太田述正コラム#13160(2022.12.5)
<安達宏昭『大東亜共栄圏–帝国日本のアジア支配構想』を読む(その4)>(2023.3.2公開)

 「1920年代半ばに欧米各国で総動員機関が設置されるようになると、1927年には内閣に資源局を設置して、総動員計画の立案にあたらせる。・・・

⇒「欧米各国<の>総動員機関」なるものの例を安達にはぜひとも挙げて欲しかったものです。
 既に私が申し上げて来たことからすれば、欧米諸国の国家機構そのものがかねてより「総動員機関」であり続けて来たのですから、第一次世界大戦以降にこと改めてこれら諸国で「総動員機関」が設置されたとは考えにくいだけに・・。
 そもそも、総動員に対応する英語すらなさそうです。
 Mass mobilization は、全く違う意味・・選挙用語・・ですし、
https://en.wikipedia.org/wiki/Mass_mobilization
National Mobilization は、日本の1938年の国家総動員法の翻訳語として作られた英語
https://en.wikipedia.org/wiki/National_Mobilization_Law
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%B7%8F%E5%8B%95%E5%93%A1%E6%B3%95
のようですからね。(太田)

 総力戦に必要な自給自足の経済は、特に陸軍を中心に課題となり、1934年10月に陸軍省新聞班が配布したパンフレット『国防の本義と其強化の提唱』でも同じ主張がなされている。・・・
 第一次世界大戦後から1930年代にいたるまで、帝国日本には総力戦を実行できる経済的な条件はほとんど整っていなかった。
 第一次世界大戦時の日本は、軍需工業の基盤となる重化学工業や機械工業は発展途上であり、軽工業を急激に発達させ、中国や東南アジアに対して、綿製品などの軽工業製品の輸出を伸ばしている段階だった。
 第一次世界大戦後も、生糸や綿製品などを輸出し、その外貨により重工業・機械製品を購入する状況のままだった。・・・
 すでに「1916年に、徳富蘇峰はベストセラー書籍で、次のように説いている。
 日本帝国の使命は、完全に亜細亜モンロー主義を遂行するにありと信ずるなり。亜細亜モンロー主義とは、亜細亜のことは、亜細亜人によりて、これを処理するの主義なり。亜細亜人というも、日本国民以外には、さいより〔さしあたり〕この任務にあたるべき資格なしとせば、亜細亜モンロー主義は、すなわち日本人によりて、亜細亜を処理するの主義なり。誤解するなかれ、吾人は亜細亜より白人を駆逐するが如き、偏狭なる意見を有するものにあらず。ただ白人の厄介にならぬまでのことなり。白閥の跋扈を蕩掃するまでのことなり。(『大正の青年と帝国の前途』<(注6)>)

 (注6)「蘇峰は最初、非常に鮮明な平民主義者として出発しました。その後帝国主義者に代わり、日露戦争の頃から皇室中心主義を言い出します。・・・
 蘇峰は大正5(1916)年に『大正の青年と帝国の前途』を出版しました。『将来之日本』『新日本之青年』を根本的に改作したもので、120版以上を重ね、100万部以上売れた。蘇峰の物で一番売れた本です。この本の中で彼は青年たちに、自由主義の立場や自分中心主義を捨て、挙国一致でもっと国家に協力しなさいと言い始めました。ここで明らかに路線が変わりました。・・・
 昭和14(1939)年には『昭和国民読本』を書きました。神話時代からの天皇の話です。日本が一丸となって世界に皇道を広げていくんだと、コミュニタリアニズムのようなことを書いています。」(伊藤彌彦「徳富蘇峰と新島襄–蘇峰再評価の動きの中で」より)
https://www.doshisha.ac.jp/attach/page/OFFICIAL-PAGE-JA-2022/53440/file/138_024.pdf
 伊藤彌彦は、1966年(?)国際基督教大学教養学部社会学科卒、同大行政学研究科、東大法政治学研究科、同志社大法学部政治学科博士後期課程教授、同大名誉教授。
https://researchmap.jp/read0045347
https://www.christian-center.jp/dsweek/12au/1102.html

⇒徳富蘇峰(コラム#10027、10634等多数)は、横井小楠コンセンサス⇒島津斉彬コンセンサス、そして、キリスト教⇒人間主義/日蓮主義、へと次第にその世界観を変化・・私に言わせれば深化・・させていった人物である、と、私は見ています。(太田)

 1929年10月、アメリカを起点に大恐慌が世界を覆い、30年代に入り国際的な協調が綻び始めると、日本は対外政策で相反する二つの路線、対英米協調とアジア・モンロー主義に分裂し、この二つの路線の対立・抗争・妥協によって、政治・外交・経済が動くようになっていく。

⇒「日本は」は「日本の指導層は」の趣旨なのでしょうが、私なりに言い換えれば、明治維新から先の大戦の終戦までの日本の指導層は富国強兵(主義)で一致していて、富国強兵主義者には秀吉流日蓮主義/島津斉彬コンセンサス信奉者と横井小楠コンセンサス(のみ)信奉者があったところ、後者は概ね対英米協調派であったのに対し、前者にはアジア主義者と英米協調偽装派があった、と見るに至っています。
 英米協調偽装派については、次のオフ会「講演」原稿を参照してください。(太田)

 亜細亜・モンロー主義の指導者たちは、軍事大国として英米からの自立をめざして、アジアにおける排他的覇権とその裏付けとなる経済的自給圏形成に向けて活動していく。」(5~7、11)

⇒私の言葉で言い直せば、秀吉流日蓮主義/島津斉彬コンセンサス信奉者たちは、アジア、ひいては非欧米世界、ひいては全世界の解放(人間主義化)、を(も)期して、内外環境の整備を行った上で1931年に始まる先の大戦を戦った、です。(太田)

(続く)