太田述正コラム#13186(2022.12.18)
<2022.12.17オフ会次第(続)>(2023.3.15公開)
D:岸信介は、将来、米国に代わって中共が日本の宗主国になりうるような時代がやってくると本当に思っていたのだろうか?
O:私自身の役人時代の経験に照らし、1990年代の半ばまでに当時の通産省・・岸の古巣・・が中共の経済高度成長を予期していたことは確かであり、そのような判断がもっと早くからなされていた可能性だってある。
他方、岸(1896~1987年)だって、満州時代の知見を通じ、支那のポテンシャルを痛感していたのではなかろうか。
戦前の、支那のあんな混乱時代にあってさえ、支那は貿易を含め日本の経済にとって枢要な地であり、私事にわたるが、私の亡父は、支那で商社・・東洋綿花、後のトーメン。現在はもうない。・・の支店勤務をしていて現地招集されて将校になっているし、父の商社同期生の友人(鳥羽田氏)・・後にトーメンの専務になった・・は、東亜同文書院の卒業生で、私のスタンフォード大留学時代に米国出張のついでに私にサンフランシスコでご馳走してくれたことがある。
そんな支那が、中共によって統一され、混乱の時代が終わったのだから、日本の財界が最初から中共に熱い視線を注がなかったほうがおかしい。
彼らにとって予想外だったのは、大躍進や文革で、その都度、中共経済が大幅に落ち込んだことだろうが、大躍進の後、そして文革の後、彼らの間で、すぐに中共経済への期待感が蘇ったはずだ、とも思う。
A:今回の「講演」原稿の及川のところに中華典拠に助けられた話が出てくるが、中共の日本研究のレベルは高いのか。
O:高い。
帝国陸軍と中共(毛沢東)との関係だって、そもそも、毛沢東が日本大好き人間だったことが背景にあったわけだが、支那の近現代は日本が形成したと言っても過言ではないのだから、当たり前だ。
戦前の中華民国や現在の中共で使われている近代用語は、ほぼ全て日本から逆輸入されたものであることくらいは、それこそ私は大学時代から知っていたが、つい先だって、山本さんが紹介してくれた、支那人の論文によれば、(私にはその真偽を確かめるのに必要な漢語能力がないのが残念だが、)現在の支那の白話(口語)文は、魯迅によって日本語的言い回しがふんだんに盛り込まれる形で作られた、というのだから・・。
本日の「講演」の際に、TV画面に、原稿の中に登場する海軍と外務省の人々の写真を映したが、一番最後の天羽英二の写真も、日本語のウィキペディアには載っていなかったので、止むなく中華ウィキペディアもどきに載っていたものを用いた。
B:及川の場合、日本語ウィキペディア執筆陣は軍オタなんだろうから、及川の比較的若い頃の宮中勤務歴なんてものには関心がないのではなかろうか。
O:ところで、戦後日本で縄文的弥生人が払拭するに至った結果、終戦の頃までの日本の上澄み、とりわけ陸海軍の上澄みの人々は、要するに武士だったわけだが、何だか、まるっきり違う世界の住人のように見えているのではないか。
例えば、阿南陸相は理念上にだけ存在した切腹を試みたわけだ。
失敗して、結果的に介錯を受けているが・・。
そんなこと、私も含め、現在の日本人で、できる、或いは試みる、人は皆無だろう。
C:三島由紀夫が切腹したが・・。
O:あれは最初から介錯付きだったが、1970年はまだ完全な戦後ではなかったわけだ。
(だからこそ、齋藤實が、あえて二・二六事件の時に討たれてやったのではないか、という私の想像だって、自分自身では決して妄想ではないと思っている次第。)
それにしても、今頃なお、米国が、中共と新冷戦だ、中共をぶっ潰す、などと息巻いているというのでは、私が杉山構想を世に出したのも、草葉の陰の杉山らに言わせれば、まだ早過ぎたのかもしれない。
E:武士についてだが、武士以外が概ね人間主義者達であるとして、彼らに比べてより利己的な人々だという認識でいいのか。
O:単なる武士に関してはその通りだが、例えば、日蓮主義なる思想を持ち合わせた武士に関しては違う。
戦前の陸海軍の上澄みが単なる武士達ばかりだったならば、対英米戦の時に自存自衛だけを掲げたはずであり、大東亜共栄圏なんてものを併せて掲げるはずがない。
この自存自衛と大東亜共栄圏とは矛盾する部分がありうる的なことを、つい先だって(コラム#13182で)申し上げたことを思い出して欲しい。
F:その伝で行けば、現在の国会議員は単なる利己的な人々(エゴイスト達)と言ってよさそうだな。
O:そうだ。
(但し、武士は皆無なので、彼ら、残虐性も謀略性も持ち合わせていないが・・。)
今年の大河で言えば、頼朝は、封建社会を日本で構築するという思想を持ち合わせていたので単なる武士ではなかったのに対し、頼朝を支えた連中の大部分は単なる武士だった、といったところか。
C:今年の大河は、三谷作品中、最も出来がよかったと思う。