太田述正コラム#1841(2007.6.28)
<「人種」は実在するのか(その1)>(2007.12.24公開)
1 「科学的」人種概念の誕生
ドイツの人類学者ブルーメンバッハ(Johann Friedrich Blumenbach。1752~1840年)は、世界中の人々の頭蓋骨を研究し、1775年に、ヒトをコーカサス人(Caucasian。白)、モンゴル人(Mongolian。黄)、エチオピア人/ネグロ人(Ethiopian/Negro。黒)、(先住)アメリカ人(American。赤)、マラヤ人(Malayan。茶)の5つの「人種(race)」に分類することを提唱しました。
ブルーメンバッハがコーカサス人というネーミングを行ったのは、コーカサス(カフカス)山脈のすぐ南にあるアララット山に旧約聖書に登場する「ノアの箱船」が辿り着いたと信じられていたからだと言われています。
ブルーメンバッハは、さまざまな人間集団のなかで白人の「コーカサス」人が「最も美しく」、すべての人間集団の「基本形」であって、他の4つはそれから「退化」したものだと記しています。
これは、旧約聖書に白を光ないし善、黒を闇ないし悪とする記述があることに由来する、キリスト教的偏見に由来する、という説があります。
このブルーメンバッハの5分類は、その後、コーカサス人、(先住アメリカ人とマラヤを取り込んだ)モンゴル人、黒人の3分類へと再編され(注1)、現在に至っています。
(注1)このほか、通常、オーストラリア先住民(aborigine)、インド亜大陸の住民、メラネシア人、ミクロネシア人、ポリネシア人等が挙げられるが省略する。
かつては、このようなブルーメンバッハ的な「人種」なるものの実在を疑う人はほとんどいませんでした。
現在はどうでしょうか。
2 現在の通説
実は、「人種」は実在しない・・より正確には「人種」は社会的な概念なのであって生物学的には実体がない・・というのが現在の通説なのです。
その根拠の第一は、ヒト(ホモ・サピエンス)の起源に関してはアフリカ単一起源説で現在科学者の間ではほぼ見解が一致していることです。
つまり、ヒトがわずか10万年から15万年前にアフリカから他地域に広がったのだとすれば、こんなに短い期間でヒトの種が分化するに至ったとは考えにくい、というのです。
根拠の第二は、今はやりのヒトゲノム解読により、遺伝子のレベルでは集団内での個体差にくらべて地理的集団間の差がひじょうに小さく、遺伝子頻度のデータでも人種は厳密に定義することも客観的に分類することもできないことが明らかになっていることです。
それでは、皮膚の色や目の色などが地域によって違うのはなぜなのでしょうか。
それは、アフリカで誕生したヒトが地球上の各地に分布を広げていったとき、地域集団がそれぞれの自然環境に適応し、長期にわたって ある程度の隔離を経験したために、身体形質に地理的な変異を生じるに至った(注2)頃の名残だ、というのです。
(注2)ヒトは、温度/高度、風土病、食料資源などの環境条件に生物学的に適応した、と考えられている。
名残だというのは、ヒトの地域集団の身体形質の差異は、ヒトが小集団で狩猟採集生活を送っていた旧石器時代においては次第に大きくなっていったものの、この分化が生殖隔離(種分化)に至る前に、新石器時代に入って農耕牧畜による人口増加が各地で始まったため、集団の拡張や移住による接触・交流が盛んになり、ヒトは分化から一転して融合に向かうようになり、ついにヒトの種分化は生じなかった、つまり「人種」は生まれるに至らなかったからだ、いうわけです。
3 現在の少数説
この通説に対し、「人種」とはもともと遺伝子頻度では表わすことのできない多因子性の適応形質や外見上の形態にかかわる現象であること、また厳密な定義や分類のむつかしい生物学上の概念は「人種」以外にも少なくないことを考えると、「人種」を虚構だと切り捨てるのはいかがなものか、とする少数説があります。
(以上、
http://jp.encarta.msn.com/encnet/refpages/RefArticle.aspx?refid=761576599、
http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761576599_2/content.html、
http://wwwsoc.nii.ac.jp/ujsnh/club/essay/008/index.html、
http://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Friedrich_Blumenbach
(いずれも6月28日アクセス)による。)
(続く)
「人種」は実在するのか(その1)
- 公開日:
『「人種」は社会的な概念なのであって生物学的には実体がない』というのは、人種分類の細部にまで及ぶような見解ではない。 これは、白人(ヨーロッパ系白色人種で中東系の者などを先祖に持たない者)が時にアシュウケナジー(生物学的にはヨーロッパ人種–これは一般的表現ではないが.–であるようなユダヤ人)を非白人として扱うことを「人種差別」の一つと世界的にはとらえることに起因している。
コケイジャンとそれ以外との分類には、確かに実体がある。– コケイジャンの遺伝は劣性遺伝である。– むしろ、黒色人種と黄色人種との間の分類(分別)においてで実体がない。
現在地上にすむ全人類に対して確立されている人種の区分は“Caucasian or the Other”のみである、といってよい。
わたしは White(European Japanese)であるが、他国から来た White と話をしているだけで Asian の Japanese からとても嫌な顔される。
わたしの立場にたつとき、軽々しく日本にやってきて Japanese(Asian) とつきあっている White は、
Japanese(Asian)がわたしに対して行なう嫌がらせに対し、加担しているか又ひどく助長しているかにしか見えない。
このてのコラム(本文のこと)を書くような Japanese(Asian)は、ご自分らのしていることの姿がわかっていない。
わたしから見ると、 Japanese(Asian)は調子のよい物言いばかりする矛盾だらけの身勝手な手合いでしかない。