太田述正コラム#13032(2022.10.2)
<2022.10.1オフ会次第(続)>(2022.12.27公開)

B:岸が宗主国移行を予期し、中共接近をした、というのは違うのではないか、岸にそこまでの才覚はなかったのでは?
O:岸は商工省出身で、当然のことながら、戦後の通産省にも強い影響力を保持し続けたはずだが、通産省からの岸へのインプットもずっとあったに違いない、と私は見ている。
 (佐橋滋(1913~1993年)は、「1957年6月15日 通商産業省重工業局次長
1960年5月13日 通商産業省重工業局長心得併任
1960年6月24日 通商産業省重工業局長心得併任解除、通商産業省重工業局長
1961年7月7日 通商産業省企業局長
1963年7月23日 特許庁長官
1964年10月23日 通商産業事務次官
1966年4月25日 退官」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E6%A9%8B%E6%BB%8B
という人物で、「公然と自衛隊違憲論を唱えていたことでも知られている」(上掲)人物でもあるが、「当時、通産は自由化・国際派と、<米国>追随でない国内産業育成の民族派のふたつの大きな流れがあった<が、>・・・佐橋・・・は後者の代表であ」って、
https://awazu-kikou.hatenadiary.org/entry/20130726/1374828287
「重工業局次長時代は公正取引委員会に鉄鋼各社による価格カルテル導入を認めさせ、また、IBMに国内生産の代償として特許を公開させたように、保護主義政策を推進した。以後、重工業局長、企業局長を歴任。当時より通産省のスポークスマン的存在であり、「ミスター通産省」と呼ばれた。日本の資本自由化に備え国際競争力を政府主導で確保することを目的として、1962年(昭和37年)に「新産業秩序の形成」を謳い文句に両角良彦らと共に、特定産業振興臨時措置法案(特振法案)を作りその成立に奔走したが、各界の反対(特に自動車メーカーの反対が強かったとされる)に遭い、審議未了で廃案となる。しかしながら、その精神は、官民協調方式と体制金融というかたちで、その後長い間、日本の経済政策の根幹とな<った>。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E6%A9%8B%E6%BB%8B 前掲
というのだが、この佐橋は、「岸信介、椎名悦三郎の系譜に連なる、統制派商工官僚の大物」(上掲)とされており、私見では、岸のホンネ・・再軍備反対、宗主国米国への面従腹背・・を意図してかせずしてかはともかく、代弁している人物だ。
 例えば、佐橋が重用した三宅幸夫(上掲。1920~1988年)は、「繊維雑貨局長在任中、1969年11月以来、日米繊維交渉で局面打開にあたってきたが、当時の下田武三駐米大使の「<米国>の規制案を呑め」といった発言に、業界保護の通産省の立場から<反対し、>・・・持病の糖尿病が悪化した<こともあり>、1970年8月に入院<し、結局>、佐藤 – ニクソン会談で早急に政府間交渉<が>再開<され>、交渉妥結を図ることとされたため(1970年10月24日)、退任<している。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%AE%85%E5%B9%B8%E5%A4%AB
ところだ。
 そういう次第なので、私は、岸カルトの陰に陽にの支援の下、戦後、長期にわたって通産省の主流であり続けた、佐橋流の、再軍備反対/反米派、は、当然、中共の経済的ポテンシャルに注目し、期待を寄せたであろう、というか、期待を寄せざるをえなかったであろう、と、見ている次第だ。)
C:杉山構想的なものに気付くのは困難だとしても、太田さんが今回披露した、吉田や岸の評価、ぐらいなら、今まで既に披露していた人がいてしかるべきなのにいなかったのが不思議だ。
O:いかに、日本の文系学者達が脳死したままなのか、ということだ。
 本当に、南原や丸山の罪は重い。
 ところで、前回も同じことを申し上げたと思うが、今回でもって、日本史における通説をひっくり返すような大きな新発見は打ち止めだと改めて申し上げておきたい。
 後は、あったとしても、中小の新発見にとどまることだろう。
 いずれにせよ、今回の原稿書きはきつかった。
 ウクライナ戦争が続いている上に、安倍問題まで勃発し、「ディスカッション」の分量が否応なしに増えてしまい、毎日、ディスカッション執筆、有料コラム執筆、次期オフ会「講演」原稿作業、の三つをこなすのは大変であり、この3~4週間は、3食とも、ほぼ、完全に買い食い状態が続いた。
 自炊する時間が全くとれないからだ。
 しかも、この数日、歯痛に苛まれている。
 (毎週1回1時間のピアノはこなしてきたが、この前の日曜日は、30分経ったところで、疲れが極限に達し、弾けなくなってしまった。
 通常は、疲れていても、パソコン諸作業とは違って、ピアノを弾き始めると自然に没入してしまって、1時間、ちゃんとこなせるのだが・・。)
 但し、だからといって、私のアウトプットの質が低下しているかと言えば、(本来私が判断すべきことではないけれど、)この3つの作業が、重なり合う部分があるのと、お互いに刺激を与えあう関係にあることもあり、恐らく逆だろう。
 (締め切りがあると、アウトプットの質が上がる、的な話を前にしたことがあるが、同じことだ。)