太田述正コラム#2007(2007.8.18)
<防衛次官人事問題(続x4)>
1 始めに
 最初に訂正があります。
 以前(コラム#2000で)、
 「的場氏は、前任者までずっと、旧内務省及びその流れを汲む官庁出身者の指定席だった事務担当官房副長官職に、初めて旧大蔵省出身者として就いたことからすれば、守屋氏の後任に大蔵省出身の飯原一樹(1974年入省)防衛省人事教育局長(前防衛局長。防衛庁採用の山崎運用企画局長と同期)ではなく、旧内務省の流れを汲む警察庁出身の西川氏が擬せられていることに不快感を表明した、とかんぐられても仕方ないでしょう。」
と記しましたが、飯原氏は、人事教育局長の後、経理装備局長を経て、今年7月10日防衛省を去っています。
 とんだ間違いでお恥ずかしい次第です。
 ところで、指定職クラスで防衛省(庁)に送り込まれた旧大蔵官僚で、次官にならなかったのは、飯原氏が初めてではないでしょうか。
 しかも、防衛省を去るまでの経緯を見ると、防衛局長から人事教育局長、更に一年で経理装備局長へと降格を繰り返した挙げ句、経理装備局長一年で防衛省を去っています。(ちなみに、防衛省(庁)では、官房長が筆頭局長です。)
 こんな異常な人事を、これまでほとんどマスコミが問題にしなかったのはおかしい。
 いかに、平素、人々が防衛省内の人事などに興味がないか、ということでしょう。
 経理装備局長の後任には、金融庁から中江公一氏(旧大蔵省1976年採用。54歳)が送り込まれています。
 以上のことを頭に入れておくと、今度の防衛省次官人事の真相が見えてきます。
2 次官人事の真相
 的場氏の内閣官房副長官(事務担当。官僚の最上級職)への旧大蔵省出身者としての初就任に象徴されているように、小泉、安倍政権を後ろから操っているのは旧大蔵省勢力であることは、私がこれまで何度も指摘してきたところです。
 これに危機感を抱く旧内務省勢力(警察庁、総務省内の旧自治省系、厚生労働省等)(注1)は必死に巻き返しを図っているはずです。
 (注1)少なくとも私の役人時代には、旧内務省勢力は、官庁を横断した「内政関係者名簿」・・旧内務省系キャリア名簿・・をつくり、毎年更新していた。現在でもそのはずだ。
 守屋氏は、防衛次官は防衛省プロパーで独占すべきであるとの信念に基づき、この二大勢力の対立を利用し、かつ政治家の力も借りて、2005年の夏にまず旧自治省出身の山中昭栄防衛施設庁長官(1972年採用)を追放することに成功(注2)します。
 (注2)この時は普天間移転問題での路線対立が背景にあっただけにさすがに話題になった(
http://sekigumi.ti-da.net/e766002.html
。8月17日アクセス)。今回またも普天間移転問題で一騒動あったわけだ。
 次いで守屋氏は、旧大蔵省出身者と防衛省(庁)プロパーが代わる代わる防衛次官になるという慣例が定着しかかっていたのを壊しにかかり、今度は旧大蔵省出身の飯原氏を防衛省から追放することに成功した、ということではないでしょうか。
 もっとも、その守屋氏も、飯原氏の後任として、再び旧大蔵省出身者を受け容れざるを得ませんでした。将来次官にするという確約は与えずに受け容れたのでしょう。予算を人質にされている以上、やむをえなかったと思われます(注3)。
 
 (注3)飯原氏は財務省に戻り、中江氏は金融庁から送り込まれた。財務・金融両省庁の人事が一体のものとして行われている証拠だ。
 以上の結果、警察庁出身の西川氏(1972年採用)は、好むと好まざるとにかかわらず、防衛省内での旧内務省勢力の巻き返しを図る役割を負わされに至っていた、と考えられるのです(注4)。
 (注4)もともと防衛省(庁)は「警察」予備隊として発足したことを思い出していただきたい。戦前の軍と内務省(警察)の対立を引きずり、戦後、内務省(警察)系勢力は、長きにわたり、防衛次官職を独占し、「軍」を支配してきた。ところがやがて大蔵省勢力の「侵攻」を受けることとなり、最近では、旧大蔵省出身者と防衛省プロパーが次官を交代で務める慣例が定着しかかっていた、ということだ。
 また、当然中江氏は、旧大蔵省勢力による防衛次官職再奪取の機会をうかがうように言い含められていたことでしょう。
 さて、今回の人事のキーマンであると私が見ているのが旧大蔵省出身の的場氏です。
 小池案の守屋退任にはほくそ笑みつつ、的場氏は、警察庁出身の西川氏の次官登用には拒否反応を示したはずです。(それが予想できたからこそ、小池氏は内閣官房をすっとばして安倍首相に直接話を持ち込んだのだと思います。)
 そこで的場氏は、もともと小池氏と反りが合わない塩崎官房長官を焚きつけて人事検討会議開催を拒否させた、ということではないでしょうか(注5)。
 (注5)守屋氏が「「守屋退任・西川昇格」の人事案件を正式に首相官邸に提示することを拒」むなどということができた(
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070817i206.htm
。8月18日アクセス)のは、的場氏の意向を受けていたからではなかったかとすら私は勘ぐっている。
 その上で的場氏は、西川氏をはずす線で塩崎官房長官から安倍首相に話を上げさせ、了解をとりつけることで守屋氏に恩を売り、守屋氏に第三の次官候補を提出させる、あるいは増田氏を的場氏の方から指名する、とともに中江氏を次の次の次官ぶくみで(西川氏の後任として)官房長に昇格させる案をつくることを守屋氏に強引に受け容れさせた、と考えれば、すべての説明がつきます(注6)。
 (注6)「首相は17日朝、塩崎官房長官に同日中の決着を指示。検討会議の結果、守屋氏退任は認めるが、後任に西川氏以外を検討するよう小池氏に伝えた。これを受け、守屋氏が同日午後、自らが退任し て増田氏を後任とする案を首相官邸に届け、同会議も了承した。」という報道(
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070817i211.htm
。8月18日アクセス)をどう読むか、ということだ。わずか一ヶ月前に防衛省に送り込まれたばかりで、経理装備局長に在籍することわずか一ヶ月の中江氏を筆頭局長の官房長に昇格させる異常さを思え。
 以上の私の推理が正しいとすれば、恐るべし旧大蔵省勢力、危ういかな旧大蔵省勢力の掌の上で踊らされている自民党政権、ということになります。