太田述正コラム#2107(2007.10.6)
<信頼・忍耐・公正>
1 始めに
ゲーム理論で、「囚人のジレンマ」状況ほど有名ではありませんが、「牡鹿狩り」状況(http://www.gametheory.net/dictionary/Games/StagHunt.html
。10月6日アクセス)というのがあります。
これはルソー(Jean Jacques Rousseau)が初めて提示した状況であり、二人のプレヤーが協力しないと困難な(大きな)牡鹿狩りをやれば二人とも実入りが多くなるけれど、どちらかが一人でもできる(小さな)兎狩りをやると、二人とも少しずつ実入りが少なくなり、二人とも兎狩りをやると二人とも一番実入りが少なくなる、という状況です。
経済学者のこれまでの研究によれば、みんなが兎狩りをやるような信頼のない社会がみんなが牡鹿狩りを協力してやるような信頼のある社会に移行するのは容易でないのに対し、その逆の移行は容易に起きる、ということが分かっています。
実は、経済先進国とは、信頼を制度化することに成功した社会であり、経済後進国とは信頼を制度化することに成功していない社会なのです。
(以上、特に断っていない限り
http://www.slate.com/id/2174706/
(9月29日アクセス)による。)
しかし、そもそもどうして信頼を制度化することに成功した社会と成功していない社会が生まれるのでしょうか。
また、少数ではあっても、制度化に成功していない社会が制度化に成功した社会に転換する例があるのはどうしてなのでしょうか。
後者の問いは難問ですが、前者の問いについては、答えの手がかりとなるような研究成果が最近次々に出てきています。
そのいくつかをご紹介し、私の見解を申し上げましょう。
2 三つの研究成果
(1)忍耐力(patience)
忍耐力というのは、欲求の充足を先に延ばすことでより大きな獲物を獲得する能力ですが、信頼を制度化するには時間がかかることから、忍耐力のない人が多い社会が経済後進国になるのかもしれません。
確かに、鳥や猿は数秒しか忍耐できないので、進化すればするほど忍耐力が増えそうであり、人間は最も忍耐力がある動物であると言いたくなりますし、同じ人間の中でも忍耐力がある人が沢山いる社会ほど進んだ社会であるに違いないと思いたくなります。
しかし、このほど類人猿の方が人間よりはるかに忍耐力があることが明らかになりました。
すぐに手を出すと欲しい物が1個しか得られないけれど、2分待つと3個得られるという実験を行ったところ、チンパンジーの方が人間より4倍も忍耐力があることが判明したのです。
これは、類人猿以上で見ると、忍耐力と進化の度合いとは相関関係がないことを意味します。
ですから、忍耐力と信頼の制度化、ひいては経済先進国たりうるかどうかとは直接関係はなさそうです。
(2)公正さ(fairness)への希求
ア 人間は最も公正を求める動物
公正な社会であれば、信頼を制度化できるという気もしますね。
AとBから離れたところに二つの皿が置いてあり、Aの前の皿には沢山の数の好物が置かれており、Bの前の皿にはこれより少ない数の好物が置かれており、Aが自分の所のひもを引っ張るとこの二つの皿が共に近付いてくるけれど、Bが更に自分の所のひもを引っ張らない限り、この二つの皿が両者の手が届くところまで来ない、という実験が行われました。
この実験の結果分かったことは、チンパンジーの場合、自分の皿に置かれている好物がどんなに少なくても、Bは100%近くひもを引っ張るのに対し、人間の場合、自分の皿に置かれている好物の数がAの皿に置かれている好物の数の20%を切ったあたりで、Bはおおむねひもを引っ張らなくなる、という事実です。
これは経済人(Homo economicus)仮説・・人間は効用最大化のために合理的判断を行う(Pan economicus)との仮説・・が、チンパンジーには当てはまっても、人間には当てはまらない、ということを示しています。
つまり、動物の中で人間だけが不公正に憤る政治人(Homo politicus)なのです。
これは、人間の社会では、それが公正な社会でない限り信頼が制度化できず、従って協力関係が築けないのであって、当然経済先進国にはなれない、ということを示唆しています。
イ 公正さを求める度合いは遺伝的に決まっている
さて、公正さを求める度合いは人間によってばらつきがあることも分かっています。
一卵性双生児と二卵性双生児を使った実験を行ったところ、公正さを求める度合いは、遺伝的に決まっていることが分かりました。
公正さを求める度合いが低い人、つまりは不公正な人は自然淘汰されていなくなっても不思議ではないのにどうしてそうならないのかと思われるかもしれませんが、不公正な社会では公正な人が得をする一方で、公正な社会では不公正な人が得をするため、不公正な人がいなくならないのではないか、と考えられています。
(以上、
http://www.economist.com/science/PrinterFriendly.cfm?story_id=9898270
(10月6日アクセス)によるが、一部私の言葉に変えていることをお断りしておく。)
3 感想
ここから先は、純粋に私の感想です。
不公正な社会が存続するためには、不公正な人が権力を掌握していて公正な人に対して協力を強制できなければなりません。しかし、強制された協力はもはや協力とは言えません。こんな社会が信頼を制度化できず経済的に停滞するであろうことは容易に想像できます。
自発的に亡命や移民をする人には、このような不公正な社会から逃げ出した公正な人が多く、だから人類発生の地であるアフリカから遠く離れれば離れるほど、経済が発展しているケースが多いのではないでしょうか。
サハラ以南のアフリカより、北アフリカの方が、それより地中海東岸の方が、それより地中海北岸の方が、それより北欧州の方が、それよりイギリスの方が、それより北米の方が経済が発展しており、アジアでも、中央アジアより支那、支那より日本の方が経済が発展していることを思い出してください。
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有料版のコラム#2108(2007.10.6)「ギリシャ文明の起源(その2)」のさわりの部分をご紹介しておきます。
コラム全文を読みたい方はこちらへ↓
http://www.ohtan.net/melmaga/
・・最新の研究で分かってきたことは以下の通りです。
フェニキア人は平和的な人々であり、・・地中海の海上交易を支配するに至っていた。
ところがその頃から凶暴なアモリ人・・がフェニキアにも襲来したのだ。
・・
フェニキア最大の都市であった、地中海東岸のビブロス・・<や>シドン<は・・>紀元前2,000年頃に廃墟になってしまった。・・
まさにこの時期にクレタの宮殿文明が立ち上がっているのだ。
これは偶然とは考えられない。
ミノア人の書き言葉は線形A・・と呼ばれるものだが、これがセムに起源を有することが以前から知られている。
仮にミノア人がフェニキア人だとしたら、当然のことではないか。
また、ミノア文明のフレスコ壁画に・・登場するのは良い暮らしを満喫している幸せで平和な人々ばかりだ。
これもフェニキア人の社会にそっくりだ。
・・
フェニキア人は周辺の人々と融け合うことを好んだので、最大の交易相手であるエジプトの文物・習慣は特に好んで取り入れた。
だから、クレタ島でエジプトの産品やエジプトの模造品が多数発見されたり、エジプト的な衣装や建築や埋葬方法が見出されるのは少しも不思議ではない。
更に、ミノア人とフェニキア人・・の海軍が交戦したという記録は・・存在しない。
他方、ギリシャ人とフェニキア人との戦いは枚挙に暇がない・・。
このことも、フェニキア人とミノア人が同族だとすれば説明がつく。
さて、ミノア社会は、紀元前1628年頃のサントリーニ島の大噴火から始まる一連の自然災害によって大きな被害を受けていたところへ、紀元前1500年頃から1450年頃にかけてのミケーネ人のクレタ島襲来によってトドメを刺されたわけだが、ミノア人は一体どこに逃げたのだろうか。
地中海東岸の・・<諸>都市では紀元前約1425年に人口定着が見られる。
その後これらの都市は、急速にフェニキアの交易センターへとのし上がって行った。
これらの都市の住民は、ミケーネ人から逃れたミノア人だったと考えるのが順当だろう。
・・
バナールのギリシャ文明起源論がいかなるものか、ご理解いただけたことと思います。 ・・
<ところで、>私・・は、・・次のよう<に考えていま>・・す。
・・何と言ってもギリシャ文明が最も強い影響を与えたのはローマ文明だ。ローマ文明は、ギリシャ文明にキリスト教的要素が付加されたものだ。
欧州文明は、このローマ文明にゲルマン的要素を取り入れて成立した。
他方、アングロサクソン文明は、ローマ文明の影響をほとんど受けておらず、もっぱらゲルマン的要素で成り立っている文明だ。よって、アングロサクソン文明はギリシャ文明の影響は全くと言ってよいほど受けていない。
・・
(完)
信頼・忍耐・公正
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