太田述正コラム#2228(2007.12.11)
<記者会見>
1 始めに
 社会新報の記者の方に今週中に保坂展人衆議院議員の名前で議員会館で部屋を借りて記者会見をやりたいと話したところ、今週中なら土曜の朝刊に載っても余り読まれないので、火・水・木のどれかの曜日に会見をやるのがよかろう、また、朝刊に間に合わせるのなら、午後の早い時間がいいだろう、とさっそく手配をしてもらえることになりました。
 何で民主党じゃなくて社民党になっちゃったんだ・・社民党さんゴメンね・・と相変わらずのダメ民主党に呆れながら、「太田総理・・」の収録に出かけていたところ、1930頃、収録が終わった直後に上記記者から電話が入り、翌日(11日)しか会館の部屋が空いていないので翌日の1400からでどうだとおっしゃる。
 嫌も応もなく、お受けすることにしました。
 ついでに、マスコミへの連絡も、おまかせでお願いすることにしました。
2 時間がない!
 それからが大変でした。
 タクシーを飛ばして自宅に帰ってから、メールを見ると、マスコミへの連絡内容が書いてあります。
下記案内を司法記者クラブと社会部・防衛省クラブ幹事社に送りました。
幹事社 御中
平成19年12月10日
太田述正(元仙台防衛施設局長)
東京都大田区北嶺町20-6
電話09083172946
記者会見のお知らせ
拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
「口利き」政治家の新たな4人の実名と資料を公表するため、下記の通り記者会見を行ないます。ご出席賜ればいただければ幸甚です。敬具
とまあこんな具合なのですが、これは誇大広告という奴であり、政治家4人でなく、政治家1人(当時宮城県議(自民)、現在宮城県知事)と官僚3人なのですな。
 それはともかく、記者会見時に配布する資料を作成し始めてからあわてましたね。
 村井さんについての日記の記述の私の解釈に誤りがあったことに気付いたのです。
 それがどういうことかはコラム#2228(当面非公開)に記すことにします。
 結局資料作成に時間を要し、睡眠時間は4時間を切った状態で三宅坂の社会文化会館内の社会新報に着いたのが13時15分。ただちに資料のコピーにとりかかり、上記記者と二人で9頁の資料を50部つくりました。
3 記者会見
 参集した記者の皆さんに、名刺を一枚ずつ出してもらったのですが、週刊金曜日、琉球新報、北海道新聞x3、共同通信X2、朝日新聞x2、時事通信、赤旗、TBS、TV東京、日刊現代x2、東京新聞、日本経済新聞、文化放送、讀賣新聞、フジテレビ、NHK、毎日新聞、東北放送、と18社から23名が集まり、盛会でした。
 これも誇大広告のおかげかもしれません。
 結局、質疑応答を入れて、1410から1500直前まで密度の濃い記者会見になったと思います。
 断定的な口調は避け、資料をして語らしめることに努めた次第です。
 終了後、東北放送の短い録画取材を受けました。
 村井知事による名誉毀損訴訟提起の可能性を何度も聞かれたのに対し、日記上に関連記述のない政治家でさえ、訴訟を提起する動きの方はいないこと、訴訟提起するまでもなく、村井知事は様々な「説明」が可能であることを強調しておきました。
<参考:記者に配布した資料>
 (太田コラム読者の皆さんへ:「2 上野隆史氏」のところから読んだ方が分かり易いと思います。よく分からない所があったら質問してください。(太田))
               資料
                             2007.12.11
1 村井嘉浩氏
村井(宮城県議(自民)。99.11.22):仙台市。土木。指○
(1999.9.25 土)
・・・
1045:局で着替えをした後、仙台駐屯地の東北方面総監部・・・へ。宮城県県議会議員村井 浩(よしひろ)(昭和35年生まれ、昭和59年防衛大卒業、陸上自衛官(ヘリコプターパイロット)、平成4年―7年:松下政経塾、平成7年県議)、・・・らと懇談後、宮城県自衛隊殉職者追悼式へ。
(1999.11.16 火)
・・・
1015:村井県議から電話。仙台建設業協会長が、せっかくなら、一献差し上げたいと言っていると言うので、お目にかかるだけにした方がよろしいでしょうと答える。このご時世に、お二人ともいささかどうかと思われる。
(1999.11.22 月)
・・・
1030:村井県議ら来訪(下、参照)。台原森林公園、科学館、文学館に閑古鳥が鳴いているのは、地下鉄を使わせるため、駐車場を作らなかったためとか。なるほど。県知事と仙台市長の仲が悪いことも原因の一つという。
1315:総務部長との話の余談で気づき、建設企画課長に下掲メモを手交。
 (1999.10.5 火)
1500:b社(株。六本木に本社)取締役社長F、同社取締役東北支社支社長G、同支社営業部営業担当部長H(大越さんのX校二年先輩)各氏の挨拶を受ける。この3年、受注がない由。
 (1999.11.12 金)
1530:a社(株)社長A(上野さんの紹介。勉強会は大越さんも入っているが、Bさんは会員ではない由)、同社顧問C、同社東北支店支店長D、同支店調査役E(元仙台局勤務)各氏の挨拶を受ける。ビール券1ダース分いただく。
 (1999.11.1 月)
1500:c社(株。仙台。・・・株式会社に変わって50年。)代表取締役I、営業部長J両氏と懇談。(相沢の紹介。)「殆ど防衛庁の仕事をもらっていない。また、林建設部長の所に人をもらいに行ったが、年間七名しか出せないので数年待ってくれと言われた。建築士をもらっても、かえって、社内で波風が立つ場合がある。むしろ事務系の人で、たまに施設局に茶飲み話に行ってくれる程度でよいのだが。」と言っていた。
・・・
1030:(社)仙台建設業協会会長高一夫((株)高工代表取締役)、同協会常任理事土木委員長高野秀夫両氏、紹介者の村井県議とともに来訪。「協会加盟各社をよろしく。(株)高工は、10数年前以来、局から一度も指名がない。」私から、なぜ建設投資が減少気味なのに、業者数は増えているのか質問したが、不要領は返答を得たのみ。
(脚注)「高一夫」は「高橋一夫」の誤記。
(1999.11.30 火)
朝:1 建設問題:本日の朝日新聞は、地元業者優先を図るための、過度の分割発注(技術力もなく、まとめて同じ大手建設業者へ丸投げするといった問題も生じうる。もっとも、このようなケースでは、予定価格の積算が甘すぎるという問題もからんでいる)や地元業者の下請けとしての利用の要請の原因は、①中小企業保護を盛り込んだ「官公需法」(1966年施行の「官公需についての中小業者の受注の確保に関する法律」。国の公共事業について、主として資本金一億円以下か、従業員300人以下の業者を優遇することを政府に求めている。)であり、最近では②小選挙区制の導入と不況だ、と言う。(「衆院選の選挙区が県議や市議並みに狭まったことで、大手ゼネコンが選挙を「お手伝い」できる局面が減り、地縁、血縁をフルに利用できる地元業者の「集票マシン」としての役割が強まっている。建設業の就業者数は、バブル崩壊後のも景気対策などで増え続け、全製造業の約半分を占める約650万人前後になっている。政治家にとっては魅力的な「票田」だ。」)
「この結果、中小業者への公共事業配分はさらに加速している。建設省直轄工事の中小向け発注率は、94年度の約40%から99年度は50%近くに増える見通しだ。」「不況対策として急激にふくらみ続けてきた公共事業は、中小業者に仕事を与え、地域の雇用を支えてきたが、反面、業者の整理再編を遅らせ、非効率な産業構造を温存してきた。」
これで、ようやく、疑問が解けた。仙台建設業協会長と村井県議は、知っていて言わなかったのか、知らないほど無知なのかどちらかだ。
2 上野隆史氏
上野さん(元調達実施本部長。99.11.22):北区。通信。指○
 1955年に東大法学部を卒業して防衛庁に入庁した防衛省キャリア1期生で、福岡防衛施設局長、人事教育局長、調達実施本部長を歴任して防衛庁を退職。
(1999.11.8 月)
・・・
1530:元調達実施本部長の上野隆史氏から電話。金曜に私を訪問するA氏は、勉強会(B元装備局長主催)仲間なのでよろしくとのこと。そんな話しか来ないやるせなさよ。
(1999.11.12 金)
・・・
1530:a社(株)社長A(上野さんの紹介。勉強会は大越さんも入っているが、Bさんは会員ではない由)、同社顧問C、同社東北支店支店長D、同支店調査役E(元仙台局勤務)各氏の挨拶を受ける。ビール券1ダース分いただく。
(脚注)A、C両氏の名刺あり。
(脚注)リスト中の日付は写し間違いと思われる。
3 大越康弘さん
大越康弘(当時防衛研究所長。99.10.05):港区。舗装。契○
 私の4期先輩の東大教養卒の防衛省キャリア。防衛研究所長の前職が官房長であり、諸冨増夫さんらが引き起こした調達実施本部不祥事の責任をとって官房長を退いていた。
(1999.10.1 金)
1000:大越防衛研究所長から電話あり。X校の2年先輩の業者の紹介。
(1999.10.5 火)
・・・
1500:b社(株。六本木に本社)取締役社長F、同社取締役東北支社支社長G、同支社営業部営業担当部長H(大越さんのX校二年先輩)各氏の挨拶を受ける。この3年、受注がない由。
(脚注)前出。
(脚注)F、G、H各氏の名刺あり。
(1999.11.12 金)
・・・
1530:a社(株)社長A(上野さんの紹介。勉強会は大越さんも入っているが、Bさんは会員ではない由)、同社顧問C、同社東北支店支店長D、同支店調査役E(元仙台局勤務)各氏の挨拶を受ける。ビール券1ダース分いただく。
(脚注)前出。
(2000.7.24 月)
・・・
1400過ぎ:前防衛研究所長大越さん・・から、三沢の共同受信施設をCATVにも活用している(目的外使用だが、施設庁が黙認)が、これを更にインターネットに使えないかとの御下問。施設対策第一課に話をつなぐ。
(2000.7.25 火)
・・・
1530:施設対策第一課から、大越さん問い合わせの件について報告を受ける。
・・・
1545:大越さんに連絡。追加的経費(増幅器の双方向化等)を受益者側が負担するのであればOKと伝える。
4 相沢史郎
相沢(元仙台防衛施設局長。99.11.01):仙台市。建築。指○
 京大法学部卒で私の同期の防衛省キャリア。私の三代前の仙台防衛説局長でり、その後東京防衛施設局長、防衛施設庁労務部長を短期間でそれぞれ歴任し、1999年に退職し、再就職して当時三鉱商事株式会社理事をしていた。
 (その後、防衛庁生活協同組合(防衛庁の省昇格に伴い、名称が変わっている)常務理事・事務局長に就任している。) 
(1999.10.7 木)
・・・
 ・・・三鉱商事(株)理事相沢史郎(同期。三代前の仙台局長。吉祥寺の「小ざさ」の最中一箱。総務課に供出)サンコーコンサルタント(株)営業本部顧問大場昭(元防研図書館長。著作コピー多数いただく)、同営業本部理事引田博、同社東北支店営業部部長篠田茂雄。相沢の発意により全員席につく。相沢と大場さんにそれぞれ防衛白書を贈呈。
(1999.10.25 月)
・・・
1600:相澤君から電話。知り合いの知り合いのc社社長が近々挨拶に行くので会ってやってほしいとのこと。
(1999.11.1 月)
・・・
1500:c社(株。仙台。・・・株式会社に変わって50年。)代表取締役I、営業部長J両氏と懇談。(相沢の紹介。)「殆ど防衛庁の仕事をもらっていない。また、林建設部長の所に人をもらいに行ったが、年間七名しか出せないので数年待ってくれと言われた。建築士をもらっても、かえって、社内で波風が立つ場合がある。むしろ事務系の人で、たまに施設局に茶飲み話に行ってくれる程度でよいのだが。」と言っていた。
(脚注)前出。
(脚注)林防衛施設庁建設部長は、前職は仙台防衛施設局長(私の前任者)。
(脚注)I、J両氏の名刺あり。
(2000.1.18 火)
・・・
1450:三鉱庄司(株)理事相沢史郎(二度目)、サンコーコンサルタント(株)理事引田博(二度目)、同社東北支店支店長付部長林勲男各氏。
(脚注)三鉱「庄司」は「商事」のミスプリ。また、三鉱商事はサンコーコンサルタントの関連会社。
<参考>
1 額賀氏が「紹介」した業者の名刺。(別添)
2 村井氏とともに仙台局を訪問した業者達の名刺。(別添)
3 依田氏が「紹介」した業者(名刺は別添)の仙台局訪問。
(1999.12.7 火)
・・・
1310:千代田電気工業(株。秋田)代表取締役小野地謙治、同社工事技術部部長代理安田典男両氏の挨拶を受ける(依田防衛政務次官佐々木氏の紹介)。平成2年の加茂の工事以来手がけていない。光ファイバーや道路融雪装置がウリとのこと。菓子折一箱いただく。(総務課へ)
4 伊藤宗一郎衆議院議員が「紹介」した業者の仙台局訪問。
(2000.8.25 金)
・・・
1330:伊藤宗一郎衆議院議員秘書青沼裕之(松島基地事故の防衛庁陳情には(選挙区なので)つきあった。選挙区出身の守谷官房長と伊藤議員から、ふるさとに行くのなら、お父さんと一緒に局長の所にご挨拶に行けと言われた。父の会社に是非おつき合いをお願いしたい。)、(株。小牛田町)河北エンジニアリング代表取締役社長青沼豊(宏之氏の実父。伊藤後援会の幹部。当局とはこのtころ毎年指名されている関係。昨年度と二年前の年度は落札あり。)両氏。懇談。何たる無神経!しかし、現在与党三党間で調整中の斡旋利得罪では、青沼氏は私設秘書だと思われるので、はなから罪の対象とはならない。しかも、正規の政治資金しか拠出していないとすれば、自民党案では仮に青沼氏が公設秘書や政策秘書であったとしても、罪の対象とはならない。日本の政治の明け方が来るのはいつなのか。
1430:建設部長に上記陳情を取り次ぐ。後で説明ができればいいだけ、と申し添える。
別添→名刺白黒コピー集 <省略>
別添→2000.7.7のいわゆる斡旋利得議員等リスト
額賀福士郎(衆議院議員(自民)。元防衛庁長官。当時内閣官房副長官。99.4.23。00.3.2(官房長経由)):南陽市。土木。指○(10年度まで営業回数0。11年度に53)*
大越康弘(当時防衛研究所長。99.10.05):港区。舗装。契○
相澤(元仙台防衛施設局長。99.11.01):仙台市。建築。指○
村井(宮城県議(自民)。99.11.22):仙台市。土木。指○
上野さん(元調達実施本部長。99.11.22):北区。通信。指○
加藤紘一(衆議院議員(自民)・元防衛庁長官。99.11.26):鶴岡市。管。指○
依田智治(参議院議員(自民)・元防衛事務次官。当時防衛総括政務次官。99.12.7):秋田市。電気。指○。*
玉澤徳一郎(当時衆議院議員(自民)・元防衛庁長官。00.2.23):盛岡市。建築。契○
中谷元(衆議院議員(自民)・防衛大出身00.6.5):山形市。建築。×(営業回数0)
 (注)*は、指摘して追加させたもの。
伊藤公介(衆議院議員(自民)。99.12):三沢飛行場第2種区域における北多摩建設興業(株)所有の土地(宅地等3筆約3000平米)の買収。H13概算要求。
浜田靖一(衆議院議員(自民)。99.11.10)・浜田幸一(当時元衆議院議員(自民)。00.3):三沢飛行場第3種区域における宮古喜三郎所有の土地(農地等3筆約5300平米)の買収。H13概算要求。
大島理森(衆議院議員(自民)。00.3)・田名部匡省(参議院議員(無所属の会)。00.6):三沢飛行場第2種区域における佐藤和幸所有の建物等(共同住宅3棟(11戸)、宅地等5筆約3600平米)の移転。H14以降。
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太田述正コラム#2229(2007.12.11)
<記者会見前にあわてたこと>
→非公開