太田述正コラム#2036(2007.9.1)
<防衛次官人事問題とは何だったのか(その2)>
それは、防衛省の財・サービスの調達にできる限り市場原理を働かせるとともに、防衛省の組織を権限と情報がトップに集中するトップダウン型のものへと変革することである、ということになります。
軍隊は、権限と情報がトップに集中するトップダウン型であることが要求される最たる組織であることに鑑みれば、防衛省で他省庁や一般企業の先頭を切ってこのような変革が行われても不思議ではありません。
しかも、このような変革が実現すれば、戦後日本において欠落していた軍隊・・ただし旧軍の病理を克服した軍隊・・を復活する条件、ひいては日本が米国から独立する条件が整うことにもなるのです。
4 防衛次官人事問題とは何だったのか
小池百合子前防衛相を私が高く評価するのは、安全保障担当補佐官時代を入れても、それほど防衛問題を勉強する機会がなかったはずであるにもかかわらず、彼女が巧まずして以上のようなことをきちんと理解していたと思われるからです。
今年露見し、大問題になっているイージス艦機密情報漏洩事件で興味深いのは、漏洩した情報が中国など第三国に流出した形跡がなく、単に海上自衛隊の学校や護衛艦の関係者の間で配布されただけらしいことです(
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070828ig90.htm
(8月29日アクセス)、
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070829/shc070829000.htm
(8月31日アクセス))。
恐らく漏洩した本人も関係者も、仕事に熱心でこそあれ、罪の意識など全くなかったと思われます。
だからこそ問題は深刻なのであって、機密漏洩の根絶を期すためには、防衛省全職員の抜本的な意識改革が必要となるのです。しかし、それは容易なことではありません。
小池氏は、守屋防衛次官にはこのような問題意識が希薄であると判断し、既に次官在任が4年を超えていることもあり、警察庁採用で情報保全問題にも通暁している西川官房長を次官に登用することによって、情報保全意識改革を全省的に行うとともに、大臣がトップダウンで防衛省を取り仕切ることができる体制を確立しようとした、と思われるのです。
ところが、あろうことか守屋氏が、上司たる小池氏の人事構想に反対して、自分は辞任するけれど、後任の次官には防衛省採用の山崎局長をあててほしいと官邸等に働きかけを行い、塩崎官房長官や官僚のトップである的場官房副長官が守屋氏に同調するという大事件が起こります。
その結果、最終的には首相の意向を受けて、第3の人物であるところの防衛省採用の増田局長が次官に登用されることになったわけです。
今にして思えば、この時点で小池氏は安倍首相を見限り、大臣辞任を決意したに違いないのです。
(続く)
防衛次官人事問題とは何だったのか(その2)
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