太田述正コラム#13188(2022.12.19)
<2022.12.17オフ会次第(続々)/安達宏昭『大東亜共栄圏–帝国日本のアジア支配構想』を読む(その16)>(2023.3.16公開)
O:丸っきり違う世界の住人の話の続きだが、女性達もスゴかった。↓
「終戦直後、夫の杉山元大将と一緒に自決した杉山夫人を<阿南元陸相の未亡人の>綾子が弔問したときに、夫人の霊位を前にして「誠にお羨しゅうございます。私には幼い子もいますので主人の伴も叶いません・・・・」と語りかけ<た>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%8D%97%E6%83%9F%E5%B9%BE
「夫は太平洋戦争開戦時の参謀総長、その後陸軍大臣をつとめた責任がある。自分[(杉山啓子)]は国防婦人会の幹部として、銃後の同胞にくるしみを強いた。おめおめ生き恥さらせない。自宅へもどると8月15日に死んで当然の夫がいておどろく。「いつ死ぬのですか」「……まだ兵たちの復員がすんでない」「そんなことはあなたでなくともできます。はやく死になさい」顔をあわせるたび自決をせかされ、元は閉口した。9月22日、総軍司令官室でことにおよぶ。副官に胸へ万年筆で印をつけさせた。前日の東條英機みたいにしくじれば、国中の笑いものになる。ところが弾がでない。室外で待機する副官に銃をみせると、安全装置がかかつたまま。四発撃つが、心臓をはづした。軍医部長に薬のまされ、ようやく責めをはたす。杉山邸に「元帥閣下自決せり」との電話連絡がはいる。啓子夫人は「まちがいなく死んだのでせうね」と念おす。喪服にきがえ仏間へはいり、膝がみだれぬよう足をしばつた。〈青酸カリを飲み、〉短刀で胸を一突き。声すらたてない、うつくしい死に様だつたらしい。夫におくれること25分だつた。」
http://nearfuture8.blog45.fc2.com/blog-entry-1635.html
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/S/sugiyama_h.html ([]内)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%B1%B1%E5%85%83 (〈〉内)
なお、自殺する場合だけの話だが、私は阿南には絶対なれないが、杉山にならなれる。
杉山は、我々と、この点だけにおいては、同じ世界の住人だった。
--安達宏昭『大東亜共栄圏--帝国日本のアジア支配構想』を読む(その16)--
「・・・蘭印では中央行政機構や企業の主要な役職を、ほとんどオランダ人をはじめとした白人が握っていた。
オランダ本国がドイツに占領されて以降、逃れてきたオランダ人も多く、蘭印には東南アジアで最も多くの欧米系の人々がいた。
日本軍がジャワ島を占領してまず直面した問題は、これらのオランダ人をはじめとする敵国人の扱いだった。
⇒ここで、安達が、蘭印/インドネシア、ではなく、ジャワ、と書いているのは、「インドネシアを占領<した>・・・今村均・・・中将<が>・・・占領政策を比較的に住民本位にや<ったところ、>・・・大本営でも、南方総軍でも、「今村中将のやり方は寛容すぎる」「威厳をもってもっと厳しくやれ」という批判が高まって<きて、>・・・16軍にすべてを任かしておくわけには行かないとして、16軍の担当地域を狭くしてしまう。シンガポール(マレー)を占領した25軍の山下奉文に、スマトラまで支配させ<、>・・・そして、ボルネオは海軍にやらせる。16軍はジャワ島とバリ島だけの狭い地域にな<った>」
http://www.ei-en.net/frenet/kouen5.htm
ことが念頭にあるのでしょうが、こういう説明をして欲しかったところです。(太田)
約20万人にのぼるオランダ人のうち、旧蘭印軍軍人や政府機関の官吏は、業務の引継ぎに必要な一部の者を残してすべて捕虜として収容した。
オランダ人婦女子や民間人の男子は、居住地の指定と、日本軍への忠誠が義務づけられた。
その後、都市部の一定地域に強制的に移住させる居住地制限が行われ、徐々に収容所に送り込んでいく。・・・
1943年11月から居住を制限されたオランダ人は、軍抑留所への収容が始まり、その人数はジャワ島で約7万人に及んだ。
貧弱な施設、劣悪な衛生環境、食糧不足、虐待暴行のなかで、多くの民間人が亡くなった。
日本側がまとめた資料では、ジャワ島で6353人、スマトラ島で1217人が死亡した。
蘭印の敵国民間人抑留所は東南アジアで死亡者が最も多く、戦後に戦争犯罪裁判で追及されることになる・・・。」(91~93)
(続く)