太田述正コラム#2038(2007.9.2)
<防衛次官人事問題とは何だったのか(その3)>(2007.9.15公開)
小池氏は、8月24日に訪問先のインドで留任拒否を表明し、帰国した翌25日にその理由として、イージス艦情報漏洩事件の責任を誰もとっていないことを挙げ(
http://www.asahi.com/politics/update/0825/TKY200708250092.html
。8月26日アクセス)、また27日に退任するにあたって、「国防についてはアイ・シャル・リターン(私は必ず帰ってくる)という気持ちで頑張っていく」と述べました(
http://www.sankei.co.jp/seiji/seikyoku/070827/skk070827015.htm
。8月28日アクセス)。
これは、防衛省において情報保全意識改革を実現するという責任を、自衛隊の最高指揮官である安倍首相以下、誰も果たそうとしていないことを批判するとともに、これでは、防衛省の組織を権限と情報がトップに集中するトップダウン型のものへと変革することも、防衛省の財・サービスの調達にできる限り市場原理を導入することも不可能となったと考えざるをえないので留任を拒否する、しかし、いずれ自分が再び防衛相として、あるいは場合によっては首相として、この懸案に取り組む日が必ずやってくる、と宣言したということだと私は理解しています。
5 終わりに代えて
この防衛次官人事問題を取り仕切った振付師がいたことを忘れてはなりません。
それは、官邸内の的場官房副長官(事務担当。コラム#1423)を始めとする旧大蔵省勢力です。
彼らは、官僚機構が政治を操るという、総動員体制の残滓と言うべき下克上体制(注4)を、旧大蔵省勢力が官僚機構全体に君臨し続ける形で死守しようとしています。
(注4)政策研究大学院大学の飯尾潤教授は、日本では議会を背景とする「議院内閣制」が機能しておらず、各省庁の官僚たちの代理人が集まる「官僚内閣制」となっていると指摘している(
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070822/132811/?P=2
。8月29日アクセス)。
そのために彼らは、大蔵省不祥事を契機に金融庁を分離させられ、地盤沈下気味であった旧大蔵省勢力の再結集・再浮上に向けて着々と布石を打ってきました。
今回旧大蔵省勢力は、塩崎官房長官や安倍首相を操って小池氏の人事構想をつぶすことによって(コラム#2000)、小池氏という官僚機構に挑戦した有為の政治家を大臣辞任に追い込むとともに、旧大蔵省勢力の対抗馬である旧内務省勢力を牽制すること・・内務省系の警察庁採用の西川官房長の防衛次官昇格を阻止すること・・、と防衛省採用の防衛官僚達に貸しを作ることに成功したわけです。
今回塩崎氏に代わって官房長官に登用された与謝野馨氏は、税制改革や財政政策は財務省を中心に議論する考えを示すとともに、官僚の天下りについても霞が関寄りの姿勢を打ち出しました(
http://j.peopledaily.com.cn/2007/08/30/jp20070830_76080.html
。8月31日アクセス。
旧大蔵省勢力がほくそ笑んでいる姿が目に見えるようです。
(完)
防衛次官人事問題とは何だったのか(その3)
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