太田述正コラム#13068(2022.10.20)
<渡邊裕鴻ら『山本五十六 戦後70年の真実』を読む(その12)>(2023.1.14公開)
「・・・1939年段階で、日本の軍用機生産は4467機。
軍用機生産に限って言えば、アメリカの2倍以上だった。
⇒戦前、米議会、ひいては米国民の孤立主義志向がいかに強かったかが分かろうというものです。(太田)
ルーズベルト大統領は、1940年の段階で年産5万機を産業界に要求していたが、真珠湾攻撃によってその動きは本格化する。
1942年には6万機、そして1943年には12万5千機へと生産目標を次々に増加していき、特に日本の零戦に対抗しうる性能を持つ戦闘機と、日本の本土爆撃を可能とする大型爆撃機の生産に力が注がれるようになった。・・・
山本が足しげく通っていた料亭・・・「和光」の女将だった丹羽ミチ<(注17)>さんに宛てて、山本が書いた手紙が残っている。
(注17)「丹羽ミチさんは、「小須賀」という名前で芸者となり、昭和十三年に料亭「和光」を開店した。ミチさんと山本大将は芸者時代からの付き合いで、「和光」も贔屓にしていた。その「和光」の看板を書いたのも山本大将であった。・・・
英米派といわれた井上成美や米内光政らとその「和光」に良く来ていたともいう。・・・
<こ>の手紙は、昭和十六年十二月八日の真珠湾攻撃から帰り、広島の呉の軍港に停泊中の「長門」で書いたものであり、その証拠に封筒の裏には「長門」とあった。」
https://blog.goo.ne.jp/snforever/e/c766637fe23d6512d18abdeb0647055d
日付は、昭和17年(1942)1月9日。・・・
そのてがみには、・・・今に東京に爆弾の雨か降るともしやおしまひてせふ。そうなると流石の和光も落ちついて商売も出来なくなりますから。其時は其時に等といふ呑気てはなく考えておく事ですね。
国内が快進撃に浮かれるなか、アメリカの国力や航空技術のレベルを知る山本は、やがて東京への空襲もあり得ると、予測していたのだ。
そして、その予測はやがて現実のものとなる。・・・
⇒1922年に初代の陸軍省航空課長となった杉山元も、私が翌年に就任した軍事課長
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/S/sugiyama_h.html
の時に杉山構想を概成したと見ているところ、その後、恐らく、山本より早く、対英米戦開始後そう時をおかずして、「東京に爆弾の雨か降る」事態になることを予見していたはずです。(太田)
<1943年>6月5日、<暗号を解読されて待ち伏せされ撃墜死した>山本の国葬が日比谷公園で執り行われた。」(168、171~172)
葬儀委員長は米内光政。
皇族・華族以外で、国葬<(注18)>とされたのは終戦までは山本だけであった。
(注18)山本五十六までの国葬一覧:大久保利通、岩倉具視、島津久光、三条実美、熾仁親王、能久親王、毛利元徳、英照皇太后、島津忠義、彰仁親王、伊藤博文、明治天皇、威仁親王、昭憲皇太后、大山巌、李熈(元韓国皇帝 高宗)、山縣有朋、貞愛親王、松方正義、李坧(元韓国皇帝純宗)、大正天皇、東郷平八郎、西園寺公望
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E8%91%AC
⇒「第二次世界大戦当時においては、ゲームチェンジャーはおそらく航空機と潜水艦という理解ですが、<日本の場合、>航空機については最大限活用でき、一方、潜水艦は活用できなかったと考えられます。」
http://www.nids.mod.go.jp/pdf/20220531_pacificwar80th_roundtable2.pdf
という次第であり、潜水艦の非活用に関しては全面的に帝国海軍がその責めを負わなければならないところ、暗号解読に関しての帝国海軍のお粗末ぶりは余りにもひど過ぎます。
「国務省のストリップ<(最高強度)>暗号<解読>は<帝国>陸軍の担当と推定されている<ところ、日本が>・・・アメリカ国務省の暗号を・・・解読していたことは確実である。」(森山優(注19)「戦前期における日本の暗号解読能力に関する基礎研究」(2004年)より)
https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwiG6P-iwe76AhXvqVYBHaJECN84FBAWegQICBAB&url=https%3A%2F%2Fu-shizuoka-ken.repo.nii.ac.jp%2F%3Faction%3Drepository_action_common_download%26item_id%3D1029%26item_no%3D1%26attribute_id%3D40%26file_no%3D1&usg=AOvVaw2u6s-eW91NcVmcQOIlpZ3K
ことと比較して、それは、同じ国の同じ時期の軍隊とは思えないほど能力面での落差が陸海軍間にあったことを示しています。(太田)
(注19)(あつし。1962年~)。西南学院大文卒、九大院博士課程修了、同大博士(文学)、静岡県立大講師、准教授、教授。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%B1%B1%E5%84%AA
(続く)