太田述正コラム#1708(2007.3.28)
<慰安婦問題の「理論的」考察(その9)>

 今回も、本件に係る読者とのやりとりを公開します。
 なお、太田掲示板で、引き続き、情報屋台の掲示板上でのやりとりを転載しています。また、同じ掲示板上で、新人材バンクをめぐっての読者とのやりとりも行われています。ぜひご覧ください。

<バグってハニー>

>これについて、私のシロウト判断をお示ししてありますが、専門家として「正解」お答えいただければ、と思います。(コラム#1706)

 「正解」なんておこがましいですが、というか、太田さんの「シロウト判断」(コラム#1703)が「正解」じゃないですか。もう少し正確に書くと、「ある倫理命題に対して脳の単一の部位が専断的に判断を下すわけではない」ということじゃないですか。つまり、「前頭前野腹内側部はこの手の倫理命題の判定に関与はしているが、それはこの領域のみがこの手の倫理命題の判定を下すことを意味しない」ということです。だからこの領域が機能しなくなると他の領域での判断が優先されるようになってYesの比率が高まるが、それでも当該領域以外でNoの判定を下す別の領域が生き残っているので、100%答えがYesになるわけではない、ということじゃないでしょうか。

 喫煙と肺癌の例えで言えば、喫煙は確かに肺癌の主要因子ではあっても、それ以外の因子もあるわけです。家族歴とかアスベストとか粉塵とかその他の肺の疾病とか。喫煙するかどうかだけで肺癌になるかどうかが決まるわけでもないし、喫煙すれば100%肺癌になるわけでもない、ということと同じだと思います。

 太田先生が指摘した通りで、脳に限らず生物というのは冗長にできていて、ある器官やその一部が損なわれたところで、別の部位やその一部がその機能を代替するということはよくあるわけです。脳の一部が壊れただけで冷徹無比の殺人者に変貌するんだったら、人類は今までもってないですよね。

 さてここからが本題です。
 しつこくて申し訳ないですが、どうしてもこの実験のロジックを理解してほしいので繰り返しますが

>つまり、性的に未成熟な娘をオスと性交させない、というのは、前頭前野腹内側部での判断だ、ということになります。(コラム#1706)

とは言えません。もしも「娘をオスと性交させないのは前頭前野腹内側部での判断」なのであれば、当該領域が損傷すればこの判断に変化が生じるはずなのです。しかし、実際にはそうならなかった。この結果から導かれる結論は「当該領域は娘を性交させるかどうかの判断には関わっていない」ということです。さらに言うと「その判断はどうやら脳の別の部位が担っているらしい」と推定されます。一般化すれば分かりやすいかもしれないですが、この実験では倫理的価値判断を必要としない質問もあり、その場合、損傷のあるなしで答えに変化は生じませんでした。そこから導かれる結論は「前頭前野腹内側部は倫理観と無関係な判断には関わってこない」ということです。

>私は自然人類学の専門家ではないので分りませんが、おそらく追い払うのではないでしょうか。

 これは専門家に聞いてみるのが一番よいでしょう。ということで、今回は同じくネーチャーに掲載された類人猿研究の権威デ・ワール(Frans de Waal)によるOur Inner Apeという入門書の書評を紹介したいと思います。
http://www.nature.com/nature/journal/v437/n7055/full/437033a.html

 初めに断っておきますが、私は動物の行動を擬人化して人間社会に当てはめることには否定的です。後ほどデ・ワールの見解にも触れますが、それは他の動物と比べて複雑怪奇な人間の行動をあまりにも単純化しすぎますし、本能や生得的な行動がどうであろうと、ヒトにはそれに反して本人の意思で自由に行動を選択するという特権が備わっているからです。

 ちなみに日本語では一口に「サル」と言いますが、英語ではMonkey(いわゆるサル)とApe(類人猿)は大概はっきり区別して用いられます。例:Planet of the Apes→猿の惑星(あいまいな訳)。今回はそのApeに分類されるチンパンジーとボノボ(ピグミー・チンパンジー)のお話…

 チンパンジーの悪逆さをつまびらかにしたのは、ジェーン・グドール(Jane Goodall)のドキュメンタリー映画だった。彼らは殺人(殺猿?)、食人(食猿?)、さらには戦争(よく統制された、群れ同士のケンカ)までする。がっかりするのは、我々はこの種と98%もDNAを共有しているということだ。我々は殺人者として運命付けられたようなものだ。

 しかし、救いはある。それがボノボだ。ボノボはおとなしく平和的な種族で、遺伝的にはチンパンジーと同じくらい我々に近い。彼らの社会はメス優位で、エサを分け合い、子孫を残すためにオスは別のオスを押しのける必要がない。

 ボノボのセックスは破廉恥極まりない。動物ドキュメンタリーとはいえ、親は子の目を覆う必要がある。それは受胎不可能なものを含むあらゆる体位で、二頭あるいはそれ以上の間で、異性間、同性間、挨拶のため、外敵から受けた恐怖を和らげるため、エサの発見を祝うため、体を弄してそれを分けてもらうため、そして理由もなく行われる。ボノボは妊娠中のメスや未成熟な子供も性行動をとることで知られている。(以下はややグラフィカルです。要ペアレンタル・コントロール)
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/shakai-seitai/shakai/BONOBOHP/sexual.htm

 では、一体我々はチンパンジーとボノボとどちらに近いのだろうか?デ・ワールはその質問には答えてくれない。理由は三つある。

 まず、チンパンジーもボノボも我々の祖先ではないということだ。約500万年前に枝分かれしてから、彼らは我々同様進化を続けてきた。その意味で彼らは我々の父祖ではなく従兄弟に当たる。

 次に、どのような種を調べたところで、ヒトとの類似点と一緒に相違点も見つかる。つまり、あらゆる種は我々と似通っていて、そして異なっている。

 最後に、チンパンジーは野蛮な保守主義者でボノボはリベラルな平和主義者というのは単なる単純化でしかないということだ。ボノボの社会にも支配??被支配の関係はあるし、彼らは理想として平和主義を選択したのではなく、それは必要に迫られた選択にしか過ぎない。ボノボの破茶滅茶な性行動はまず第一に嬰児殺しを避けるために発達したと考えられている。チンパンジーにも互助や利他行動はあるし、太田コラム#1701で指摘されたようにヒトの同情や共感を思わせる行動をとることもある。彼らの暴力性や競争は社会の秩序を維持するために必須なのである。

 今概観したチンパンジーとボノボの行動様式に照らしてみると、特定のオスがメスを独占するチンパンジーの場合「追い払う」が、ボノボの場合は子どもも性行動をとるので「追い払わずに娘と性交させる」という可能性が高いように私は感じました。少なくともボノボの場合、父と娘婿の間で生じた緊張は暴力に発展する前に性行動によって解消されることが予測されます。つまり、問いに対する答えは「それはサル次第」という見栄えのしない、無難なものになると思います。

<太田>

>日本語では一口に「サル」と言いますが、英語ではMonkey(いわゆるサル)とApe(類人猿)は大概はっきり区別して用いられます。・・チンパンジーとボノボ<は>・・Apeに分類される

 私は、このシリーズの初めの方で、これは類人猿の話だとお断りしてある(コラム#1701)ことから、それ以降私が同じシリーズ内で用いている「サル」が類人猿の意味であることはお分かりいただけるのではないでしょうか。

 さて、ご教示いただいた話からすると、「性的に未成熟な娘をオスと性交させない」というのは、人間と(ボノボを除く)類人猿に関する、倫理的価値判断にかかわらない判断だということのようですから、感情にすらかかわらないところの、本能的判断だ、ということになるのでしょうかね。
 それならなおさら、NYタイムスの例の記者が、(「性的に未成熟な」という限定も付さずに)「娘をポルノ産業で働かせること」(=「娘をオスと性交させること」)を、

All three groups also strongly rejected doing harm to others in situations that did not involve trading one certain death for another. They would not send a daughter to work in the pornography industry to fend off crushing poverty, or kill an infant they felt they could not care for.

という具合に、「赤ん坊を殺すこと」(=「人間を殺すこと」)、と並べて、「他人を害する」事例・・「害する(doing harm)」は倫理的価値判断の入っている表現・・として挙げたことには問題があったと言わざるをえません。

 これに比べると、スレート誌のコラムニストの方は、全く誤解を与えない形で見事に同じ話を要約紹介していると改めて思います。

 なお、以上から(以上にもかかわらず?)、上記NYタイムス記事の結論部分の解釈は、やはり私の解釈(コラム#1703)で正しいのではないか、と考えていることを申し添えます。

(続く)