太田述正コラム#12866(2022.7.11)
<伊藤之雄『山県有朋–愚直な権力者の生涯』を読む(その29)>(2022.10.3公開)
「・・・山県は、権力中枢に二つの問題があると感じていた。
第一は、30代半ばになって政治権力を増した明治天皇が、条約改正や帝国議会開設について不安に思っており、山縣首相よりも伊藤博文を厚く信頼していたことだった。・・・
⇒私見では、権力中枢は山縣なのですから、単に、そんな山縣に30代半ばと40代末の2人の厄介者が駄々をこねた、ということになります。(太田)
第二の問題は、黒田内閣の次は伊藤内閣かとも言われていたのに、伊藤よりも格下と見られていた山県が組閣したことに対して、伊藤のわだかまりが残っていたことである。
そこで山県は同年春になると、首相の激職に堪えられないことを理由に、伊藤に首相になるよう求めた。
伊藤はそれが山県の真意でないことを見抜き、同意しなかった。
そこで山県は、伊藤が首相になるべきであると天皇に上奏した。
ところが天皇は山縣の真意を理解せず、その提案に同意し、5月14日に伊藤に勅語を下して組閣させようとした。
しかし伊藤は組閣に動かず、この件は終わった。
結果的に山縣内閣が継続するのを伊藤と天皇から承認された形になったが、憲法制定をへて、天皇の伊藤に対する信頼がいかに強いかを、山県は改めて思い知らされたのだった。・・・
⇒伊藤博文はもちろんのこと、明治天皇だってバカじゃないのですから、山縣がどうやら事実上の最高権力者である、ということくらいは分かるわけで、それが面白くなくて、山縣にとって代わる機会を伺っていたところの、野心ある似た者2人がつるんで共振的ヒステリーを起こした、ということでしょう。(太田)
ところで山県は、1890年(明治23)6月7日に陸軍中将から大将に昇進した。
皇族軍人以外で大将になったのは、西郷隆盛に次いで山県が2人目である。
幕末期から征韓論政変まで、西郷は山県の憧れの人だった。
西郷に並んだことで、感慨深いものがあったろう。・・・
⇒「明治10年(1877年)2月に勃発した西南戦争では、当初大久保など政府中枢は西郷が加担することはないと考えていたが、山縣は西郷が騒動に与する考えはなくとも、情誼において私学校党の徒が必ず担ぎ出すと見ていた」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%B8%A3%E6%9C%89%E6%9C%8B
という挿話が示すように、山縣は西郷のことが大久保を含む他の誰よりも良く分かっており、これは、山縣が、(西郷に恩義は感じていても、)西郷のことを憧れなどといった人の目を曇らせる要素抜きに冷静かつ客観的に観察してきた賜物でしょう。(太田)
1890年(明治23)12月6日、山県首相は施政方針演説の中で、国家の独立自営を確保するためには、国の領域としての「主権線」を守り、それの安危に密着した関係にある区域としての「利益線」(朝鮮半島のこと)を保護する必要があると論じた。
また、陸海軍の経費に「巨大の金額」をあてるのも、そのためにやむを得ない費用である、と明言した。<(注41)>・・・」(246~247)
(注41)「<既に、>1888年(明治21年)1月、・・・「軍事意見書」<の中で、>・・・山県は主権線と利益線という観念を提起している。当時のアジア情勢においてイギリスの進出とシベリア鉄道を経由するロシア帝国の脅威による不安定化が生じるという判断を示している。この情勢に対して日本はロシアと清国との危機を管理するためには朝鮮半島に注目する必要があることを論じた。山県は独自の用語法を提起し、「主権線」は国家を規定する国境を意味し、また「利益線」はこの国境から離れた地域においても国家の利益と関係する境界線を意味した。山県はこの枠組みを地政学的な分析に適用することで、日本にとっての利益線は朝鮮半島に位置づけることで、軍備拡張の必要を論じている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E6%9C%89%E6%9C%8B%E6%84%8F%E8%A6%8B%E6%9B%B8
⇒山縣は、国会、ひいては国民に対し、秀吉流日蓮主義/島津斉彬コンセンサスに基づくホンネの説明ではなく、横井小楠コンセンサスに基づくタテマエの説明を行ったわけです。
「これに対し民力休養・政費節減を主張する民党は全予算の1割に及ぶ削減案で対抗した。そのため内閣は一方で衆議院解散をほのめかし、他方で後藤、陸奥を通じて自由党土佐派を切り崩し、からくも第1議会を乗り切った。第1議会閉会直後に総辞職し、松方正義(まつかたまさよし)内閣に引き継いだ」
https://kotobank.jp/word/%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E6%9C%89%E6%9C%8B%E5%86%85%E9%96%A3-875024
のでした。(太田)
(続く)