太田述正コラム#1715(2007.4.1)
<情報屋台内での対話(続)>(非公開のつもりだったが、2007.5.3公開)
 (本日から、「米国とは何か(続々)」シリーズを始めます。有料版ですが、概要は、http://sol.la.coocan.jp/wforum/wforum.cgiに載せるので、お読み下さい。(2007.5.3))
<屋台主β>
 再び、中身ではなく「方法論」について一言。
 読者の中には、余りに頻繁なURL記載は煩雑と感じる人がいます。私が「実例」です。屋台主αさんも次のようにコメントされていましたので、もう1人の「実例」かなと勝手に想像しております。
>「英吉利亭さん」の記述には典拠などのURLを書いておられる部分が多く(大多数は本人のコラム)、執筆者の姿勢としては結構なのでしょうが、私は「これを(も)読んでくれ」といわれても、おおかた、お付き合いしかねております。「それよりも、骨子を紹介してくれ」と申し上げたい。
 学術書・学術論文では出典を示す脚註・後註が必須です。これがないと学者として認められません。他方、ブログは性格が違います。
 「英吉利亭」さんがURLを示されるのは「ライターの自由」です。私のような読者がいることを「ショック」と感じ、「URL等の部分を読み飛ばせばいい」と思われるのも「自由」です。でも、読者側にも、「ブログでのURL表示は煩雑→つきあうのは止めた~」と言う「自由」があることを申し添えます。
 因みに、私は、「文献」の場合のURLを表示しなくても、また、ワシントンで何時どこの誰から入手した「生情報」であるかを”identify”しなくても、「ファクト」については徹底検証し少なくともダブル・チェックしない限りは一切書きません。つまり、「データや事実関係の正確性を確保」して自分が発信する情報の内容に責任を持つ方法としては、「英吉利亭」さんのやり方が唯一ではなく、それ以外にも「異なるやり方」があることは、ご理解いただけるのではないかと思います
<太田>
>「ファクト」については徹底検証し少なくともダブル・チェックしない限りは一切書きません。
 もちろん、そうでなくっちゃいけません。
 (掲示板への投稿については、そこまでの検証は必要ではないでしょう。ただし、「シングル」チェックくらいはやってくださいよ、ということを「やみ鍋軒」(だったっけ)さんとのやり取りの中で申し上げてきたつもりです。また、投稿においては、必ずしもいちいち典拠をつける必要もないでしょうし、逆に典拠だけつけてその内容の骨子さえつけない、といったことも許されると思います。)
 しかし、本体のコラムをお書きになる時は、それだけでは不十分なのではないでしょうか。
 情報屋台は単なる長屋論議的、あるいは日記的ブログなのではなく、「情報」を売り物にしている屋台である、と私は理解しています。(紅さんの「小説」を除く。)
 いまどき、スーパーの食品にも原産地、成分、賞味期限が明記されています。(昔はそうではありませんでしたが・・。)
 「自分が発信する情報の内容に責任を持つ」ので信じてほしい、と言われても、ジャスコの店であるから、賞味期限等はつけないけれど信じてほしい、と言われた場合同様、勘弁してくれ、と言いたくなります。
 私は、ですから、情報屋台のコラムを読む時に限らず、記事・論考の類を読む時は、典拠(ソース)がついていない個所は、たとえ筆者が信頼のおける人物や信頼のおける組織に所属する人物であっても、(筆者の直接的見聞を記した個所を除き、)読み飛ばすことにしています。
 多くの皆さんとは正反対のようですね。
<屋台主β>                             
 ワシントンから、中身ではなく「方法論」についての最後の一言です。
「英吉利亭」さんは、相手には「厳しい」基準を要請されますが、ご自分に対しては「寛容な」基準を適用され、「二重基準」を使い分けて「自己弁護」される方のようにお見受けしました。 例えば:
(1)相手の「INBM」というミスタイプは責めますが、ご自分の「ドマホーク」というミスタイプについては、発見した人を「目の良い方ですねえ→この程度のミスプリは許されるのでは」とアッサリ許してしまいます。
   「やみ鍋軒」さんが「談論風発のサロン」を提唱されたとき、お互いに守るべきルール或いは節度の一つとして 「相手の人格を傷つけない」ことを指摘されました。これは大事だと思いますが、「英吉利亭」さんのコメントの中に、「辛辣」を通り過ぎて、「悪意」とまで は言いませんが「毒気」を感じ取るのは私だけでしょうか。
(2)情報屋台の「このサイトについて」というページで「管理人のばあさん」が、「このサイトは…….事実だけをお伝えするのではなく、ライターのオピニオンも 皆様にお伝えしていきます」と、サイトの「性格」を明記しています。従って、「英吉利亭」さんが、「典拠(ソース)がついていない個所は、たとえ筆者が信 頼のおける人物や信頼のおける組織に所属する人物であっても、(筆者の直接的見聞を記した個所を除き、)読み飛ばすことにしています」とおっしゃるのは、 「ライターのオピニオン」を伝えるというサイトの趣旨と整合せず、サイトのライターとして参加するための前提として必要なルールの「シングル・チェック」 もやっていないことになります。
   因みに、例えば「英吉利亭」さんがおっしゃる「私は日本を米国から独立させようとしているのです」というの は、「筆者の直接的見聞を記した個所」ではなく「ご自分の意見」だと思いますが、「英吉利亭」さんは、この部分を読者に「読み飛ばしてもらいたい」ので しょうか。それで議論や意見交換が成立するのでしょうか。
(3)「英吉利亭」さんは、「投稿においては、必ずしもいちいち典拠をつける必要もないでしょうし、逆に典拠だけつけてその内容の骨子さえつけない、といったことも許されると思います」とおっしゃいます。
   私には、一体誰が「いちいち典拠をつける必要もない」と合意したのか、一体誰が「典拠だけつけてその内容の骨子さえつけないことを許す」と合意したのか、全く分かりません。
(4)つける典拠なるものが「ご本人のコラム」である場合は、第三者のソースではないので単なる「自己満足」または「自己陶酔」に過ぎず、客観的には無意味です。
(5)スーパーの食品の表示を使った「たとえ話」は無意味です。たとえ話は「素人を騙す」手段として非常に有効です。しかし、お互いにプロを自認する人たちを相手にした議論にたとえ話という「まやかし」を持ち込むのは、問題のすり替えです。
(6)「英吉利亭」さんは、「私が情報屋台の掲示板に投稿した場合 は……私自身の掲示板に転載」されておられるとおっしゃいます。そして、「管理人に何の相談もなく転載しているのはマズイのかもしれません が……情報屋台を……PRするつもりでやっているので、お許し願えるのではないのでしょうか」と正当化されています。
   しかし、ウェブサイトの著作権の問題を考えると、これは「極めてマズイ」ことです。「お許し願える」かどうかは、「英吉利亭」さんが独断で「ご自分に寛容」な結論を出せる事柄ではなく、事前に管理人とジックリ協議する要があると思います。
(7)プロフィールの宣伝文句に「豊富な海外経験を踏まえ」とありますが、海外経 験が豊富なのは「英吉利亭」さんだけではないでしょう。例えば、私は、訪問した外国は30ヵ国にも満たない「少数」ですが、アメリカには通算15年ほど住 み、50州の内の45州+ワシントンDCに足を運んでいます。アメリカ国内を車で走った距離は、25万キロほどになります。
以 上の私のコメントに対して、「英吉利亭」さんが必ずや反論の形をとった「自己弁護論」を展開されるものと思います。でも、私は、「何も新しいものを創造し ない非生産的な言葉のキャッチボール」は、それで本人が「自己満足」する以外には積極的意味はないと思いますし、正直に申し上げて、このような「形而上学 的」(?)なやり取りには「もう飽きた/これ以上は付き合いきれない/面倒くさくなった」というのが本音です。
従って、「勝手に止める自由」を行使します。つまり、私のコメントはこれで打ち止めとし、今後、私のコメントに対して「英吉利亭」さんが何をおっしゃっても私は一切「反応」しないことを、「予め宣言」しておきます。
<太田>
>「勝手に止める自由」を行使します。つまり、私のコメントはこれで打ち止めとし、今後、私のコメントに対して「英吉利亭」さんが何をおっしゃっても私は一切「反応」しないことを、「予め宣言」しておきます。
 お二方方が「勝手に」議論を提起してこられたので、私としても、「勝手に」コメントさせていただいただけのことです。
 もとより、いつ議論から退出されようとご自由ですが、退出は無言でされることを老婆心ながらお勧めしておきます
>ウェブサイトの著作権の問題を考えると、これは「極めてマズイ」ことです。「お許し願える」かどうかは、「英吉利亭」さんが独断で「ご自分に寛容」な結論を出せる事柄ではなく、事前に管理人とジックリ協議する要があると思います。
 これは仰るとおり、と言うべきかもしれません。
 一言弁明させていただけば、情報屋台に掲載したコラムについては、同時に私のHP(ブログ)やメルマガでも使用することについては、管理人さんの了解を事前にとってあります。(有料の雑誌等の出版物に拙稿を掲載した場合でも、これまで常にそれが認められてきたので、情報屋台が有料化した時点でも、恐らく同じ扱いにしていただけるのではないでしょうか。)
 これは、情報屋台のPRにもなると考えました。
 この方針は、(当時まだ実質的に開設されていなかったところの、)情報屋台の掲示板に掲載した私の投稿にも当然適用される、と判断した次第です。
 しかし、私の投稿の前後を掲載しないと、私の読者には「流れ」が分らないので前後を含めて転載させていただいたのはやや行き過ぎであり、本来はせめて前後については、若干なりとも要約の労を惜しむべきではなかったのかもしれませんね。
>相手の「INBM」というミスタイプは責めますが、ご自分の「ドマホーク」というミスタイプについては、発見した人を「目の良い方ですねえ→この程度のミスプリは許されるのでは」とアッサリ許してしまいます。
 私は、「と言いたいところだけど、素直に兜を脱ぎましょう」と続けています。はしょらないでください。
 しかも、一読者が「ドマホーク」の誤りを指摘した箇所は、バグってハニーさんの部分同様、私の掲示板からの転載です。 
 「アッサリ許して」などいませんよ。
>つける典拠なるものが「ご本人のコラム」である場合は、第三者のソースではないので単なる「自己満足」または「自己陶酔」に過ぎず、客観的には無意味です。
 「ご本人のコラム」には、典拠が添付されています。関心を持った読者は、そのコラムにあたり、更に典拠にあたることができます。決して無意味ではありません。
>「英吉利亭」さんは、「投稿においては、必ずしもいちいち典拠をつける必要もないでしょうし、逆に典拠だけつけてその内容の骨子さえつけない、といったことも許されると思います」とおっしゃいます。私には、一体誰が「いちいち典拠をつける必要もない」と合意したのか、一体誰が「典拠だけつけてその内容の骨子さえつけないことを許す」と合意したのか、全く分かりません。
 本体のコラムにすら典拠をつけない方にそう言われると困ってしまいます。
 投稿は、コラム以上にタイミングが重要です。文章を推敲したり、典拠をつけたりすることよりも、タイミングを失せずに投稿した方がよいと私は思うのですが、間違っていますかねえ。
>「英吉利亭」さんが、「典拠(ソース)がついていない個所は、たとえ筆者が信頼のおける人物や信頼のおける組織に所属する人物であっても、(筆者の直接的見聞を記した個所を除き、)読み飛ばすことにしています」とおっしゃるのは、 「ライターのオピニオン」を伝えるというサイトの趣旨と整合せず、サイトのライターとして参加するための前提として必要なルールの「シングル・チェック」 もやっていないことになります。
 ちょっと待ってください!
 前回の私の議論は、すべて冒頭に掲げさせていただいた、あなた自身の言葉である、
>「ファクト」については徹底検証し少なくともダブル・チェックしない限りは一切書きません。
 にいう、「ファクト」に関するものです。
 自分の「オピニオン」に関しては、私は一言も言っていません。
 テーマを選択し、「ファクト」・・他人の「オピニオン」も「ファクト」に入る・・を発掘し、その「ファクト」の信頼性を検証し、信頼性が高いと目される「ファクト」のうち何を用いるかを決定し、コラムを執筆し、その中で当該テーマに係る自分の「オピニオン」を打ち出す、というプロセスのすべてに自分の「オピニオン」が関わっているわけですが、その自分の「オピニオン」に関して典拠などつけられるわけがないでしょう。
 いずれにせよ、「情報」を伝達するコラムを書く場合に大事なことは、どこまでがこのような意味での「ファクト」であり、どこからが自分の「オピニオン」であるかを読者にできる限り情報開示することである、と私は考えています。
 
>スーパーの食品の表示を使った「たとえ話」は無意味です。たとえ話は「素人を騙す」手段として非常に有効です。しかし、お互いにプロを自認する人たちを相手にした議論にたとえ話という「まやかし」を持ち込むのは、問題のすり替えです。
 スーパーの話は決して「たとえ話」などではありません。
 情報屋台は「情報」を将来有料で売ろうとしているのであって、現在屋台に並んでいるのは試供品ですが、試供品も商品です。スーパーの店頭に並んでいる試供品たる商品と全く違いはありません。
 私が不思議なのは、皆さんが、食品については(恐らく)情報開示を当然視しながら、情報商品については、情報開示をする必要がないとおっしゃっていることです。
 素人のお客さんは、賞味期限等(「製造年月日等」の方が適切だったか?)の表示なんてわずらわしく思うだけだよ、とおっしゃるだけならまだしも、プロを自認する皆さんまでが、自分達にとってももわずらわしい、とおっしゃると私は目を白黒させてしまします。
>「英吉利亭」さんのコメントの中に、「辛辣」を通り過ぎて、「悪意」とまで は言いませんが「毒気」を感じ取るのは私だけでしょうか。
 「毒気」を感じてもらうように書いたのですから、そう感じていただけるとありがたいですね。 
 日本の核武装の是非、といった「オピニオン」なら、それこそどんな素人でも吐けます。
 プロには、いかなる「ファクト」(ただし、典拠つき!)に基づいて、そのような「オピニオン」が導き出されたのかの説明が求められます。
 それができないのなら、その人は素人であり、より素人でないと思われる人に、まずは「ファクト」を質問(取材)すべきです。(その上で、「オピニオン」を聞いたってもちろんかまいませんが・・。)
 私はこれだけ北朝鮮や中国の「脅威」が議論されながら、日本のメディア等で、「ファクト」を見極めようとする姿勢が依然ほとんど見られないことに危機意識を募らせています。
 半世紀にわたって、安全保障を宗主国米国にぶんなげてきた弊害が、端的にここに表れているのではないでしょうか。
 私が「やみ鍋軒」さんの、「オピニオン」最初にありきの投稿に対して感じた苛立ちについてこれ以上説明する必要はないでしょう。
 私は、「やみ鍋軒」さんが私の「毒気」の意図するところを的確に理解してくれたと信じています。
 そして、それ以外の屋台主さん達にも、一人でも二人でも理解者が増えることを心から願っています。
 この議論を大変エンジョイしました。
 皆さん、ありがとう。