太田述正コラム#1658(2007.2.13)
<丸山真男小論(その1)>(2007.9.17公開)
1 始めに
「昭和日本のイデオロギー」シリーズを書くために、大学時代に読んだ丸山真男の本を読み返していて、吉田茂に引き続いて丸山についても、その日本の戦後史に対する功罪を記した私の寸評をご紹介すべきであると思うに至りました。
手がかりにするのは、丸山の論文集『現代政治の思想と行動』(未来社1964年)に収録されている、「軍国支配者の精神形態」(1949年)と「「現実」主義の陥穽」(1952年)です。
まず、丸山がいかなる主張をしているかをご紹介し、その上で私の批判を加えましょう。
2 丸山の主張
(1)日本的ファシズムは矮小だった
ア 始めに
ナチ最高幹部は学歴がなく、権力を掌握するまではほとんど高い地位を占めていなかった。しかも、「異常者」が多かった。日本の戦争指導者は学歴が高く、出世した人ばかりで、「異常者」はほとんど皆無だった。(「軍国支配者の精神形態」94頁)
にもかかわらず、日本の指導者達は、以下のように、ナチスの最高幹部達に比べて、非計画的であり、非論理的であり、責任回避的であった。すなわち、日本的ファシズムは、ドイツのファシズム(ナチズム)に比べて矮小であった。
イ 計画的v.非計画的
ナチスの最高幹部達は計画的に戦争を遂行したが、「<日本支配層は、>戦争を欲したにも拘らず戦争を避けようとし、戦争を避けようとしたにも拘らず戦争の道を敢て選んだのが事の実相であった。政治権力のあらゆる非計画性と非組織性にも拘らずそれはまぎれもなく戦争へと方向づけられていた。いな、敢て逆説的表現を用いるならば、まさにそうした非計画性こそが「共同謀議」を推進せしめて行つたのである。ここに日本の「体制」の最も深い病理が存する。東京裁判の厖大な記録はわれわれにこの逆説的真理をあますところなく物語ってくれる。」(同91~92頁)
ウ 論理的v.非論理的
「<ナチス最高幹部達は>は罪の意識に真向から挑戦することによってそれに打ち克とうとするのに対して、<日本支配層>は自己の行動に絶えず倫理の霧吹きを吹きかけることによつてそれを回避しようとする。」(9頁)、<すなわち、ナチ最高幹部達に見られるのは、>ヨーロッパの伝統的精神に自覚的に挑戦するニヒリストの明快さであり、「悪」に敢て居坐ろうとする無法者の啖呵である。これに比べれば東京裁判の被告や多くの証人の答弁は一様にうなぎのようにぬらくらし、霞のように曖昧である。検察官や裁判長の問いに真正面から答えずにこれをそらし、或は神経質に問の真意を予測して先まわりした返答をする。」(103頁)
エ 責任非回避的v.責任回避的
「日本支配層を特色づけるこのような矮小性を最も露骨に世界に示したのは戦犯者たちの異口同音の戦争責任否定であつた。」(102頁)
その責任否定の論理は、「既成事実への屈服」と「権限への逃避」からなる。
まず、「既成事実への屈服」について説明しよう。
日本支配層にあっては、「既に現実が形成せられたということがそれを結局において是認する根拠となる」(106頁)。また、「自ら現実を作り出すのに寄与しながら、現実が作り出されると、今度は逆に周囲や大衆の世論によりかかろうとする」(107頁)。
「重大国策に関して自己の信ずるオピニオンに忠実であることではなくして、むしろそれを「私情」として殺して周囲に従う方を選び又それをモラルとするような「精神」」(108頁)が見られる。
彼らにあっては、「「現実」というものは常に作り出されつつあるもの或は作り出され行くものと考えられないで、作り出されてしまったこと、いな、さらにはつきりいえばどこからか起って来たものと考えられている。「現実的」に行動するということは、だから、過去への緊縛のなかに生きているということになる。」(109頁)
「日本の最高権力の掌握者たちが実は彼等の下僚のロボットであり、その下僚はまた出先の軍部やこれと結んだ右翼浪人やゴロツキにひきまわされて、こうした匿名の勢力の作った「既成事実」に喘ぎ喘ぎ追随して行かざるをえなかった」(111頁)。
「軍部を中核とする反民主主義的権威主義的イデオロギーの総進軍がはじまるのとまさに平行して軍内部に「下克上」と呼ばれる逆説的な減少が激化して行った」(111頁)。
「しかもこのような軍の縦の指導性の喪失が逆に横の関係においては自己の主張を貫く手段として利用された。・・・「それでは部内がおさまらないから」とか「それでは軍の統制を保証しえないから」と」(112頁)。
「軍部はしばしば右翼や報道機関を使ってこうした・・・在郷軍人その他の地方的指導・・・層に排外主義や狂熱敵天皇主義をあおりながら、かくして燃えひろがった「世論」によつて逆に拘束され、事態をずるずると危機にまで押し進めて行かざるをえなかつた」(113頁)
「国民がおさまらないという論理はさらに飛躍して「英霊」がおさまらぬというところまで来てしまつた。過去への緊縛はここに至つて極まつた」(113頁)。
「日本の・・・「抑圧委譲の原理」・・・日常生活における上位者からの抑圧を下位者に順位委譲して行くことによつて全体の精神的なバランスが保持されているような体系・・・<と>「下克上」的現象・・・<の>両者は矛盾<し>ない。・・・「下克上」は・・・抑圧委譲の病理現象である。下克上とは畢竟匿名の無責任な力の非合理的爆発であり、それは下からの力が公然と組織化されない社会においてのみ起る。それはいわば倒錯的なデモクラシーである。本当にデモクラチックな権力は公然と制度的に下から選出されているというプライドを持ちうる限りにおいて、かえつて強力な政治的指導性を発揮する。これに対してもつぱら上からの権威によつて統治されている社会は統治者が矮小化した場合には、むしろ兢々として部下の、あるいはその他被治層の動向に神経をつかい、下位者のうちの無法者あるいは無責任は街頭人の意向に実質的にひきずられる結果となるのである。抑圧委譲原理の行われている世界ではヒエラルヒーの最下位に位置する民衆の不満はもはや委譲すべき場所がないから必然に外に向けられる。非民主主義国の民衆が狂熱的な排外主義のとりこになり易いゆえんである。」(113~114頁)
次に、「権限への逃避」について説明する。
日本支配層は、「訴追されている事項が官制上の形式的権限の範囲には属さない」(116頁)と申し開きする。
しかも、日本支配層の頂点において、「政治力の多元性を最後的に統合すべき・・・天皇は、疑似立憲制が末期的様相を呈するほど立憲君主の「権限」を固くまもつて、終戦の土壇場まで殆ど主体的に「聖断」を下さなかった。」(125頁)、
明治時代において、「破たんが危機的な状況を現出せず、むしろ最近の時代とは比較にならぬほどの政治的指導と統合が行われていたのは、明治天皇の持つカリスマとこれを補佐する藩閥官僚の特殊な人的結合と比較的豊かな「政治家」的資質に負うところが少なくない。」(127頁)
(2)憲法第9条礼讃
日本国憲法が制定されたのは、「決して四海波静かなるユートピアの世界においてではなく、米ソの抗争がむろん今日ほど激烈でないにしても、少くもそれが世界的規模において繰り拡げられることが十分予見される情勢の下においてだつたのです。こうした情勢にも拘らず敢て非武装国家として新しいスタートを切つたところにこそ新憲法の劃期的意味があつたと少くも私は記憶し理解しています。」(「「現実」主義の陥穽」185頁)
「日本の新聞だけ見ていると、いわゆる「力による平和」という考え方そのものは西欧諸国ではすでに自明の原理とされ、ただ問題は再軍備の具体的=技術的な方法だけにあるような印象を受けますが、これなども各国の政府の動向だけが主として報道されることによるもので、民衆の動きはまたちがつた「現実」を示しているようです。西独の民衆の圧倒的多数が再軍備に反対していることは流石にちょいちょい大新聞にも報道されていますが、フランスでも大体、国民の50パーセント以上が政府の政策とくに再軍備政策に反対し、25パーセントは不満を持つているがどうしていいか分らずに混迷しており、残りの25パーセントだけが明白にアメリカに加担しているという報告があります・・・。イギリスでも・・・」(同175~176頁)
(続く)
丸山真男小論(その1)
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