太田述正コラム#13104(2022.11.7)
<工藤美知尋『海軍大将 井上成美』を読む(その16)>(2023.2.2公開)
「・・・昭和21年1月17日、旧海軍大臣官邸で開かれた「旧海軍首脳部座談会」において井上は、「私は、ドイツが対英米戦を開始した時、日本が自動的に英米と戦う義務を負うということは、『火中の栗を拾うようなものだ』として反対した。国軍の本質は国家の存立を擁護するにある。他国の戦いに馳せ参ずるが如きは、その本質に違反する。したがって第一次世界大戦に日本が参戦したのは邪道であった。海軍が同盟に反対する主たる理由は、国軍と言う根本観念から発する。具体的には自動参戦の問題であった。たとえ締約国が他国より攻撃された場合においても自動参戦は絶対に不賛成であり、これだけは最後まで堅持して譲らなかった。最高戦争指導会議では陸軍から何回も執拗に追及されたが、海軍が最後まで譲らなかったのは、自動参戦をすれば日本は戦争に引き込まれるということが自明だったからである」と述べている。・・・
⇒堀悌吉を思い起こさせる(コラム#省略)、ちょっと信じがたいほどの暴論です。
日本がかつて加盟していた日英同盟だって、1902年の第一次同盟の時から自動参戦条項付きだったというのに・・。
但し、「締結国が他国(1国)の侵略的行動(対象地域は中国・朝鮮)に対応して交戦に至った場合は、同盟国は中立を守ることで、それ以上の他国の参戦を防止すること、さらに2国以上との交戦となった場合には同盟国は締結国を助けて参戦することを義務づけたもの」であった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%8B%B1%E5%90%8C%E7%9B%9F
ところ、いずれにせよ、この同盟のおかげで日本は日露戦争に勝利できたのですからね。
なお、1905年の第二次同盟では、「締結国が他の国1国以上と交戦した場合は、同盟国はこれを助けて参戦する」攻守同盟となり、1911年の第三次同盟では米国が交戦相手国の対象外とされました。(上掲)
もとより、攻守同盟に反対すること、そして、それに基づくところの第一次世界大戦への参戦を非難すること、は一つの見識であることは私も認めますが、自動参戦すべてを否定してしまっては、(それなくしては不可能であったところの)日露戦争を日本が戦ったことさえ井上は非難していることになりかねません。
井上は光栄ある孤立
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%84%E5%85%89%E3%81%82%E3%82%8B%E5%AD%A4%E7%AB%8B
時代の英国を理想視しているのかもしれませんが、当時の英国は世界覇権国だったからこそそんなことが可能であったのであって、その英国は、「<米>国やドイツ帝国といった後発国の発展により、1870年代頃から<英国>の圧倒的な軍事的・経済的優位にも翳りが見え始め<、>更にドイツを中心とした三国同盟とフランスを中心とする露仏同盟が形成されると、<欧州>の主要国のほとんどがそのいずれかに傾斜するようになり、<英国>の<欧州>外交における孤立が深刻化してき・・・<たところへ、>ボーア戦争で予想に反した苦戦と消耗を強いられた事により、非同盟政策の前提であるヘゲモニー保持に不安の見え始めた<英国>は<、>・・・1902年、光栄ある孤立を放棄し、ロシアの南下(南下政策)に対する備えとして、・・・極東においてロシアと対立の深まりつつあった日本と日英同盟を結ぶことにより孤立は終結することとな<った>」(上掲)というのですから、地域覇権国とさえ言えなかった当時の日本は、むしろ、積極的に同盟相手を探さなければならない立場だったのです。(太田)
昭和15年9月、日独伊三国軍事同盟を締結した松岡洋右外相が、「日独伊三国が手を握れば、米国は引っ込んでしまう」ということを伝え聞いた井上は、「こういうのを痴人の夢というんだよ」と言って嘆息した。」(174~175)
⇒井上よりももっとひどい暴論を吐く著名人もいた、というわけですが、英米は同盟関係にはないものの、日本が英国を攻撃すれば米国も対日参戦する、という「英米一体論」を井上は信じていたのに対し、「松岡・・・は「英米一体論」を強く批判し」ていた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E6%B4%8B%E5%8F%B3
ことからすれば、この問題では、両者は五十歩百歩であると言っていいでしょう。
なお、「もし日本が東南アジアのイギリス軍と戦争になっても、アメリカは参戦してこないだろうという「米英可分論」は昭和初期ごろからあり、おもに陸軍が唱えていた。・・・では「米英不可分論」、つまりアメリカが参戦してくるぞというのは誰が唱えたのか。それは海軍だった。」
https://jpreki.com/daitoua1/
的な文章はネット上にいくらでも見出すことができ、だからこそ、私は、井上も「英米一体論」を採っていたと見ているのですが、きちんとした典拠を探しているところです。(太田)
(続く)