太田述正コラム#2015(2007.8.22)
<防衛次官人事問題(続x7)>
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1 始めに
本シリーズご愛読の皆さん。
コラム#2002の「過去・現在・未来(続)」の後半でも防衛次官人事問題を論じていることにご注意下さい。
さて、前回、本件に係る新聞・政治家の月旦を行いましたが、単に私の考えと同じ側を誉め、異なる側を貶している、という風に受け止めている方はおられないでしょうね。
小池氏を支持するのか守屋氏を支持するのかは、まさに見識の有無の問題であり、守屋氏を支持する側は、組織のガバナンスや人格のインテグリティーの何たるかが全く分かっておらず、従って、彼らの「見解」なるものは、全く傾聴に値しない謬見だ、ということなのです。
守屋氏を支持する側に吉田ドクトリン信奉者が多く、かつ彼らの間で腐敗が見え隠れしているのは決して偶然ではありません。
吉田ドクトリンを信奉するということは国家のガバナンスを放擲することですし、腐敗は組織のガバナンス不全や人格のインテグリティー不全がもたらすものだからです。
2 本件を通じての新聞・政治家の月旦
(1)朝日新聞
本日朝のTV朝日の「やじうまプラス」でコメンテーターの大谷昭宏氏が、本件で小池氏を批判していました。氏は同時に、安倍首相の憲法9条改正や集団自衛権に係る政府解釈変更へのイニシアティブを批判していました。
大谷氏は独立した評論家であり(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%98%AD%E5%AE%8F
。8月22日アクセス)、田岡氏や朝日の本件に係る社説を書いた論説委員のように、朝日新聞の社員として朝日の社の方針に従って動いている、とは考えにくいけれど、大谷氏が上述のような発言をすることを番組のディレクターが期待し、容認していることは間違いありません。
これでは、まるで朝日はタリバンの巣窟みたいではありませんか。
朝日の内部から批判の声を挙げる気骨ある人間はいないのでしょうか。
(2)塩崎 恭久
塩崎官房長官は、本件で守屋氏の側に立っただけでなく、そのことで安倍首相にも多大の迷惑をかけたことはご承知のとおりです。
その塩崎氏は、高校時代や浪人時代は全共闘の闘士でした。
にもかかわらず、彼は、東大教養学科を卒業し日銀に勤務してから、ちゃっかり父親の塩崎潤の後を継いで政治家への転身を果たしています。
全共闘時代の母斑を残しているに違いない彼が吉田ドクトリンの信奉者であっても不思議ではありませんし、また苦労知らずのお坊ちゃんだからこそ組織のガバナンスや人格のインテグリティーの何たるかが分かっていないのではないでしょうか。
塩崎氏が一貫して「ハト派」の宏池会系の派閥に属してきたことは、彼が吉田ドクトリン信奉者であることを裏付けているように思いますし、部下の使い込みを伴った事務所費問題が露見したこと(
http://www.asahi.com/politics/update/0821/TKY200708210415.html
。8月22日アクセス)は、彼がガバナンスやインテグリティーと無縁の人物であることを裏付けているように思います。
こんな彼が、カイロ大学卒で真に国際感覚を身につけており、かつ政治家としてはたたき上げである小池氏と反りが合わないのも、また、本件で「日米同盟空洞化」と「防衛利権癒着構造」を放置してきた守屋氏側に与したのも、分かるような気がしてきませんか。
ところで、首相と官房長官の所属派閥が異なるのは極めてめずらしいことです。
これは自民党の派閥が崩壊しつつあることの反映では必ずしもありません。
「タカ派」の安倍氏が、本来最も基本的な所で相容れないはずの「ハト派」の塩崎氏を女房役の官房長官に選んだことは、安倍氏のお友達フェティシズムの現われであると同時に、安倍氏の「タカ派」志向はその程度のものでしかないことを示している、と言わざるをえません。
(以上、特に断っていない限り
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E5%B4%8E%E6%81%AD%E4%B9%85
(8月22日アクセス)による。)
(3)竹中平蔵
竹中氏を政治家の範疇に入れてよいか議論のあるところでしょうが、本件に関する日経ネットPlusへの以下の寄稿を見る限り、私は彼を高い見識を持った政治家であると評価すべきであると思います。
「そもそも人事は人事権者が決めるものであって、人事権を持つ大臣が自らの責任と権限で行なえばいいことである。したがって、防衛相に異を唱える次官の方がおかしい
一部のマスコミは、防衛省幹部のコメントを面白おかしく伝え、防衛相を批判したが、まずこうしたメディアの見識を疑いたい。私自身の経験からも、官僚と相談して人事を決めるなど、ありえない。大臣が責任を持って人事を推進するという意味で、私は防衛相の姿勢を評価したいと思う。加えて、防衛の分野はいわゆる「文民統制」が徹底されねばならない。その意味でも、大臣に対して・・批判するなどあってはならないことだった。
<次に、>防衛相が官邸に根回ししていなかった、という批判がある。・・この点については、防衛相があえて官邸に十分知らせなかった、と私は考える。これも、自身の経験から言えば、官邸に伝えた瞬間に外部に漏れ、構想つぶしが始まる可能性があるからだ。官邸とひと口に言うが、首相・官房長官以外は基本的に官僚の集団である。しかも官邸官僚は、財務省出身者を中心に霞が関官僚組織の総指令本部のような性格を有している。大臣が官僚集団と妥協せずに、独自の政策や人事を実行しようと強く決意すればするほど、官邸への根回しのタイミングが早すぎてはならないことに気づく。防衛相ほどの経験を有する政治家であれば、そう判断していたとみるべきではないか。
<また>私は、防衛相は官邸官僚にあえて根回しを回避しながら、安倍首相には意向を伝えていたように思える。その際、やはり官房長官にも伝えておく必要はあった。報道されている通りなら、この点の防衛相の行動はやや理解が難しい。同様に、官房長官としては、自分に根回しがなかったことについてマスコミに明らかにする必要は全くなかった。本人に伝えれば済むことである。なぜ記者会見で話して問題を大きくしたのか、この点も理解が難しい。結果的に、内閣の不協和音のような形で報じられたのが、残念な姿であることは否定しない。しかし、そもそも人事は人事権を持つ大臣が決めるのであり、官僚の口出しする問題ではない。この点に加え、官邸への根回しを人事検討会議の直前までしないということについても、それなりの意味があると理解させるべきではなかろうか。」(
http://netplus.nikkei.co.jp/forum/academy/t_70/e_596.php
。8月22日アクセス)
竹中氏の前半生をご覧下さい。
1951年に和歌山県和歌山市にある商店街の靴屋の次男として生まれ、一橋大学経済学部にそ卒業し、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行。ハーバード大学に留学するも博士候補者試験に合格することができず、学位取得を断念し帰国。その後、留学中の研究成果にて、サントリー学芸賞を受賞。1987年に大阪大学経済学部助教授に就任し、以降研究者としての道を歩む。一橋大学にサントリー学芸賞受賞論文を提出し博士 (経済学)の取得を試みたものの、教授会の審査を通らず、一橋大学での博士号取得を断念。後年、大阪大学にて博士 (経済学)を取得。(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E8%94%B5
。8月22日アクセス)
どうです。
間違ってもお坊ちゃんじゃないし、研究者として大変な辛酸を舐めた人であることが分かりますね。この間恐らく人脈形成と自己アッピールに努めたおかげで、後半生の「栄達」があったのでしょう。
塩崎氏と比較してください。
防衛次官人事問題(続x7)
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