太田述正コラム#1602(2007.1.1)
<すべての歴史は現代史(その1)>

1 始めに

 イタリアの哲学者のクローチェ(Benedetto Croce。1866??1952年)は、「すべての歴史は現代史である」と主張しましたし、アイルランドの文学者であるオスカー・ワイルド(Oscar Wilde。1854??1900年)は、「われわれが歴史に負う唯一の義務はそれを書き直すことだ」と主張しました(
http://www.nytimes.com/2007/01/01/opinion/01schlesinger.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print
。1月1日アクセス)。
 しかし、過去の歴史を現代史として書き直すためには、現代が抱える様々な問題に対して問題意識を抱いていることが出発点となる、と私は思うのです。
 問題意識さえあれば、新しい史料が出てこなくても、既存の史料に新しい光を照射することで過去の歴史を書き直すことができますし、問題意識があると、往々にして新しい史料を発掘できるものであり、そうなれば、更に書き直しがはかどることになります。

2 私による歴史の再構成

 私の主要な問題意識は、アングロサクソンとの同盟関係を維持強化しつつ米国からの日本の自立を図ることであり、そのことが現在日本が世界に対して果たせる最大の貢献である、というものです。
 私のアングロサクソン論、すなわちイギリス論も、バスタード・アングロサクソン論、すなわち米国論も、このような問題意識に基づいて、それぞれイギリス史と米国史を再構成したものです。
 つまり、日本とアングロサクソンは、互いに遠く離れたユーラシア大陸の両縁辺で全く異なる歴史を歩み、文明も全く異にしているにもかからず、奇跡的にも基本的な価値観を共有していて、しかもその価値観はこれまた不思議なことに時代を超えた普遍性を有している、というところまで遡って、日本がかつては英国、現在は米国というアングロサクソンと同盟関係を維持してきた意義を再確認した上で、バスタード・アングロサクソンたる米国の保護国であり続けることがいかに日本にとって危険であるだけでなく、それがいかに米国、ひいては世界に対して無責任なことであるか、を皆さんに理解していただくために、私はイギリス史と米国史の再構成を試みてきた、ということです。
 ちなみに、私の西欧(欧州)論、すなわち西欧史の再構成は、イギリス論、すなわちアングロサクソン論再構成の副産物なのであって、結果として、西欧とアングロサクソンが全く対蹠的かつ異質なものという結論が飛び出してきた、ということなのです。
 そして、その更なる副産物として、アングロサクソンと西欧とのせめぎ合いという視点での近現代史全体の再構成が可能となったのではないか、と密かに自負している次第です。

3 米国及び中共における歴史の再構成

 (1)始めに
 米国や中共でも、現在、歴史の再構成が行われています。
 米国では、国として歴史の再構成が行われているわけではありませんが、現在の米国の人々は多かれ少なかれイラクにおける苦境を最大の問題視しており、その打開を図るよすがを求めて、様々な識者が過去の歴史の再構成を図っています。
 また、中共では、何が何でも中国共産党の一党独裁を維持したいという目的意識に立脚して、中国共産党の手によって、欧米ないし日本の帝国主義から中国共産党が支那の人民を解放した、という過去志向の根拠薄弱な史観から、中華帝国の最大版図たる清の版図を回復できるのは中国共産党だけである、という未来志向のはた迷惑な史観への切り替えが進行しています。
 
 (2)米国
  ア 始めに
 ロサンゼルスタイムスが先月末に、シーザー・フラグ(ジンギスカンの孫)・ワシントン・リンカーンという4人の事跡を再構成することによって、米国のイラクでの苦境を打開するよすがとしているので、ご紹介しましょう。

(続く)