太田述正コラム#13044(2022.10.8)
<『海軍大将米内光政覚書–太平洋戦争終結の真相』を読む(その19)>(2023.1.2公開)
「・・・
問 閣下、あなたはどこが戦争の転機だったと思われますか。
つまり、この戦争を成功裡に集結させることが覚束なくなったハッキリした兆候があらわれたのは、いつ、どんな情況のときであったか、ということについて、ご意見を承りたい。
それは、あなたのお気に入るような言い方で結構と思います。
答 きわめて率直に申し上げれば、戦争のターニング・ポイントは、そもそも開戦時にさかのぼるべきでした。
私は当初から、この戦争は成算がないものと感じていました。
むろん、これはご質問に対する答弁にはなっていないかもしれません。・・・
⇒米内にとっては、というか、海軍にとっては、日英同盟の時代から米国が最大の潜在敵国だった(コラム#省略)のであり、だからこそ米国の顕在的・潜在的な海軍力については熟知していて、そう判断したのは当たり前でしょうが、陸軍がそのように判断していないように見えた以上は、米内を含め、海軍は、非公式、公式、両面で陸軍の真意を確かめるべく全力を上げてしかるべきだったのに、そうした形跡がないのが一体どうしてなのか、私の理解を超えます。(太田)
問 ドイツが最後の勝利を得るだろうという希望が、どの程度、終戦をおくらせるのに影響したでしょうか。
答 私に関するかぎり、それは全く影響ありませんでした。
というのは、私はそもそものはじめから、ドイツが結局勝つなんぞという見込みはないと思っていたからです。
私はとうの昔からドイツに勝算はないと確信していたので、ドイツとの提携には真向から反対した一人でした。
⇒これについても、どうしてそう判断したのかはともかくとして、陸軍がそのように判断していないように見えた以上は・・(以下上掲私見と同じ)。(太田)
そして、この私の所信が、ある方面に洩れたものですから、私は首相の地位から引きずり落される形になったのです。
それは米内海軍大将が総理大臣ではドイツとの同盟を実現する可能性が少ないことを、その方面で強く感じたからでした。・・・
付記 米内光政小伝 実松譲
・・・昭和14年1月・・・平沼内閣の組閣完了とともに、ドイツは正式に三国同盟を提案してきた。・・・
そのころ、陸軍の実権をにぎっていた中堅層はむろんのこと、かれらに牛耳られた首脳部も、ドイツの巧妙な宣伝<(注24)>もあって圧倒的に親独感情が強く、是が非でも同盟締結という”初一念”を貫徹しようとする。
(注24)その一端が分かるのがこれだ。↓
「ナチスは「親日的」だったのか? -日独合作映画『新しき土』と翻訳されなかった『わが闘争』・・・」
https://masterlow.net/?p=997
その一方、英米なにするものぞ、といった無謀な風潮も抬頭していた。
⇒ここで、米内が語っていて、当時の典拠によって裏付けられうるのは、すなわち、真実なのは、(陸軍のではなく、)世論の動向だけです。
米内は、陸軍の「中堅層」や「首脳部」、とりわけ「首脳部」がナチスドイツについて語っていることの背後の陸軍の真実を探る努力を怠っていたのですからね。
なお、長年の太田コラム読者なら、「陸軍の実権をにぎっていた中堅層・・・、かれらに牛耳られた首脳部」という認識が完全に誤りであることもお分かりでしょう。(太田)
こうした同盟賛成論者たちのファッショ攻勢のまえに、敢然としてスクラムを組み大手をふって立ちはだかったのは、米内海相を中核とする次官山本<五>十六と軍務局長井上成美のトリオ提督であった。
⇒私はこのトリオを3バカトリオと名づけている次第ですが、米内本シリーズを終えようとしているところ、次には山本本シリーズ、その次には井上本シリーズをお送りする予定です。(太田)
これら同憂の士は、おなじ信念に徹していた。
その信念とは、「–わが国はドイツのために火中の栗を拾うべきではなく、英米を束にして向こうにまわしてはならぬ。つまり憂国の至情と広い視野にたつ客観的な国際情勢判断意よって、太平洋戦争にまで必然的に発展するおそれのある軍事同盟を締結すべきではない」というのであった。」(222~223、229、256~257)
⇒何度も申し上げてきた(コラム#省略)ところですが、米内ら海軍上層部は、このように英米一体論を信じ込んでいた・・それを実松も所与のものとしている・・けれど、そんなものはなかった、というか、ありえなかったことを、長年の太田コラム読者ならよくご存じのはずであり、目も当てられないのは、陸軍に、この海軍(と外務省)の不勉強さに付け込まれて、日本の(三国同盟締結後の)対英開戦ならぬ対英米開戦を必然たらしめさせられしまったことです。(太田)
(完)