太田述正コラム#13118(2022.11.14)
<工藤美知尋『海軍大将 井上成美』を読む(その23)>(2023.2.9公開)

 「・・・<1940年>10月14日夜、原田熊雄と懇談した際、五十六は次のように述べた。
 「・・・ソヴィエトと不可侵条約を結んでも、ソヴィエトなどと言ふものは当てになるもんじゃない。アメリカと戦争しているうちに、その条約を守って後ろから出てこない、と言ふことをどうして誰が保証するのか。結局自分は、・・・長門の艦上で討ち死にするだろう。その間に、東京あたりは三度ぐらい丸焼けにされて、非常にみじめな目に合ふだろう。そうして結果において近衛だのなんかが気の毒だけれども、国民から八つ裂きにされるやうな事になりゃせんか。・・・」

⇒引用最終文以外は間違っていなかったわけですが、引用最終文は間違っていましたよね。
 結局、その程度の内外情勢分析能力しか、山本を含む当時の海軍将官達は持ち合わせていなかった、ということでしょう。
 だからこそ、いずれソ連とも戦うことになる、換言すれば、軍事的には必敗の対英米戦争に陸軍がどうして乗り出そうとしているのかを(陸軍から情報収集して)解明する、という程度の才覚すら彼らは持ち合わせていなかったのだろう、と、言っておきましょう。(太田)

昭和14年(1939年)10月23日、井上成美は海軍省軍務局長から支那方面艦隊<(注37)>参謀長兼第三艦隊参謀長に補された。

 (注37)「1932年(昭和7年)1月に第一次上海事変が勃発し、日本海軍は中国大陸での事変拡大に備えて第三艦隊を新編した。1937年(昭和12年)7月の盧溝橋事件が発端となって日華事変が拡大すると同年10月20日に第四艦隊が新編され、第三艦隊と第四艦隊を統轄する支那方面艦隊も同日附で新編された。翌年2月1日には第五艦隊が新編され支那方面艦隊に編入され、支那方面艦隊(第三艦隊、第四艦隊、第五艦隊)は連合艦隊に匹敵する大部隊となった。
 支那方面艦隊に戦力が集中した状態を是正するため、1939年(昭和14年)11月15日附で第三艦隊は第一遣支艦隊に、第四艦隊は第三遣支艦隊に(同日附で中部太平洋を担当する第四艦隊を新編)、第五艦隊は第二遣支艦隊に改名した。支那方面艦隊は三個遣支艦隊を統轄したが、太平洋戦争開戦後は1942年(昭和17年)4月10日に第三遣支艦隊が、1943年(昭和18年)8月20日に第一遣支艦隊が解隊された。最終的に支那方面艦隊の麾下にあったのは第二遣支艦隊だけであった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E9%82%A3%E6%96%B9%E9%9D%A2%E8%89%A6%E9%9A%8A

 この人事の裏には、日独伊三国軍事同盟阻止に体を張った井上がテロの標的になっていることを案じた米内海相の配慮があった。・・・
 第二次近衛内閣<が成立した後、>・・・東京の大本営にドイツ軍の快進撃の情報が頻りに入って来たころ、支那方面艦隊の参謀をしていた中山定義<(注38)>少佐は井上に所感を求めた。

 (注38)1905~1995年。海兵54期(3番)、海大36期(卒業せず)。「海軍省軍務局で米内光政、井上成美、高木惣吉、横山一郎などに重用され、終戦に至る数々の機密事項に関与した。また海軍の伝統的な「陸軍嫌い」から陸軍内部の情報が乏しいと感じ、自ら陸軍軍務局の政治将校に近づき彼らから情報を収集したりしている。その中には宮城事件を起こす椎崎二郎中佐、畑中健二少佐もおり、東京が空襲で焼け野原になってもなお「神洲不滅論」を振り回し本土決戦を主張する彼らに対して数字や戦史を以て説得するも全く効果がなく、『海軍が(本土決戦)に反対ならまず海軍を抹殺する』という彼らの言葉(中山自身はこれを「二・二六病」と表現している)に完全に呆れつつも、「陸軍中堅層が本土決戦に持ち込むつもりなのは事実で、正気かどうかはさておき本気です」と米内や井上など上層部に報告したりしている。
 戦後、公職追放を経て、その後は中山は尊敬する海軍の先輩である野村吉三郎の勧めもあり海上自衛隊に入隊。海軍在職中の経歴により、入隊後に超特急昇任を果たしたとされる。・・・
 第4代海上幕僚長。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%AE%9A%E7%BE%A9

⇒対英米戦が始まった頃になって、ようやく、中山のような、比較的まともな海軍将校が出現したものの、彼が、陸軍が「正気」である可能性を追究しようとまではしなかった点が「比較的」を付けざるを得ないゆえんです。(太田)

 すると即座に井上は、「ドイツ軍は必ず負けるよ」と明瞭に答えた。」(193、201、205)

⇒こんなことだって、まともな国際情勢分析能力がある人間であって、しかも、軍事的素養があれば、言えることですが、ここでも、山本らについて記したことと同じことを指摘しなければならないでしょう。
 井上が、そんなドイツと陸軍は同盟を結ぼうとしている(結ばせた?)理由が何であるのかを解明しようとする才覚すら持ち合わせていなかったようであるのは嘆かわしい限りだ、と。(太田)

(続く)