太田述正コラム#13142(2022.11.26)
<工藤美知尋『海軍大将 井上成美』を読む(その35)>(2023.2.21公開)

 「・・・就任して間もない8月のある日のこと、井上は米内海相から呼ばれて、天皇から燃料の現状について御下問があったと告げられた。
 このため井上は早速、鍋島茂明<(注62)>軍需局長を呼んで資料の作成を命ずると、鍋島が「本当のことを書きますか?」と聞いてきた。

 (注62)1890~1976年。「海軍機関少尉。海軍機関学校長。海軍章軍需局長。海軍施設本部長などを歴任」
http://www.naniwa-navy.com/bukko-nabesimakyoukan-uedal.html

 「変なことを聞くね。陛下には嘘は申し上げられない。でも何故そんなことを聞くのかね?」と問うと、鍋島は「じつは嶋田大臣の時は、いつでもメーキング(改ざん)した資料を作っていましたので…」と答えるではないか。

⇒嶋田繁太郎は、昭和天皇が実質的には最高権力者でない・・貞明皇后がそうだ・・ということを知っており、同天皇に本当のことを教える必要などないと判断していた、というわけです。(太田)

 8月29日、井上は次官就任後23日目にして初めて大臣室に行った。
 そして米内に向って、「現状はまことにひどい。私の想像以上で日本は確実に負ける。

⇒そんなことは最初から分かり切っていたわけであり、にもかかわらず、どうして及川は対英米戦を肯じてから海相を去ったのか、また、この1944年8月末の時点で、軍令部総長として、いかなる展望を持っていたのかについて、井上は(、そして米内も、)及川と、事前に忌憚のない意見交換を試みた形跡がないのは、海軍が組織として機能していない証左です。(太田)

 したがって1日でも早く戦を止める工夫をする必要がある。今から内密に終戦の研究をしますので、ご承知置き下さい。及川軍令部総長には、私から申し上げておきます」と言った、続いて井上は、この終戦研究には高木教育局長を当てたいとし、ついては高木の身分を「海軍省出仕、次官承命服務」にしたいと述べた。
 同日、井上は高木を呼んで、「事態は最悪の所まで来ている。戦局の後始末を研究しなければならんんが、現在戦争遂行に打ち込んでいる局長たちには、こんな問題を命ずるわけにはいかない。そこで大臣は君にそれをやってもらいたいとの意向だがどうかね…」と切り出した。
 これに対して高木は、「承りました。ご期待に沿えるかはわかりませんが、最善を尽くします」ときっぱり答えた。・・・
 高木には9月10日付で、「軍令部出仕兼ね海軍大学校研究部員」の肩書があたえられた。
 さらに昭和20年3月には「兼海軍省出仕」の肩書も追加された。
 その後、高木は熱海にある藤山愛一郎邸に籠って、密かに終戦構想を練ったが、その課題として次の項目を挙げた。
 (一)、陸軍をいかにして終戦に同意させるか
 (二)、国体護持と連合国側の降伏条件をいかにして調整するか
 (三)、民心の動揺と不安をいかにして防止するか
 (四)、天皇の決意をいかにして固めさせるか・・・
 昭和20年3月10日、B29による東京夜間大空襲があった。
 そんな中で3月13日、高木は「中間報告書」を作成して、米内海相および井上に提出した。
 続いて5月15日に「研究対策」、6月28日には「時局収拾対策」と題する終戦研究の報告書を提出した。

⇒時間がかかり過ぎです。(太田)

 高木の報告書によれば、沖縄戦が終わったら早急に和平に移るべきだと謳っていた。
 それには陸海の首脳同士の双方の理解が理想的であるが、陸軍の動向を事実上左右するのは中堅層であることから、この中堅との準備工作が重要であることや、最高戦争指導会議での意見の一致と部下の統制の重要性を挙げた。

⇒井上も、ということは米内も、陸軍が下剋上の組織だと思い込んでいたことを意味しますが、海軍の上澄みでさえ、身近な陸軍についてこれだけ分かっていないのですから、海軍の国内情勢や海外情勢についての判断能力のなさは明白です。
 もはや言葉を失います。(太田)

 しかし、もし意見の一致をみることが出来ず、政府内においても意見が分裂するような場合には、木戸内府の決意が上意を決する絶対条件になる事から、内大臣を味方に引き込み錦の御旗を手にすることで和平達成の決め手にしたいとした。
 さらに国策転換の梃子として、海軍の独立的存在は絶対に必要であることから、艦艇や航空機の消耗がいかに多大であっても国軍の一元化には同意せず、例え海上艦艇を失ったとしても、兵員と兵器を陸上に移して、装備の優秀なる海兵部隊を創設すべきであるとした。」(276~278)

⇒終戦を担保するために国軍の一元化に同意しないという理屈は分からないでもありませんが、「装備の優秀なる海兵部隊を創設」などできるわけがありませんし、現にそれに向けての具体的な動きはなされなかったのではないでしょうか。(太田)

(続く)