太田述正コラム#1649(2007.2.6)
<日本の新弥生時代の曙(その4)>(2007.3.11公開)
(本篇はコラム#1642の続きです。)
イスラム世界は、サハラ以南のアフリカから北アフリカ、中東、中央アジア、南アジアから更に東南アジアまで広がっていますが、その中には多くの弱い国々更にはいくつかの破綻国家(failed states)が存在しています。
そして上記地域の国境を超えて、原理主義イスラム勢力が暗躍しているわけです。
すなわち、アフガニスタン、パキスタン、イラク、レバノン、パレスティナ、ソマリア等は領域主権を十分に確立することができず、アルカーイダのようなテロリスト集団やレバノンにおけるヒズボラ等の政党兼民兵の姿をとった集団などの原理主義イスラム勢力の跳梁を許しているのです。
(以上、
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,2002439,00.html
(1月31日アクセス)を参考にした。)
国家が、原理主義イスラム勢力と敵対せず、むしろこの勢力を取り込もうとする場合もあります。アフガニスタンのタリバン政権がアルカーイダを取り込んだのがそうです。(イランのイスラム革命は原理主義シーア派勢力が国家を乗っ取ったケースです。)
これに類することを最初にやったのが、アラビア半島の土豪であったサウド家であり、ワハブ派という原理主義イスラム勢力と提携することで、アラビア半島の統一に成功し、サウディアラビアを建国するのです。
そもそも、イスラム教は極めて保守的な宗教ですが、だからこそ、イスラム世界においては、欧米の近代的文明の挑戦を受けた時、近代を敵視する反動的な原理主義イスラム勢力が勃興したのです。
そして、原理主義イスラム勢力の中で最も過激なアルカーイダが2001年の9.11同時多発テロを決行したことを受けて、米国は英国と手を携えて、イスラム世界に法の支配や民主主義といった近代的価値観、つまりはアングロサクソン的価値観、を普及させる戦いに立ち上がり、同年、アルカーイダと結託したアフガニスタンのタリバン政権を打倒し、2003年には、大量破壊兵器の保有・開発を続けていると見られたイラクのフセイン政権を、大量破壊兵器がアルカーイダ等に流れる恐れに藉口して打倒し、現在に至っているわけです。
(以上、サウディアラビアについては、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/02/03/AR2007020301480_pf.html
(2月5日アクセス)、それ以外については、
http://www.nytimes.com/cfr/world/20070101faessay_v86n1_blair.html?pagewanted=print
(1月30日アクセス)による。)
その結果2005年には、レバノンでいわゆるレバノン杉革命(Cedar Revolution)が起こって「占領軍」たるシリア軍がレバノンから撤退に追い込まれ、イラクで何十年ぶりの「自由」な選挙が行われ、パレスティナで初めて「自由」な選挙が行われ、エジプトでもムバラク大統領統治下としては最も「自由」な選挙が行われ、イスラム世界は近代的価値観の普及に向けて顕著な進展を見せ始めたかのように思われました。
ところが現在、レバノンでは、政府に対する原理主義イスラム(シーア派)のヒズボラを中心とした勢力の示威行動によって内戦の危機が高まっていますし、イラクの惨状は説明するまでもありませんし、エジプトでは改革への動きは頓挫してしまっていますし、パレスティナでは原理主義イスラム(スンニ派)のハマスが上述した選挙で政権の座に就いてしまい、イスラム世界では法の支配や民主主義が普及するどころか暴力があちこちで蔓延するに至っており、米英は苦境に陥っています。
(以上、
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-usleb23nov23,0,2567811,print.story?coll=la-home-world、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/11/23/AR2006112300895_pf.html。(どちらも2006年11月24日アクセス)による。)
そこで、英ブレア政権が消極的であるにもかかわらず、米ブッシュ政権はシリアとイランを一層悪者に仕立て上げる一方で、米英は一致して、一歩後退二歩前進と隠忍自重し、イスラム世界の「穏健派(moderates)」の結束を図り、事態の打開を図ろうとしています。
なぜ一歩後退かというと、これは米英がイスラム世界における体制変革、ひいては近代的価値観の普及を目指す戦いを開始する以前の米英の旧対イスラム世界戦略への復帰だからです。
この対イスラム世界戦略においては、サウディアラビア・ヨルダン・エジプトは米英から見て一貫して「穏健派」の常連であり続け、エジプトは米国から巨額の軍事・経済援助を与えられ続け、サウディアラビアは米英の石油メジャーによって石油を安定的に買い上げられWTOやIMFへの加盟を認められてきたわけですが、シリアは1990年から91年にかけての湾岸戦争の時には「穏健派」とみなされたものの、その後は次第に疎んじられ、9.11同時多発テロ以降は「過激派」に転落させられ、パレスティナでは、アラファト死後、とりわけハマスの選挙での勝利以降はファタが「穏健派」に格上げされ、イランはパーレビ国王の下では「穏健派」であったのに、1979年のイスラム革命以降は「過激派(radicals)」に転落した、といった具合にめまぐるしい変遷が見られます。
しかし、「穏健派」と言っても、サウディアラビアは前述したように、原理主義イスラムを取り込んだ神政国家ですし、エジプトは事実上の終身大統領であるムバラクの独裁国家です。
ですから、このようなご都合主義の米英に対するイスラム世界の世論の反感は募る一方です。
(以上、
http://www.guardian.co.uk/usa/story/0,,2006728,00.html
(2月6日アクセス)による。)
(続く)