太田述正コラム#13034(2022.10.3)
<2022.10.1オフ会次第(続々)>(2022.12.28公開)
とにかく、自分が(主観的には)老化する前に、自分がかねてより抱いてきた日本史に係る大きな疑問をみんな解消することができ、間に合って本当によかった、と、胸をなでおろしている。
D:太田さんの最近の体調は?
O:こちらに引っ越してきてからは、大動脈乖離という大病こそ患ったが、風邪一つ引かない。
だから、熱が出たこともない。
D:それは、太田さんが、職場を離れ、次いで家族とも別れ、ストレスがなくなったからだろう。
O:確かにそうだ。
かつては、風邪以外でも、アレルギーで微熱がよく出たものだが、そういうこともなくなった。
もっとも、抗アレルギー薬は、今でもたまに処方をしてもらっているのだが、その使用目的は、どうしても寝つきが悪かったり、夜中に目が覚めてしまったような場合に睡眠導入剤代わりに服用するのが主だ。
D:何のアレルギーなのか。
O:ハウスダスト(ダニ)とイネ科のオオアワガエリ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%A2%E3%83%AF%E3%82%AC%E3%82%A8%E3%83%AA
のアレルギーだ。
後者は、通常の内科医じゃ、知らない人も多い。
なお、私が健康になったのは、ストレスの軽減だけではなく、少なくとも大動脈解離後は、毎日歩いていることも大きい。
私は、不動産屋ベースで15分の距離を往復するのを日課にしている。
但し、次第にスピードを上げてきており、真冬でも汗をかく程度の運動になっているが、これくらいが最適運動量のようだ。
たまたま、西馬込駅前のスーパーまでがこの距離であり、途中にもう一軒スーパーがあるので、この二店を訪れて、食料品を購入するのを目的としているので、このウォーキングを続けられている。
おやおや、20年位前から、私の大学時代の友人達との会の話題が自分達の健康問題ばかりになってしまったことを、私の友人達の老いの証左だ、と呆れた思いでいた私だが、今日は自ら随分自分の健康のことをしゃべってしまった。
やっぱり、私も老いたようだ。
C:ところで、依然、私は、杉山構想にソ連参戦が織り込まれていたという太田さんの指摘、就中、杉山らが北海道をソ連にくれてやるつもりだった、という話に納得が行っていない。
ソ連軍に、北海道を占領する能力などなかった、と思うからだ。
O:終戦後にソ連が単独で北海道に、というシナリオが念頭にあるからだろう。
そうではなく、あくまでも、米軍の日本本土上陸作戦と並行してソ連が北海道に侵攻しているシナリオを念頭に置いて欲しい。
(そうなる前に、原爆投下により、杉山らは、予定を変更して終戦を前倒ししたわけだが・・。)
C:それならば、分からないでもない。
O:今回の「講演」原稿を書き終えた感想を、少し別の角度から言うと、防衛庁に入った時にカフカの世界に迷い込んだように思った原因と防大総務部長として防大に行った時に同じように思った原因の両方が、ついに解明できた、というものだ。
もとより、この二つのカフカの世界は大変似通っているのだけれど、微妙に異なっているところもあり、その違いが何に由来しているのかが分かったことを含めて・・。
防大への吉田茂の思い入れはぶっとんでいると思われたかもしれないが、管轄こそ文部省(当時)じゃなく防衛庁(当時)ではあったものの、国立大学は国立大学で、しかも、学生は、学費はタダの上、(衣食住もタダで、)給料までもらえる、という恵まれた環境なのだから、防大のランクが大化けする可能性はある、と、吉田は思ったのだろう。
なお、こんな具合に吉田にヨイショの限りを尽くし、岸をディスるにディスった「講演」原稿になったわけだが、吉田に一つだけ過失があったとすれば、朝鮮戦争が起こった時にマッカーサーから再軍備指示があったにもかかわらず、これを拒否したことだろう。
吉田は杉山構想を聞かされていたので、(もともとは、米軍とソ連軍とを日本列島内で対峙させようとしたのを杉山らが果たせなかったのが、)ようやく(日本列島内ではなく旧日本帝国内だったし、ソ連軍に関してはそのプロキシーだったけれど、)それが、対峙どころか熱戦の形で実現したのだから、(米国に反ソ意識を一層徹底して叩きこむためにも、)ここは、(米国以外からも欧米諸国等が参戦したけれど、日本「軍」なきまま)米軍単独で戦ってもらおうじゃないか、と吉田が考えたことは無理もないのだが、それでもなお、マッカーサーの再軍備指示に従うべきだった。
結果論とは言え、その後、吉田茂は、考えを改め、マッカーサーに、日本が再軍備できるような憲法改正を指示してくれるよう求めたけれどマッカーサーがトルーマンによって解任されたためにそれが果たせず、更にその後、ついに再軍備できないまま日本は脳死してしまったのだから・・。
B:岸カルトの眼目の一つは、安倍晋三のようなぼんくらでも首相が務まるようにしたことだったわけだな。
O:その通りだ。
(島津の殿様はみんな出来がよかったとされているけれど、)毛利の殿様中には、江戸時代、ぼんくらだっていたものの、何の問題も起きなかったところ、それと同じことが可能なように岸は岸カルトを創始したわけだ。
ところで、安倍晋三のぼんくらぶりは、従来から何度も当コラムで取り上げてきているけれど、菅弔辞で取り上げられた、安倍の山縣本に関しては、かつて新書で読んではいたが、それが文庫化していたので、改めて買って読み返した、という可能性もないわけではない、ということを、安倍氏の「名誉」ために申し上げておこう。