がった黄禍論・・が正解であることは、朝河自身が記しているところ(下掲)から自ずと明らかです。

 「<日露>戦後わずかに三年の今日、米国における日本黄禍論はすでに一部の人士より拡がりて、ほとんど国内の上下に普及し・・・たり」(152頁)
 「ローズヴェルト氏<は>・・・海軍兵学校の教官に対して述べたる演説・・・の中<で>米国は移民を許しまたは拒むの権利を有するがゆえに、この権利を遂行するに足る海軍力なかるべからず、といえり。これもとより日本に対して云いたるにあらざるべきも、近頃日本移民問題の喧しかりしを思えば、この演説を読む米国民はローズヴェルト氏の心事を誤解して、その海軍増加の一理は日本移民排斥の実を挙げんがためなるべしと結論するもあらん。また氏はかくのごとき誤解をも予測してこれをも利用せしならんと推測する人もあるべし。氏はこの他の場合においても、将来日本と海上に衝突することなきにならざるべきを暗示して、米国海軍強大の必要を説くの便を計りたること絶えてこれなしというべからずと論ずる人またあり。」(199??200頁)
 「ローズヴェルト氏が<1907年に>大西洋艦隊をして太平洋上に巡航せしめたるはいかなる意味ありや。・・・そのたまたま日本移民問題と前後して行われたるがゆえに、主として日本に対する示威運動なるがごとく解かれしも無理ならず。・・・余の察するところ、この派遣は海軍増設と同一の動機に出でたるもの・・・」(201??202頁)

 しかも朝河は、次のように、米国における日本移民排斥主義、ひいては黄禍論の猖獗に理解を示しています。
エール大学教授として事実上米国市民になっていた朝河の本性がここに見え隠れしています。

 「ローズヴェルト氏の日本労働排斥主義は米国経世家当然の態度として観るべき事情なきにあらず。・・・日本移民の来るままに放任せば、啻に米国の国難の増加すべきのみならず、日米国際の関係上日本の感情利益を害する重大なるは、労働排斥とは日を同じくして語るべからざるところならん。」(198??199頁)

 当時の朝河には知る由もありませんでしたが、ローズベルトは、1897年にマッキンレー米大統領によって海軍副長官(Assistant Secretary of the Navy)に任ぜられると、米国がハワイを併合しようとしていたこと、そのハワイに日本人が盛んに移民していたこと、から、日本を仮想敵国とする作戦計画・・後にオレンジ計画(War Plan Orange)と呼ばれることになった・・の策定をただちに命じた人物です(
http://history.sandiego.edu/gen/st/~pbugler/page5.htm
1月11日アクセス。なお、このの典拠は1897年を1890年と誤記する等ミスプリが多いが、参照文献を沢山挙げており、典拠として使えると判断した。)。
 また、ローズベルトは、米西戦争(1899年)の首謀者の一人であり、待望の戦争が起こると、自ら義勇騎兵連隊を組織して従軍し、中途からは彼自身がこの連隊を率いてキューバでスペイン軍相手にめざましい活躍をしました(
http://en.wikipedia.org/wiki/Theodore_Roosevelt
。1月11日アクセス)。
 米西戦争に勝利した米国は、フィリピンを、独立運動を押しつぶしまでして併合しますが、これにより、米国は否応なしに東アジアにおいて、日本と影響力を競い合う存在になるのです。

 セオドア・ローズベルトは、このように、当時の米国人の典型と言うべき人種的偏見を持った帝国主義者であったことから、自由・民主主義的価値観を共有する日本と手を携えるどころか、太平洋及び東アジアにおける米国の覇権の確立を意図して、アングロサクソンの生来的仇敵であるはずの欧州諸国や欧州の外縁たるロシアに肩入れしてでも日本を抑え込もうとしたのであり、将来の日米戦争の原因をつくった元凶であると言ってよいでしょう。
 他方英国は米国とは正反対であり、日本に対して、ドイツを始めとする欧州諸国と欧州の外縁たるロシアとを潜在敵国とする日英同盟締結を働きかけ、1902年にそれが実現します。1901年に米大統領になっていたローズベルトはさぞかし苦々しい思いであったことでしょう。
 その日本は、この日英同盟のおかげもあって、日露戦争を優勢裡に進めます。
 危機意識にかられた米国のローズベルト政権は、日本抑止戦略を発動し、その結果、東アジア勢力としてのロシアが温存されることになってしまったわけです。
 まこと、できそこないのアングロサクソンたる米国の面目躍如たるものがありますね。

(続く)