太田述正コラム#12984(2022.9.8)
<岩井秀一郎『最後の参謀総長 梅津美治郎』を読む(その25)>(2022.12.2公開)

 「昭和20(1945)年4月<7>日・・・鈴木貫太郎・・・内閣が誕生する運びとなった・・・。・・・
 航空総監として内地に戻ってきていた・・・阿南惟幾<が>・・・陸軍大臣と<なった。>・・・
 新内閣の外務大臣に選ばれたのは、東郷重徳である。
 開戦直前に東條英機内閣に外相として入閣し、避戦に尽力した人物の一人である。・・・
 実は梅津は、この東郷と前年(昭和19年)11月に会って和平についての話をしている。
 東郷いわく、独ソの和平を日本が仲介し、そこからソ連を通じて戦争終結に導く必要性を説いたところ、梅津総長はこれに賛成し、今迄政府は何事も為し得なかったが、なお自分はその目的のために努力する旨を述べた<、という。>・・・
 <その>梅津が、小磯国昭内閣から鈴木貫太郎内閣へと代替わりするにあたって、外務大臣を・・・最高戦争指導会議<から>はずそうと提案していたらしい。
 陸軍省からは『書記官長迫水久恒<(注54)>(岡田啓介元首相の女婿)を通じて、「従前どおり」という回答が来た。

 (注54)1902~1977年。一高、東大法、大蔵省入省。「迫水氏は薩摩藩藩主の島津氏の一族。戦国時代の武将島津安久の長男が“迫水”と名を改めたことにはじまり、江戸時代は薩摩藩の重職を代々務めた家系である(家格は小番)。母である迫水歌子の父親は陸軍中将で霧島神宮宮司を務めた大久保利貞。大久保利貞は・・・大久保利通の従兄弟にあたる。・・・
 1936年、岳父である岡田内閣内閣総理大臣秘書官在任中に二・二六事件に遭遇し、義弟松尾伝蔵の身代わりで難を逃れ首相官邸の女中部屋に隠れていた岡田首相の救出に同じく秘書官だった福田耕や憲兵の小坂慶助とともに奔走し岡田は無事に救出された。また、終戦時の鈴木貫太郎内閣では早期和平を目指す岡田の強い意向で内閣書記官長に就任し御前会議での聖断に至る事務手続きの責任者などとして終戦工作の一翼を担い、更に終戦詔書の起草にも携わった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%AB%E6%B0%B4%E4%B9%85%E5%B8%B8

 <参謀本部戦争指導班長の>種村<佐孝によれば、彼が、>総長にこの旨を報告すると、依然として外相を除外する意見であったから、直接書記官長にその旨を説明した。
 書記官長は、本件は早速総理及び外相の意見を取りまとめて返事するとのことで、数時間後「御趣旨は御尤もであるが、とりあえず現状でいきたい」と総理の意向を伝えて来て、総長はさらに外相の意向をたしかめよとのことであったが、内閣に諾否の返事をすることなく当分見送ることにした。・・・
 種村<の推測では、梅津参謀総長としては、>外務大臣が最高戦争指導会議に入ると、梅津の管掌分野とはあまり関係のない、細かなことまで議題となる。
 その名の通り「戦争指導」に注力すべき会議に、内閣で決めるべきことまで持ち込んでほしくない、ということだろう。
 推測だが、これには前小磯内閣で命取りとなった、繆斌問題も絡んでいるのではないだろうか。
 こうした問題を最高戦争指導会議に持ち込み、かつ首相と外相が対立するような状況について、統帥部まで巻き込まれるのを嫌ったのかもしれない。」(182~186)

⇒岩井が、「東郷は和平に向けた意見交換の場を設けるため、総理大臣・外務大臣・陸海軍の大臣および統帥の長(参謀総長・軍令部総長)の6人による会合を開くことを他の5人に提案する。当時、最高意思決定機関としては、この6人に加えて次官級が出席する最高戦争指導会議があったが、この席では軍の佐官級参謀が作成起案した強硬な原案を審議することが多く、それを追認する形になりがちであった。東郷はトップが下からの圧力を受けずに腹蔵なく懇談できる会議を求めたのである。他の5人もこれに賛同し、内容は一切口外しない条件で、最高戦争指導会議構成員会合として開かれることになった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E8%8C%82%E5%BE%B3
という話に言及しないのはどうしてなのでしょうか。
 恐らく、この話は、岩井が紹介した話の後のことなのでしょうが、岩井が紹介した話は、前年の東郷との面談の際の東郷の(敗北目前のドイツとの和平についてソ連との間で仲介するなどという)バカバカしい限りの提案に呆れ、外相、とりわけ、東郷を(杉山らが決めるところの、終戦の時期を早晩決定することになる)会議に出席させても、会議の内容が漏れるリスクが増えるだけで、東郷(外務省)からの建設的インプットなど全く期待できない、と、梅津が判断していたことを示している、と言うのが私の見方です。(太田)

(続く)