太田述正コラム#2126(2007.10.15)
<防衛省不祥事>(2007.10.22公開)
 (本篇は機微にわたるので、当分の間、完全に非公開にします。転載厳禁。)
→その後の事態の変化に鑑み、前倒しで公開します(10月22日。太田)
1 始めに
 先週末に、某TV局から、防衛省不祥事の件で検察がいよいよ動きそうなので、私のコメントの録画撮りがしたいとの連絡があり、明日にも動きそうだという時でないとやらないと答えておいたところ、本日1400過ぎに再度連絡があり、本当に明日動きがあってもおかしくない状況になったので、本日中に録画撮りをどうしてもしたい、というので了承しました。
 そこで、散髪にしばらく行っていないので、理髪店に行こうとしたのですが、あいにく定休日らしく、自宅の最寄りの駅の理髪店も隣の駅の理髪店もやっていませんでした。
 いつもは、事務所の最寄りの年中無休の理髪店に行っているので、理髪店に定休日があるとは知りませんでした。
 無理矢理伸びた髪の毛をなでつけてごまかし、1940に迎えに来たハイヤーに乗って首都高経由でこの局に2000過ぎに到着、録画撮りを終えて2145に帰宅したばかりです。
2 録画撮りの様子
 最初に記者から、検察が動きそうだというのは、夜回りで検察幹部と接した感触と、特捜部に助っ人が増員されていることから判断したという話と、次いで立件の構図がどのようなものになりそうかという話がありました。
 別件で業者を逮捕してから、本件の防衛省の幹部に迫るのではないか、というのです。 
 そして、検察の狙いは、天下りをめぐる防衛省幹部と業者との癒着関係にメスを入れることらしいというのです。
 この程度の情報では、どうしゃべったらよいかむつかしいと難色を示しつつも、せっかく来たのでリハーサル感覚でやりましょうかと私が言い、インタビューの録画撮りが始まりました。
 私が話したのは次のようなことです。
 
 私が6年前に防衛庁・・現在は防衛省・・の退廃・腐敗に警鐘を鳴らすべく防衛庁を飛び出したのに、昨年は防衛施設庁で官製談合事件が明るみに出、今回は防衛装備をめぐる不祥事が世間を騒がせていることは残念だ。私の6年間は何だったのか、という思いだ。 防衛庁在籍当時から、天下りはなくすべきだと思っていた。
 官製談合事件の時、受注額に応じ、当該業者が受け容れる防衛庁OB何名、という数式が存在することが報道された。
 私は装備の調達の仕事に携わったことはないが、同じようなことが、防衛装備の調達に関してもあるはずだ。
 そもそも高価な防衛装備は製造できる企業が限られ、指名競争入札と言っても、指名される企業はいつも決まっているし、防衛省の裁量で、事実上1社にしぼって随意契約に持ち込むこともできる。
 OBを沢山受け容れさせるためには、積算を甘くすればよい。
 積算は原価に利益分を上乗せする形で行われるが、原価の計算が水ぶくれしていても目をつぶるわけだ。
 私は、傍目から積算が甘いことは痛感していた。
 とはいえ、随意契約ともなれば、これは完全な密室の世界であり、関係者がとんでもないチョンボでもやらかさない限り、第三者がメスをいれることはまず不可能だ。
 かつての調達実施本部の不祥事・・防衛施設庁長官で退官した内局キャリアが調達実施本部長時代に、やはり天下りがらみの不祥事を起こしたとして逮捕・起訴された・・同様、今回も関係者のとんでもないチョンボがあったおかげで、検察がメスを入れることができたわけだ。
 他省庁が天下りを続けているのに、防衛省が先頭を切って動くのはむつかしいことは分かるが、時代が変わりつつあるのだから、防衛省の幹部は天下りの減少・廃止に向けて取組むべきだった。それをしなかったのは問題だ。
 私見では、恩給制度の復活を図るべきだと思う。
 公務員の年金は民間と同じになってしまい、条件もどんどん悪くなってきており、年金だけでは退職後の生活が成り立たない。
 働く能力のある人、働きたい人は働けばよいが、そうでない人でも最低限の生活は成り立つようにしてあげるべきだ。
 防衛省だけでなく、どこの官庁のOBでも、本当に能力識見を買われて再就職している人はほとんどいないので、自分の才覚で働けと言われてもなかなかそうもいかないからだ。
 恩給制度は防衛省OB、とりわけ制服OBには絶対に必要だが、この制度を全省庁の公務員にも適用するか、地方公務員にも適用するか、という悩ましい問題があるので実現するのは容易ではないが・・。
 今回の不祥事では接待の話も出ているが、GDP比で世界一とも言われる接待大国日本において、公務員だけが接待は絶対にダメだというわけにはいかない。
 しかし、民間でも最近は接待も自粛ムードだし、日本版SOX法の導入に伴い、接待もガラス張りになろうとしている。
 だから、防衛省の幹部は、これについても時代が変わりつつあるという自覚を持ち、より厳しく身を律するべきだった。
 (ただし、私見では、仕事相手とは潤滑油的な意味で飲み食いを共にすることも必要であり、いわゆる会議費をもう少し増やし、その代わりすべてをガラス張りにすべきだと思っている。)
 問題は防衛省にいると、時代の変化が見えにくいことだ。
 防衛省では良い資質を持ったキャリアが入ってきても、十分に育たず、時代の変化が見えない人間になってしまいがちだ。
 その原因は二つあり、第一に、防衛省の内局には、防衛省防衛局防衛政策課(かつては防衛課)という同語反復的組織があることに端的に表れているように、他省庁では一つの局、いや極端に言えば一つの課がやっているような仕事を無理矢理5つの局に分けてやっており、防衛省の中にいても視野が広くならないことだ。
 第二には、戦後日本において、防衛省/自衛隊は日陰者のひずんだ存在であり続けていることから、防衛省の中で仕事をすればするほど、人間がダメになってしまうということだ。
 だから、防衛省/自衛隊が本来の仕事ができるようになるまでは、防衛省は独自でキャリアを採用することは止め、他省庁で広く仕事をやってきたキャリアを局長につけ、次官にすべきだと思う。
 防衛省だって戦後の新規発足時はそうだったし、宮内庁なんて、生え抜きでなければ幹部とか長官にすべきでないなどという声は全く起こらない。
 生え抜きばかりの宮内庁では、天皇制はもたないだろう。
 宮内庁とは事情が違う面もあるが、防衛省だって独自キャリアがいなくてもいいのだし、むしろいない方がいいのだ。
 だから、防衛省の次官ははえぬきであるべきだという議論に私は与しない。
 そもそも、つい最近まで次官候補たる4人の局長と1人の外局の長(現在は外局たる防衛施設庁が廃止され、局になった)中、2人も他省庁出身者だった。
 こんなことも、他省庁ではありえないことだ。
 この2人は次官をしてはならない、という主張はナンセンスだ。
3 終わりに
 検察がどう動くのか、そもそも動くのか、分かるのは目前のようです。 
 いずれにせよ、改めて官僚、いや人間はどう生きるべきかが問われているのではないでしょうか。