太田述正コラム#13074(2022.10.23)
<工藤美知尋『海軍大将 井上成美』を読む(その1)>(2023.1.17公開)
1 始めに
お約束の三連荘の最終シリーズです。
著者の工藤美知尋については、たまたま前回(コラム#13072で)紹介したばかりです。
また、井上成美については、コラム#12790参照。
2 『海軍大将 井上成美』を読む
「日本海軍にあって井上成美(しげよし)ほど、日本が対米英戦争に突入すれば必ず敗北すると確信していた提督はいなかった。・・・
⇒どうやってそれを調べたのだ、から始まり、軍事的敗北はしても戦争目的を達成する場合・・政治的に勝利する場合・・があるところ、この場合の「敗北」とはどちらを指しているのか、そもそも、対米英戦争で軍事的に勝てると思っていた提督がいたとすればその方が驚きだが・・、等々、ツッコミどころ満載です。(太田)
<海兵での>成績の順位は、「士官番号」通称「ハンモックナンバー」と称され、海軍士官には終生つきまとった。
⇒工藤は、「ハンモックナンバーとは、大日本帝国海軍における 『海軍兵学校(以下「兵学校」)の卒業席次』、または 『兵学校同期生間の先任順位』 の通称」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%A2%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC
である以上、ここで、狭義のハンモックナンバー、と、広義のハンモックナンバー(士官番号)、のどちらの意味で使っているのかを明らかにすべきでした。
狭義であれば「終生つきまと」うわけではありませんし、広義であれば、「海軍士官」だけでなく陸軍士官にだって「終生つきまとうのですが・・。(太田)
この席次によって、公式の序列はもとより士官食堂の席まで決まった。・・・
⇒ここから、工藤は、広義の意味で使っているらしいことが窺えます。(太田)
井上が海軍兵学校に入学した当時の<合格>率は、<35期:7.8%、36期:7.5%、37期(井上の期):6.0%、38期:5.1%、39期:5.1%、40期:5.2%。>
海兵の<合格>率は、大正期に入ると<5%を下回り>、<2.5%>近くまで・・・<下がっ>た。
この理由としては、日清・日露戦争での日本海軍の完勝ぶりもさることながら、休暇で帰省した際の兵学校生徒の短衣、短剣の粋な姿が江田島の宣伝に大いに役立つことになったからである。
格好がいい兵学校生徒は、全国の子女の憧れの的であった<(注1)>。・・・
(注1)「濃紺の制服上衣(写真上)は、腰までの丈の短ジャケットで、鉤ホック留めの正面中央と襟、袖に黒い縁取りがめぐらされていました。基本的には丈の長さ以外、海軍の第一種軍装そっくりです。・・・
6月から9月までは<ボタン留めの>白の制服を着用します。・・・
第一種軍装(冬服)<は、>・・・ボタンの節約のために前開きフック止めになったという、日本の経済事情を反映していました。要するに当時の日本は貧しく、華美な制服を制定するだけの余裕がなかったということです。」
https://ameblo.jp/zipang-analyzing/entry-11618161365.html
この頃の一般中学生が志願した旧制高等学校の全国平均倍率は<16%弱>だった。・・・
当時の兵学校では、在校中現役からすんなり入れる者は約14<%>しかおらず、今でいうところの一浪、二浪で受験する若者が多数いた。
成美の時も、一年浪人が52<%>、二年浪人が28<%>、三年浪人は6<%>で、中学校からストレートで合格した者はわずか10<%>に過ぎなかった。」(7、23~24)
⇒井上成美は、中学をいわゆる四修で海兵に合格し入校しており、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E6%88%90%E7%BE%8E ※
「ストレートで合格した者」に中学を卒業した時点で初受験して合格・入校した者が含まれているのかどうか、また、「・・年浪人」中に中学四年生の時に初受験して落ち、中学を卒業した時点で再受験して合格・入校した者が含まれているのかどうか、等を工藤が明らかにしていないのは杜撰です。(太田)
(続く)