太田述正コラム#2229(2007.12.11)
<記者会見前にあわてたこと>(2007.12.18公開)
1 始めに
 私の仙台防衛施設局長時代の日記は詳細なものですが、日記は日記であり、断片的記述の集積体に過ぎません。
 ですから、個々の記述の意味については解釈の幅が出てきます。
 そのことを痛感したのが、今回の村井さん(当時宮城県議、現在宮城県知事)の「口利き」に係る日記の記述です。
 私の記憶の中では、村井さんの口利きを自分自身が受けたという認識は全くありませんでした。
 ところが、額賀さんがらみで日記の関係ありそうな箇所を拾い読みし始めた段階で、私が村井さんの口利きを受けた、という認識に変わりました。
 アブナイアブナイ。記者会見期日が決まり、配付資料を吟味している最中に、いや、やはり私は村井さんらと会ってはいるが、口利きを受けたという認識は当時なかったに違いない、と思うに至ったのです。
 この最後の認識について、もう少し説明させてください。
2 口利きを受けたという認識の無かった私
 コラム#2227を参照してください。
 「伊藤宗一郎衆議院議員が「紹介」した業者の仙台局訪問。」のところで、「1430:建設部長に上記陳情を取り次ぐ。後で説明ができればいいだけ、と申し添える。」という記述があるように、私は自分が口利きを受けて原局にその話をつないだ場合は、その旨を日記に記述しています。
 もう一つの例証は、「(1999.11.22 月)」に、それまで私が受けていた、防衛省キャリアによる口利き案件3件をまとめて原局につないだ旨を記していることです。
 ところが、その同じ11月22日に村井さんと業者2名が一緒に私を訪問しているというのに、上記記述はあっても、その中には、いやその外にも、村井さんの口利きを原局につないだ旨の記述は出てきません。
 これは、私がこの村井さんらの訪問を口利きと認識していなかったことを推認させます。
 日記の記述をお読みになれば分かるように、私は、口利き的なことには、(そういうことは嫌いであることもあって、)感度が極めてにぶく、そんなことはそっちのけで「高尚」な議論を村井さんらに吹っかけています。
 では、どうして「リスト」上では村井さんによる口利きが11月22日にあったことになっているのでしょうか。
 恐らく、村井さんらは私に会う前か後に、局の建設部長あたりに面会しているのでしょう。「施設局長にも話をしておく」、あるいは「施設局長にも話をしておいた」と言われて、彼らはこの日、村井さんによる口利きがあったと整理したに違いないのです。
3 終わりに
 私自身、建築・土木事業に関する口利きなんて深刻な問題だとは思っていませんでした。口利きをしてもらう個々の業者の方にとっては死活問題かも知れないけれど、指名する程度のことなら、行政のゆがみといっても大したことではないし、直接的には国民の税金が無駄遣いされるものでもないからです。
 上野・大越・相沢ら防衛省キャリアも一見同じ考えのように見えますが、彼らは口利きと単なる照会との違いに無頓着であるというだけであって、私のように政官業の癒着構造そのもの、就中天下りシステムを粉砕しようなどという発想は彼らには全くありませんし、かかる癒着構造の下での防衛省キャリアの無能・退廃ぶりへの危機意識もまた彼らにはありません。
 いずれにせよ、私が大して深刻視していなかった建築・土木事業に係る口利きリストがこれほど世間の注目を浴び、人々を怒らせることになろうとは、夢にも思いませんでした。
 それにしても、村井宮城県知事の出方が注目されます。