太田述正コラム#2212(2007.12.3)
<皆さんとディスカッション(続x11)>
<通りすがり>
 選挙制度が問題かも?
太田さんはよく国民がそれを選んだのだからとか言いますが、国民すべてが国防のことまで考えて選挙に投票してるわけではないと思います。
 太田さんの言い方を分析しますと、ある一定以上のレベルに達した人だけに限定的に選挙権を与えるべきだと聞えます。
 私もそれには賛成です
二十歳以上の全ての国民に選挙権があるのは否定できません。
 だから納税額に応じて投票数を増やせばいいと思います。
 国民は平等に皆一票などそれこそ不平等だと思います。
<太田>
 
 私は、国民が政官業癒着構造に怒って選挙に投票してくれることには期待していますが、さしあたり、国防のことまで考えて投票してくれなくて結構だと思っています。
 いずれにせよ、日本人の平均IQは世界有数の高さであることもあり、一人当たりの票数に差をつけることもないのではありませんか。
 納税額に応じて票数を増やすことは、現状においては、癒着構造の下でしこたま儲けた人も票数を多く与えられるわけで、いかがなものでしょうか。
 なお、日本人の平均IQがいくら高いからと言って、これから導入されようとしているところの、世界で他に例を見ない裁判員制度が機能するとは到底思えません。
 もっと皆さん、司法制度にも関心を持ちましょう。
<大>
 コラム#2201の死刑存廃論についての場面で、太田さんは死刑と戦争を「国権の発動」であることを根拠に同列に論じておられますが(違いますか?)、そうでしょうか。
 国権の発動である点については賛成いたしますが、死刑については、罪刑法定主義の自由保障機能の見地から、犯罪と刑罰があらかじめ客観的に定められており、かつ一応制度上は手続き保障や誤判防止の策がうたれている裁判所と刑事訴訟制度によって決定された事項についての国権の発動であるのに対して、戦争は上記のような客観的定め(何をされたら戦争をするか)もなければその判断の仕方も曖昧です。
 ですから、死刑は認めても戦争は認めないという状態がありうるのではないですか?
 太田さんや遠江人さんのおっしゃることとは実質的に論点が異なってしまうかもしれませんが、要するに、自分は緩やかな死刑廃止論者ですが、「戦争がよくないというなら死刑もよくないだろう」という論じ方が本当にできるのかということが知りたいのです。
<太田>
 以前遠江人さんにお答えしたことの関連で、コラム#196の(注4)で私は、「法律で死刑を(しかも平時において)廃止した国はあるが、憲法上死刑を禁止した国は聞いたことがない。」と記したことを思い出しました。
 さて、「大」さんがおっしゃることはよく分かります。
 そこで、「死刑がよくないというのなら、戦争はもっとよくないだろう」ならいかがでしょうか。
 死刑を「廃止」した国々に向けてこの疑問をぜひ投げかけてみたいですね。
 なお、全く戦争がなかった平安時代中期には、死刑も全く執行されませんでした(コラム#116、1057)。当時は、私の言うところの縄文モードの時代の一つの典型です。
 なお、死刑については、コラム#199(の末尾)、456、641、704、743、763、1150、1874、2065(後で触れる)、2098(の補注)もぜひ読んでみてください。
<michisuzu>
 死刑制度に関しては消極的賛成論者です。
 現在の死刑制度は結局、日本人の大多数の容疑者に対する私憤のガス抜きの制度なんでしょうね?
 それ以外説明がつきませんね。
<太田>
 おっしゃるとおりです。
 以前コラム#2065で、「・・今では、死刑にする方が完全終身刑にするよりはるかに沢山カネがかかること」と「・・死刑には犯罪抑止力がないこと」を指摘したところです。
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<太田>
 11月29日付の東京新聞の25頁に私が登場しており、例によって過激な発言をしています。
 また、赤旗日曜版(12月2日号)の5頁にほぼ前面を使って私へのインタビュー記事が掲載されています。額賀さんの話が中心です。
 更に、本日(12月3日)発売の週刊誌アエラに、「1500ページ日記の中身」と題する私に関する記事が3頁にわたって掲載されています。中身は、例の「斡旋利得議員等リスト」についての詳細が主です。
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太田述正コラム#2213(2007.12.3)
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