太田述正コラム#2061(2007.9.13)
<退行する米国(続々)(その1)>(2007.10.14公開)
<補注1>
1 始めに
このシリーズで、原理主義的自由主義経済学に触れた箇所(コラム#2050)は、ナオミ・クラインの新著の書評を元にしたのですが、その後更に書評が出ているので、これらに基づいて、クラインの主張をもう少しご紹介しておきましょう。
2 原理主義的自由主義経済学とイラク
1996年に当時米国防大学教官であったウルマン(Harlan K. Ullman)とウェード(James P. Wade)両名によって策定された、おどろおどろしい名前の「衝撃と恐怖(Shock and awe)」なるドクトリンが、対イラク戦で用いられ、すっかり有名になったが、実際に米軍は、対イラク戦で衝撃と恐怖を高めるためにあらゆる手段を駆使した。
まず、2003年に対イラク戦が始まる一週間前、米国防省は記者団を招き、「全ての爆弾の母(Mother of All Bombs)と名付けた新爆弾を爆発させて見せた。重さ2万1,000ポンドのこの爆弾は、核爆弾を除けば、史上最も強力な爆弾であり、1万フィートの高さに核爆発の時にできるキノコ雲に似た雲が立ち上がったという。
次に、いよいよ対イラク戦が始まり、米軍がバグダッドに接近した頃には、米軍は、イラクの通信省、バグダッドの電話交換所、TVやラジオの中継所を爆撃し、バグダッド市民を、情報遮断状態に陥らせた。
その爆撃よりもバグダッド市民の心理に大きな傷跡を残したのが、戦闘が終わるか終わらないうちに始まった掠奪行為だ。
略奪行為を行ったのは米軍等ではなくイラク人だし、米国の占領当局は決してバグダッドの掠奪を見越していたわけではない。しかし、略奪行為が始まった時、米軍がそれを止めようとしなかったのも事実だ。
どうしてか? 米国の占領当局が掠奪を必ずしも悪いことではない、と考えたからだ。
ブレマー(Paul Bremer)の上級経済顧問を勤めたマクファーソン(Peter McPherson)は、イラク人が国家資産たる車・バス・官庁備品を持ち去るのを見て、イラクの国家機構を縮小しその資産を民間に払い下げようと考えていたので、これは手間が省けると思ったというのだ。
占領当局の上級教育用施設復興部局長であったアグレスト(John Agresto)も、諸大学や教育省が掠奪されることは、イラクの諸学校に最新最高の備品や機器を備える機会を与えてくれる、と思った。
彼は、自分達がイラクに国家(nation)を創造しようとしていると信じていたのだ。
アグレストはニューメキシコ州の大学の学長をしていた男だが、この大学は幅広い読書をすることを勧めるカリキュラムが売り物だだった。
しかし、その彼は、イラクのことを全く何も知らなかったというのに、イラクについて、事前にあえて一冊の本も読まずに赴任した。
新しく創造するためには頭が白紙の状態である方がよいと言うわけだ。
アグレストは、国連の経済制裁でイラクが痛めつけられる以前には、イラクの教育システムはアラブ随一であり、イラクはアラブ諸国の中で最高の識字率89%を誇っており、これに比べれば自分のニューメキシコ州では文盲率が実質46%に達し、20%はレジでの足し算すらできないという状況など、恥ずかしくて比較もできないということを全く知らなかった。
この二人のボスであったブレマーはどうか。
ブレマーが占領当局の長としてイラクに赴任した時、バグダッドではまだ掠奪が行われていたし、無秩序状態だった。あちこちで火の手があがっていたし、通りには車がほとんど走っておらず、電気は完全に止まっていたし、石油生産は行われておらず、経済活動は停止している状態であり、一人の警察官も街で見かけなかったという。
そのような状態のイラクに対して、到着後2週間目にブレマーがやったことは、四囲の国境を輸入に対して完全に開放することだった。無関税、無手数料、無検査、無税だ。
一夜にして、国連の経済制裁下で世界から最も孤立させられていた国が、世界で最も市場が開放された国になったわけだ。
当然、略奪品が国外にどんどん持ち出される一方で、中共製のTV、ハリウッド制のDVD、ヨルダンの衛星放送用パラボラアンテナ等がイラクに雪崩れ込むことになった。
原理主義的自由主義経済学、万歳!
その結果何が起こったか?
イラクの消滅であり瓦解だ。
まず、女性がベールに隠され、家に閉じこめられ、姿を消した。
次いで、2006年には子供達の三分の二が学校から消えた。
更に、医者・教授・企業家・科学者・薬剤師・判事・弁護士が消えた。
推定300名のイラクの学者が暗殺隊によって暗殺され、数千名が国外に脱出した。
医者に至っては、2007年2月までに推定2,000名が殺され、12,000名が国外に脱出した。
2006年11月には、国連が、毎日3,000名のイラク人が亡命していると推定した。
国連はまた、2007年4月までに400万人、すなわちイラク人の約7人に1人が国外に脱出したと報告した。
(以上、
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,,2166585,00.html
(9月11日アクセス)による。)
(続く)
退行する米国(続々)(その1)
- 公開日: