太田述正コラム#12894(2022.7.25)
<伊藤之雄『山県有朋–愚直な権力者の生涯』を読む(その43)>(2022.10.17公開)

 「・・・第14議会・・・を終了すると、<1890年>3月10日に治安警察法<(注68)>が公布された。

 (注68)「1908年3月25日、衆議院は治安警察法改正法案(福田英子ら請願)を可決し、3月26日、貴族院は否決した。
 1922年(大正11年)<、>一部改正。1922年4月20日公布、婦人の政談集会への参加と発起を許可した。・・・しかし女性の結社権を禁止した第5条1項は残されたため、婦人団体を中心に、治安警察法第5条全廃を求める運動がその後も続いた。・・・
 1926年(大正15年)<、>一部改正。1926年4月9日公布、罷業の誘惑・扇動を処罰する第17条・第30条を削除した。・・・
 GHQの指令に基づき、1945年(昭和20年)11月21日「治安警察法廃止等ノ件(昭和20年勅令第638号)」(ポツダム命令)により廃止。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E5%AE%89%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E6%B3%95

 この法律は日清戦争後に起こってきた労働争議を取り締まるのに適した新しい内容を持っている。
 治安警察法は、政党を晴れて取り締まりの対象から除外するものだった・・・。・・・
 さらに5月19日、山県は陸軍省・海軍省官制を改正し、軍部大臣は現役の中将または大将であること、と明示した。
 陸・海軍大臣は・・・それまでも文官が就任したことはない。
 またそのことは先例化されていると考えることもできる。
 しかし、初期議会以来、政党側には軍備の整理要求と関連させ、軍部大臣の文官制を求める意見すらあった。
 また、旧自由党系や旧改進党系がモデルとするイギリスでは、陸・海軍大臣は文官である。

⇒軍部大臣現役武官制については、累次、論じてきたので、ここでは話を絞りますが、イギリス・・英国とどうして言わないかの説明は省略する・・は議会主権国なので、陸軍大臣の場合、’In symbolic terms,・・・the Secretary, who was usually a member of the House of Commons,・・・was seen as signifying parliamentary control over the Army. ‘
https://en.wikipedia.org/wiki/War_Office
であるところ、現在、下院議員になれない者の中に、文官(civil servants)と並んで、(元帥を除く)現役軍人(serving regular members of the armed forces, except Admirals of the Fleet, Field Marshals and Marshals of the Royal Air Force)が挙げられている
https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Commons_Disqualification_Act_1975
ことは事実ながら、下院議員以外が陸軍大臣になることができないわけではなく、現に、例えば、キッチナー伯爵は貴族院議員で陸軍大将の時の1914年に陸軍大臣に就任していますし、
https://en.wikipedia.org/wiki/Herbert_Kitchener,_1st_Earl_Kitchener
その事実上の前任者だったシーリー男爵に至っては、当時は不適格ではなかったのでしょう、自由党の下院議員で陸軍大佐の時の1912年に陸軍大臣になっています。
https://en.wikipedia.org/wiki/J._E._B._Seely,_1st_Baron_Mottistone
 つまり、1890年当時に関しては、(海軍大臣について論じるまでもなく、)伊藤之雄のこのセンテンスの叙述は誤りです。
 (キッチナー伯爵(1850~1916年(戦死))の陸軍勤務期間は1871~1916年、シーリー男爵(1868~1947年)の陸軍勤務期間は1899~1923年とされています。(それぞれのウィキペディアによる)
 ですから、それぞれの陸軍大臣就任時には現役陸軍軍人だったわけです。)(太田)

 政党勢力が台頭し、第一次大隈内閣のような政党内閣すらできた状況を考え、山県は将来的に政党を背景とした本当に強力な内閣ができた際にも、陸・海軍大臣を軍側で確保することを法制化したのだった。」(320~321)

⇒これも累次同趣旨のことを申し上げてきたところですが、そう遠くない将来には普通選挙でその議員が選出されることとなる衆議院の賛同を絶対に得られないところの、秀吉流日蓮主義/島津斉彬コンセンサス完遂戦争、を、陸軍中の同コンセンサス信奉者達に主導させて遂行させるためには、戦争開始時点以降の陸軍大臣と海軍大臣の任免に衆議院を関与させるわけにはいかないことから、その予行演習的に、軍部大臣現役武官制を山縣が導入した、というのが私見であるわけです。(太田)

(続く)