太田述正コラム#1677(2007.3.1)
<英国のインド統治がもたらしたもの(その2)>(2007.9.21公開)
 ムガール帝国のアウラングゼブ皇帝の1707年の死後、英東インド会社はたんまり賄賂を支払ったおかげで、ベンガル、ハイデラバード、グジャラートで無関税貿易権を与えられました。
 1757年にプレッシーの戦いでフランスのインド勢力を打ち破った東インド会社は、ベンガルで、更に税収と域内経済を掌握することとなります。
 この東インド会社の搾取と自然災害によって、ベンガルで1770年に大飢饉が起きるのですが、その際、同会社が減税どころか増税を行い、穀物の放出どころか強制買いだめを行ったため、前述したように120万人もの死者が出たのです。
 やがて、東インド会社は、イギリスの大土地所有制に倣って、支配下の地域に大土地所有制(ザミンダール(zamindar)制)を導入し、大土地所有者を東インド会社の藩塀としました。この過程で、2000万人にのぼる小土地所有者達が所有権を奪われ、路頭に迷うことになったのです。
 19世紀に入ると、東インド会社は、イギリスの産業「革命」が生み出した大量生産された綿織物をベンガル等に売り込むべく、インド産の綿製品や絹製品には70~80%の関税をかける一方で、英国産の綿製品には2~4%の関税しかかけず、この結果、ベンガルを中心としたインドの綿織物産業は壊滅します。
 1830年代には、東インド会社は、アジア貿易独占権を英国議会によって剥奪されます。
 これによる損失を回復すべく、同会社は、支那へのお茶の輸出を倍増させるとともに、支那からの輸入品の代価を禁制品であったアヘンの支那への密輸出によって確保しようとしました。そこで同会社は、インドでのアヘン栽培を独占すべく、西部のマラータ同盟の支配地やシンドへと支配地を広げて行きました。
 その結果、1840~42年に支那でアヘン戦争が起こり、勝利を収めた英国が、香港を獲得する運びになることはご承知のとおりです。
 英国の哲学者にして経済学者であったジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill。1806~73年)は30年以上にわたって東インド会社の幹部を務めましたましたが、東アジア会社について、「野蛮人の教育と正しい統治にはうってつけだ」と言い放っています。
 また、1854年にある英国人は、「インドでは<東インド会社は、>公共事業を殆ど行っていない。・・これまでの<同社の>モットーは、「何もするな、何も起こらないようにせよ、誰にも何もやらせるな」だ。それに東インド会社は人々が飢饉で死のうと道路や水がなくても全く気にしない」と記しています。
 更に、1858年に英下院である議員は、「マンチェスターという一つの<英国の>都市が住民のための水道に費やす金額が、東インド会社がその広大な領地において1834年から1848年の14年間に費やしたあらゆる種類の公共事業経費の総額よりも多い」と演説しています。
 インド大反乱(昔はセポイの乱と呼ばれた)が起こったことで、1858年に東インド会社はインド支配権を返上し、以後インド亜大陸は英国政府が直接統治するところとなりますが、それまでのインド統治の過酷な実態はほとんど変わりませんでした。
 こうして、19世紀後半にインドのGDPは50%も減り、インド独立までの190年間の経済成長率はゼロということになってしまったのです。
 (以上、アジアタイムス前掲、及びhttp://india_resource.tripod.com/colonial.html前掲による。)
3 終わりに
 1913年にアジア人として初めてノーベル文学賞を受賞したベンガルの詩聖タゴール(Rabindranath Tagore。1861~1941年)は、1936年に英国人の友人に宛てた手紙の中で、「100年間の英国による統治の後の、恒常的な食糧と水の欠乏、衛生と医療の欠如、通信手段の不存在、教育の貧困、わが村々に充満する絶望・・」を指摘しつつ、それは、団結して抵抗することができなかったインドの人々の自業自得であるとし、欧米の人々の中で英国人が最も非欧米人との接し方において尊敬に値する、なぜなら英国人は悪いことはそれが英国人によってなされた場合でも悪いと言うからだ、と述べ、インドが英国人によって統治されたことはせめてもの幸せであったとしています。
 米国人もよい方だけれど、黒人差別や、地位に応じた差別を行う点で英国人には及ばないというのです。
 (以上、
http://www.guardian.co.uk/fromthearchive/story/0,,1885545,00.html
(10月3日アクセス)による。)
 タゴールは日本を訪問したことがあるのに、この英国による植民地統治に比べて、格段に優れていた日本による植民地統治に気付かなかったのでしょうか。
 また、韓国の有識者は、どうして英国のインド統治や米国のフィリピン統治と日本の朝鮮半島統治を比較しようとしないのでしょうか。
(完)