太田述正コラム#2021(2007.8.25)
<退行する米国(その3)>
4 日本での反応
(1)日本のメディアの無反応
日本のメディアは、私の気付いている範囲では、無反応に近いと言ってよいでしょう。 米国の植民地根性、ここにきわまれり、といったところです。
そもそも、主要紙の電子版では、ブッシュ演説を取り上げたのは朝日と讀賣くらいにとどまっています。
その讀賣だって、日本への言及部分とベトナム戦争への言及部分を論評無しに紹介した(
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070823id21.htm
。8月24日アクセス)だけです。
これに対して朝日は、「<ブッシュ演説では、日本で>大正デモクラシーを経て普通選挙が実施されていた史実は完全に無視され、戦前の日本は民主主義ではなかった、という前提<だ>。<しかもブッシュは、>「日本人自身も民主化するとは思っていなかった」とまで語った。・・今回の演説は日本を含めた諸外国の歴史や文化への無理解をさらした。・・戦前の日本を国際テロ組織アルカイダになぞらえ、粗雑な歴史観を露呈した。<これは、>米軍撤退論が勢いを増す中でブッシュ氏の苦境を示すものでもある。」とブッシュを激しく批判しました(注1)(
http://www.asahi.com/international/update/0824/TKY200708240002.html?ref=goo
。8月24日アクセス)。
(注1)その前日にもいち早く朝日は、演説の日本言及部分を電子版で報じた(
http://www.asahi.com/international/update/0823/TKY200708220378.html
。8月23日アクセス)。
朝日は、防衛次官人事報道での汚名をこれでかなり挽回できたと言えるでしょう。
(2)安倍首相のコルカタ訪問
ずっと以前から決まっていた日程をこなしただけとはいえ、安倍首相の訪印、とりわけコルカタでのパール(Radhabinod Pal)判事やチャンドラ・ボース(Subhash Chandra Bose)の遺族との面会は、ブッシュの先の大戦観に冷水を浴びせた格好であり、よくやったと言いたくなります。
ところが、日本の主要紙の電子版は、この首相のコルカタ訪問についても、最低限の事実を報じているだけ(注2)であり、呆れました。
(注2)例えば、http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20070824AT3S2300V23082007.html(8月24日アクセス)を見よ。
というのも、この訪問は、世界でかなり大きな話題になっているからです。
英国ではBBCとファイナンシャルタイムスがいち早く報じましたし、米国ではニューヨークタイムスが報じました。
また、AFPの記事が台北タイムス等、中東を含むアジア全域でキャリーされて報じられたのです。(インターネットをブラウズして確認した。)
大事なことは、これらが、パールの日本無罪論やボースと日本軍との協力の事実を世界中の人に、かなり詳細に報じたということです。
しかも、この中でファイナンシャルタイムスは、2005年の小泉首相の訪印の際、インドのシン首相が、歓迎の宴において、極東裁判において表明されたパール判事の見解は、「インド国民が日本に対して抱き続けている敬意(affection)を象徴するものです」と述べたこと、つまりはインドの人々もブッシュのそれとは異なった先の大戦観を抱いている、という事実を報じています。
また、BBCは、その後のパール判事と(A級戦犯であった)岸信介首相の交友に触れつつ、パール判事の息子さん(弁護士。81歳)の、「私は父親による正しく正義にかなった貢献が、<日本で>今でも記憶されていることを誇りに思います。一方の戦争犯罪だけが咎められてもう一方はお咎めなしなんてことが許されてよいはずがありません。・・安倍首相にお目にかかれたのはまことに光栄です。もう死んでもいいくらいの気持ちです。」という言葉を紹介しています。
AFPの記事は、ボースの義理の姪(コルカタのボース記念館を運営する財団の理事長。76歳)の、「われわれはとても興奮しています。<安倍首相の来館>は真に歴史的な瞬間であると言えるでしょう。・・これはベンガル地方が現代日印関係の構築に果たした役割が認められたということです。」という言葉や、ボースの甥の、「(ボース一族は、)この安倍首相の比類ない行い(gesture)に深く感謝しています。・・日本がボースによる支援を記憶し続けている以上、われわれインド人としても、ボースが英国の植民地支配と戦うためにインド国民軍を編成するのを、日本が助けてくれたことを記憶し続けなければなりません。」という言葉を紹介しています(注3)。
(以上、特に断っていない限り
http://www.ft.com/cms/s/0/8d91ce62-518f-11dc-8779-0000779fd2ac.html、
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/6960017.stm
(どちらも8月24日アクセス)、及び
http://www.nytimes.com/2007/08/24/world/asia/24japan.html?_r=1&oref=slogin&ref=world&pagewanted=print、
http://www.taipeitimes.com/News/world/archives/2007/08/24/2003375609
(8月25日アクセス)による。)
(注3)安倍首相がボース記念館(Netaji Museum)を訪問した際、このボースの義理の姪の息子のハーバード大学歴史学教授も安倍首相を接遇した。ちなみに、1988年の秋に私は英国防大学の研修団の一員としてコルカタを訪問し、ビクトリア記念館でのボース関係展示に感動したことがある(コラム#14)。その後で、自由時間に1人でインド博物館(INDIAN MUSEUM, KOLKATA。英国人によって創設されたアジア最古の博物館。率直に言って廃屋にガラクタが所狭しと並べられているという印象だった。)を訪問したが、国防大学のくれたコルカタ(当時はカルカッタ)の資料にも、また、英国から持参したインドの観光案内にもボース記念館は載っていなかった。英国人ならそんな所は訪問したがらないということか。載っていたら当然ボース記念館を訪問したことだろう。
(続く)
退行する米国(その3)
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