太田述正コラム#13042(2022.10.7)
<『海軍大将米内光政覚書–太平洋戦争終結の真相』を読む(その18)>(2023.1.1公開)
「・・・
問 ・・・戦争の初期に、日本が防禦せねばらなぬ対象は何でしたか。
どの反撃兵力を防ぐべきだったのでしょうか。
答 機動部隊か、潜水艦か、それとも外の何かということを、お聞きになっておられるのでしょうか。
問 それもありますが、また、豪州にいた陸軍兵力とかインドの兵力とかいうことも。
答 それは何といっても合衆国艦隊です。
その海軍力が干渉してこない限り、日本は南方からの資材供給を確保することは容易なことでした。
問 では、あなたは、この戦争は主として、海上兵力の戦争であった、とおっしゃるわけですか。
それとも、日本側から見たところでは、陸軍の支配力が大きかったと観測しますか。
または、両方が同じくらいの責任をもっていたのですか。
答 私は、海軍の戦争だったと信じます。
⇒陸軍と海軍の戦争だったに決まっているではありませんか。
なんという夜郎自大、なんというセクショナリズム、でしょうか。(太田)
問 日本<の>・・・陸海軍の協調は必ずしも良好ではなかったように見受けますが、もし貴下もその通り認めるとすれば、陸海軍間の摩擦対立の主な原因は何だったのですか。
それは当事者の性格の不調から来るものでしたか、戦争目的の見解の相違からでしたか。
いったい、何が協調を妨げましたか。
答 私は、根本的なものは陸軍と海軍の教育方針の相違にあった、と思います。
陸軍は15歳か16歳の少年から軍隊教育を始めています。
(注)幼年学校の教育は恐ろしく貴族的、特権階級的な雰囲気で、その上、閉鎖的、排他独善的なものであった。(元陸軍中将石原莞爾)
⇒この注が高木惣吉によるものか、実松譲によるものか、定かではありませんし、また、典拠も付されていないけれど、それが確かに石原莞爾の幼年学校評だったとして、想像するに、彼が、中央幼年学校に入った時に、東京地方幼年学校から入校した連中に田舎者扱いされて、そういう印象を持った、ということに過ぎないのではないでしょうか。
以前に(コラム#10238で)紹介したように、幼年学校の教科内容は旧制中学と大差なく、それに軍事教練が加わり、かつ、全寮制であった、というだけのことであり、要は、英国のパブリックスクールに近似した中等教育機関だったわけですが、石原は、その、欧米経験はドイツ留学のみという経歴
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%8E%9E%E7%88%BE
からして、英国のパブリックスクールでの教育内容に通じていたとは思えず、従って、石原が、幼年学校を(貴族の子弟が多く入っている)パブリックスクールみたいだ、という趣旨で当該コメントをした、とは、私は思いません。(太田)
そして、そんな若年の時代から、戦争以外の何も教えなかった。
⇒ですから、本当に米内がそう思っていたのだとすれば、米内の陸軍についての無知さ加減は衝撃的です。
せめて、海軍の戦争責任を回避、軽減するために、ひたすら陸軍を悪者にすべく、心にもないウソをついた、と思いたいところです。
もっとも、そうだったとすると、今度は、米内を軽蔑しなければならなくなります。(太田)
そこに陸軍士官と海軍士官の考え方に根本的な相違が生じたと信じます。
その結果、当然の帰結として、陸軍士官は眼界が馬車馬のように狭くなり、海軍士官ほど広い視野で物事を見ることができなくなります。
⇒士官任官までの教育期間中のことはさておいたとしても、海軍士官は艦隊勤務中は世間との接触は殆どないけれど、陸軍士官はそうはいかない、という点だけとっても、話は逆であることは誰の目にも明らかなのに、なんということを米内は口走ったのでしょうか。
聞いている米海軍軍人達も呆れたのでは?(太田)
問 陸軍士官が戦争以外のことは何も教えられなかったという意味は、広い国際的な視野についての教育が欠けていた、というようにとれますが、そうでしょうか。
⇒これは、米内の前言を窘めたものであることに米内は気が付いていないように見えます。↓
海軍士官は国際法の素養を陸軍士官以上に求められ、かつまた、世界中の海軍士官と同朋意識を抱いており、一般的に、陸軍士官に比して、より国際的な視野を持っている、とは言えても、世間知は乏しいものではないのか、と、彼らは米内を窘めているわけです。(太田)
答 その通りです。
軍隊以外のことは何も教えなかったと思われます。
むろん、これは私の感じにすぎません。
私がこう言っているからといって、それは別に、ここで、陸軍を非難しようとしているのではありません。」(220~222)
⇒米内によるところの、私は戦争責任を陸軍に押しつけようとしています、と白状したに等しい稚拙な言い訳です。(太田)
(続く)