太田述正コラム#1834(2007.6.25)
<ルパート王子>(2007.12.21公開)
1 始めに
 チャールス・スペンサー(Charles Spencer)って覚えておられますか。
 そう、コラム#1786と1790に登場した、ダイアナ妃の弟(43歳)です。
 その彼は、二度の結婚と離婚という点では身持ちの余りよくなかったダイアナと似ていますが、凡庸であったダイアナとは違って、ダイアナに対する名弔辞を書いただけでなく、このところ歴史家としても活躍しています。
 そのスペンサーが最近上梓したばかりの’Prince Rupert: The Last Cavalier’を手がかりに、数奇な生涯を送ったルパート王子(Prince Rupert of the Rhine。1619~82年)の生涯をご紹介しましょう。
 
2 ルパート王子の生涯
 ルパートは、1619年に30年戦争のさなかにプラハで生まれます。
 父親はパラティン選帝伯(Elector Palatine)(注)、母親はイギリスのジェームス1世の娘です。
 (注)パラティン伯領は、ドイツ南西部のルクセンブルグとライン川に挟まれた下パラティン伯領(the Lower Palatinate)とドイツ東部の東ババリアの上パラティン伯領(the Upper Palatinate)からなる(
http://www.answers.com/topic/palatinate?cat=travel
 父親はその時ボヘミア王になったばかりでしたが、すぐにハプスブルグ家の神聖ローマ皇帝との戦いに敗れて王位を逐われ、パラティン選帝伯領まで召し上げられてしまい、ルパートはオランダのハーグで両親とともに一種の亡命生活を送ります。
 長男ではなかったルパートは、軍隊で活躍することを選び、プロテスタントとして30年戦争に身を投じ、当時の残虐な戦争のやり方を習得します。
 ルパートは神聖ローマ皇帝軍の捕虜になるのですが、カトリックへの改宗を頑として拒んだために何年も抑留されます。
 1642年、22歳のルパートは彼の伯父のチャールス1世のイギリス議会軍との戦いを支援するためにイギリスに渡ります。
 そして、国王側の近衛騎兵の長に任命され、縦横無尽の活躍をするのです。
 その勇猛さ・残虐さ・掠奪好きから、ルパートは議会側から「キチガイ騎兵(Mad Cavalier)」というあだ名で呼ばれ、彼が戦場に伴った犬まで魔犬として懼れられました。
 しかし、議会側の総帥の20歳年長のクロムウェル(Oliver Cromwell。1599~1658年)の方がルパートより軍の指揮官としては一枚上手でした。
 やがて国王側の敗北を予感したルパートはチャールスの不興をかい、戦列を離れ、1646年、議会によってイギリスから追放されます。
 その後チャールスとよりを戻したルパートは、国王側の艦隊の指揮官となります。しかし、議会側の艦隊に敗れ、西インド諸島に逃げたルパートは、今度は海賊となり、イギリス商船を執拗に襲い、その後、欧州大陸に戻ります。
 イギリスで1660年に王制復古がなると、ルパートはイギリスに再び渡り、チャールス2世に重用され、公爵となり、1666年からはイギリス艦隊の司令官に任命され、第2次英蘭戦争で大活躍しますが、第3次英蘭戦争では苦戦を強いられます(コラム#1805)。
 彼は、1670年には英領カナダのハドソン湾会社(Hudson’s Bay Company)の初代総督に任命されます。ブリティッシュ・コロンビア州のプリンス・ルパートとかケベック州のルパート川は、この時の縁で名付けられたものです。
 ルパートは、ドイツで開発された銅版画技法(mezzotint)をイギリスに導入するとともに、自らこの技法を使った画を残した人物としても知られています。また彼は、古典の造詣が深い知性の人でもありました。
 ルパートは1682年に62歳で亡くなり、ウェストミンスター寺院に埋葬されます。
 (以上、特に断っていない限り
http://books.guardian.co.uk/reviews/biography/0,,2109184,00.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Prince_Rupert_of_the_Rhine
以下、断片的に
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2007/06/10/nspeech210.xml
http://www.itv-thismorning.co.uk/NewsAndFeaturesArticle.aspx?fid=2347&tid=2
http://www.althorp.com/LiteraryFestival/pgeFestivalAuthors.aspx?id=3
(いずれも6月25日アクセス)による。)
3 感想
 スペンサーは、女誑しで大酒飲みで、しかし同時に知性の人でもあったルパート王子に自分を重ね合わせているようです。
 このスペンサーの本は、英王室のために一身を捧げた一人の貴族を採り上げているわけであり、これは英王室の犠牲となった姉ダイアナへのオマージュでもあるのでしょう。
 このような弟を見ていると、ひょっとしてダイアナも単なる凡庸な美人ではなかったのではないかと思えてくるのが不思議です。