太田述正コラム#13038(2022.10.5)
<『海軍大将米内光政覚書–太平洋戦争終結の真相』を読む(その16)>(2022.12.30公開)

 「・・・米内海相直話 二0・八・八・・・
 「総理は国内情勢を、どのように判断しているのですか?」という高木<惣吉>の質問にたいして–。
 まったく聞いていない、わからないネ。
 「このさい、内務大臣<(注23)>あたりは、国内情勢について端的に総理に話すべきだと思います。

 (注23)安倍源基(1894~1989年)。六高、東大法卒、内務省入省。「1932年、警視庁において初代特別高等警察部長となり、赤色ギャング事件や日本共産党査問リンチ事件を通じて「赤狩り安倍」の名 が付いた。安倍が特高部長であった1933年には、19人が特高警察の過酷な取調べで死亡しており(19人は戦前で最多)、その中にはプロレタリア文学作家の小林多喜二も含まれている。・・・
 その後、内務省保安課長、同警保局長、警視総監、企画院次長及び企画院総裁(心得)を歴任した。
 太平洋戦争末期の1945年、鈴木貫太郎内閣で内務大臣に就任。終戦時の国務大臣兼情報局総裁下村宏によれば、ポツダム宣言受諾には豊田副武などと共に反対意見だった。安倍自身が著書で語るには、終戦に反対の閣僚は誰一人いなかったが、国体護持について明確な返答をするよう連合国に再照会すべきという意見だったのが、陸軍大臣阿南惟幾、司法大臣松阪広政、そして安倍自身との事である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%BA%90%E5%9F%BA

 私は9月、10月に国内情勢の急転的な悪化が来ると思っていました。
 しかし、大臣は8月中旬から悪化するといっておられました。
 ところで、ここ2、3日来、とりわけ広島空襲(8月6日に原爆投下)以来、ひしひしと各方面の空気が悪くなってきました」という高木の所見にたいして–。
 今月11日から、東京は米の配給を1割へすのだが、悪いことが重なるネ。

⇒そう高木や米内が判断した根拠を彼らが具体的に示してくれていないので、コメントしようがありません。
 もっとも、治安対策のプロ中のプロの安倍内相が、「注23」から窺える終戦時のその言動からみて、国内の「各方面の空気が悪くなってき<てい>た」とは全く思っていなかったようである以上、単に、彼らによるところの、ためにする憶測だった、と見てよさそうです。(太田)

 〔<実松>注〕主食の配給量(1日につき)は、7月11日から1割減の2合1勺(約317グラム)となったが、大消費都市の東京は輸送機関逼迫のため、さらに削減が検討されたものと思われる。
 陸軍大臣は、つよいことばかり言っている。

 かれは大いに陣頭指揮のつもりでやっているが、ふりかえってみると、だれも後についていなかったということになるおそれがある。

⇒ここの「だれ」は国民を指しているのでしょうが、終戦直前の海軍・・陸軍に比べて圧倒的に陸の上のことが分かっていないのを身上とする海軍!・・が、そういう(根拠レスな)ロジックで終戦を求めようとしていたことは興味深いものがあります。(太田)

 きょう、外相と陸相は会うということだ。
 〔<実松>注〕東郷茂徳(元外相)は1950年1月30日、こう陳述している。
 「…『日本は戦争に敗けていないのだ』という前記阿南(惟幾)陸相の主張は、その後も緩和されなかった。(20年)6月18日の最高戦争指導会議でも彼は同じ主張をしたが、更に7月14日、即ちソ連に近衛使節を派遣する決定がなされた後に、6人が集った席で和平条件の問題が出かかった時も陸相と参謀総長(梅津美治郎)とがそういう主張をした。そんな訳で、私はソ連に仲介を頼みながらも、その条件を具体的に通告することが出来なかった。…」(『終戦への決断』)」(170~172)

⇒このくだりを読んだ人々は、さぞかし、終戦の頃、陸軍の両トップは半狂乱になっていてトンデモ発言を続けていた、と思い込んだことでしょうが、ところがどっこい、阿南と梅津の2人は、戦いが、(杉山構想に照らし、)順当に日本の勝利に向けて進んでいる、という本当のことをそのまま発言していたわけです。
 米内らは、陸軍の上層部が正気ではないと思ったら、陸軍内の部隊にいる将官クラスや中央の中堅クラスから、それを裏付けられるかどうか、見解を聴取する努力をすべきでしたし、逆に正気なのかもしれないと思ったら、どうしてそんなことを言うのか、と、(前述した方法で)直接阿南陸相に問いただすべきでしたが、どちらもやった形跡がないことに、首をひねるばかりです。
 なお、6月18日におけるこの2人による同趣旨の発言は、対日参戦が決まっているソ連に和平仲介を依頼するという恥ずかしいことを外務省と海軍が連携して行いつつあるところ、せめて、日本が具体的な和平条件を提示するなどということまでして恥の上塗りをすることを回避しようという狙いがあったと解されるところ、問題なのは、海軍が、(前述したように)ソ連参戦情報を得ながらもそれを信じず、外務省に至っては、ソ連参戦情報を全く掴んでいなかったらしい、という点です。
 結局のところ、海軍もひどかったけれど、海外情報収集が最大の仕事とも言える外務省はもっとひどかった、いや、仕事を全くしていなかったに等しい、と言われても仕方ないでしょう。(太田)

(続く)