太田述正コラム#13124(2022.11.17)
<工藤美知尋『海軍大将 井上成美』を読む(その26)>(2023.2.12公開)
「この「新軍備計画論」は、日本海軍の伝統的戦略思想である速戦決戦主義、主力艦決戦主義を根底から覆すものであった。
この考え方に従えば、いまだに航空兵力が十分整っていない日本海軍としては、対米戦争などは絶対に不可と結論づけられるはずのものであった。
ところがこの井上の意見書が、日本海軍の戦略の中核に採り上げられることはなかった。
海軍首脳からは完全に黙殺された。」(215)
⇒高木武雄のウィキペディア執筆者達は、「この頃の情勢として対米戦は必至と考えられており、井上の意見書は対米戦の非現実さを軍備計画の観点から意見具申したものと考えられ、高木の軍備計画は軍令部の主務者としての精一杯の計画だった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9C%A8%E6%AD%A6%E9%9B%84
と、高木らを擁護していますが、私も同感です。
現在においても、まだ、米国は、経済、科学、軍事の世界最先進国ですが、1940年当時、既にそうでした。
1929年の大恐慌による経済の落ち込みからまだ回復していなかったけれど、世界一の経済大国でしたし、科学においても世界一でした。
例えば、ノーベル物理学賞で言うと、1921~1940年の受賞者
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E8%B3%9E%E5%8F%97%E8%B3%9E%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
数こそ、米国と英国が1位でどちらも5人ですが、1941年の時点で、ドイツのアインシュタイン、デンマークのニールス・ボーア、ドイツのジェイムス・フランク、フランスのジャン・ぺラン、オーストリア人のヴィクトール・フランツ・ヘス、イタリアのエンリコ・フェルミ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%83%B3
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%98%E3%82%B9
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9F
が、米国に居住していたことが示すように、ナチスドイツのユダヤ人迫害の影響等で欧州から科学者が米国に流入してきていたことから、ダントツの1位だったと言っていいでしょう。
また、軍事においては、既に第二次世界大戦が始まっており、まだ平時であった米国は、兵力量においては、陸軍はもとより、海軍もワンオブゼムに過ぎなかったけれど、米国がマハン(1840~1914年)の国であって「日本海軍の兵学思想<が>マハンの影響を最も強く受け<ていた>」
https://kotobank.jp/word/%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%B3-137082
ことから、日本の海軍軍人達は米海軍に対して畏敬の念を抱いていたはずです。
その米国の第三次ヴィンソン案にせよスターク案にせよ、戦艦の建造が盛り込まれていたのですから、日本のマル5計画から戦艦を落とすなどという大胆な発想が整備企画担当者達に生れるわけがありませんでした。
仮に彼らがそのような発想ができたとしても、日本が戦艦の建造を止めたことが米国に伝われば、そのことから、米海軍に帝国海軍が航空中心の新たな作戦構想を抱くに至ったことが分かってしまい、米海軍自身が、作戦構想を変えたり、また、整備計画を修正したりする恐れがあっただけになおさらです。
実際、マル5計画を井上の主張に沿って修正していたならば、空母から艦載機を発進させて重要軍港に係留中の米艦群を叩くという真珠湾奇襲作戦的なものは、米海軍が予想して対処措置をとって、実行不可能になっていたかもしれません。(太田)
(続く)