太田述正コラム#13425(2023.4.16)
<皆さんとディスカッション(続x5503)>
<愛読者>
≫2~3日前から(食欲は変わらないが)とりわけ食間に腹がもたれるようになった。そのせいか、疲労感に苛まれる≪(コラム#13423。太田)
太田さんのご健康を、ただただお祈りするばかりです。
<太田>
おかげさまで「全快」しました。
<七氏>
歌って、やっぱすごいわ。毎回感動だわ。
https://thevoicejapan.jp/
<ned massive>
「【詳細】岸田首相 演説先で爆発物投げ込まれる 爆発音と白煙・・・」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230415/k10014039411000.html
この事件、不備を指摘されるべきは警備計画と選挙遊説計画であろう。
そもそも、国家元首と一般人の物理的距離間がオカシイ。
選挙前で好感度を高めたい狙いなのはわかるが、だが、一般人との距離を詰めすぎて容易にテロリストの標的になった、という単純な話ではないか。↓
『岸田総理襲撃「距離確保に重点を置くべき」 米警備プロが指摘』
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000295617.html
政治屋は選挙期間になると急に庶民と接触しだす。
選挙戦術にすぎないが、単純接触が票につながるとの認知から政治屋はローカルで一般人と接触することを厭わない。
岸田総理、実に楽しそうに地元のおば様方と歓談している。↓
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230415/k10014039521000.html
しかし、この光景は一般人を巻き込むことを厭わないテロリストなら11:20 刺身試食会場に爆発物投下でおば様達ごと岸田総理が逝っていた可能性を示唆している。
結果はそうなっていないが、本来なら一般人を危険に晒していること自体を指摘されるべき。
しかし何故か世間の関心は木村容疑者に集中。
犯人をヘッドロックした漁港おじさんが賞賛されているが、これも本来であれば岸田総理と一般人の間の距離が保たれていればおきえない、いわば珍事でしかない。
また、漁港が警備上のウィークポイントであることは安倍晋三襲撃事件でも指摘されている。↓
「2022年の参院選で、安倍は20都道府県で47回、応援演説に立った。そのほとんどが(A)選挙カーの上、(B)屋内会場、(C)後方に壁や車両がある場所、のいずれかで行われた。例外は事件のあった大和西大寺駅北口と、山口県長門市の漁港(6月25日)の2か所のみであった・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89%E9%8A%83%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6
今回は岸田総理は無傷で終わったが、会場に金属探知機も用いず、一般人となぁなぁの接触を楽しみ、それによりテロ実行を誘因して一般人を巻き込む可能性があったことを恥じるべき。
岸田総理自身や閣僚の発言をみていると選挙遊説計画に対する反省は無い模様。
これもまた脳死イシューなのかなと思いました。
<太田>
安倍問題/防衛費増。↓
<そう、治安が良く銃規制も徹底し、スパイ規制法もない戦後日本で内務省なき警察も脳死?↓>
「岸田首相襲撃に専門家「一般人が取り押さえた時点で警備はゼロ点」警察の落ち度と“安倍元首相のトラウマ”・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/781101e4d948408669ba10f668325f5925e73178
<しかし、日本社会は脳死してない。日本人の民度は高いからねえ。↓>
「こいつや!容疑者取り押さえた「漁港のおっちゃん」・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/1af43f5b293624f0aed4efc4001590eb96b87834
https://news.yahoo.co.jp/articles/9f7fdd81a83047d35557a1997b3b8e5afac70905
ウクライナ問題。↓
<ウクライナ、またやってくれたぜ。↓>
A fire broke out at a Russian tank training ground following reports of explosions in the city of Kazan on Saturday, according to local media reports.
The explosions were heard in the southern area of Kazan, a city of more than 1 million people located about 447 miles east of Moscow, according to The Kyiv Independent, an English-language Ukrainian news outlet. The explosions were heard near a site used for tank training amid Russia’s ongoing invasion of Ukraine.・・・
https://www.newsweek.com/fire-breaks-out-russian-tank-training-ground-after-explosions-reports-1794594
<ザマザマザマ。↓>
・・・the Russian military “is in no position to threaten Japan at this time,” the ISW assessed, noting that it previously reported that elements of the 40th and 155th Naval Infantry Brigades of the Pacific Fleet suffered heavy losses near Vuhledar, in the eastern Ukrainian region of Donetsk, early this year, and in late 2022.・・・
https://www.newsweek.com/russia-pacific-fleet-lacks-combat-power-posturing-isw-1794563
<レーニンの「温情」がロシアにとっちゃあ致命的だった?↓>
「・・・レーニン率いるソ連は、1921年「ネップ」(新経済政策)を通じて、自由主義経済を復活。ウクライナに対しても「土着化政策」を採用して、ウクライナ人、ウクライナ語にあわせた政策を採用した。これから10年にわたって、言葉、文化、宗教などあらゆる場面において、ウクライナ人はウクライナ人であることを許されたのである。
しかし、その束の間の政策は、スターリンの登場によって、地獄へと巻き戻ることになった。 「第1次五カ年計画」(1928〜1932年)で、過去に一度失敗している「農業の集団化」を再度実施。従わない農民を処刑したり、収容所に送ったが、生産現場は大混乱。収穫量は前年比35%減にまで落ちた。そこで起きたのが、「ホロドモール」(1932〜1933年)と呼ばれる大飢饉だ。・・・」https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/394%E4%B8%87%E4%BA%BA%E3%81%8C%E9%A4%93%E6%AD%BB%E3%81%97%E3%81%9F-%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AB%E5%88%BB%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%9F-%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%80%92%E3%82%8A%E3%81%A8%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%9E-100%E5%B9%B4%E5%89%8D%E3%81%8B%E3%82%89-%E6%86%8E%E3%81%97%E3%81%BF%E3%81%AE%E9%80%A3%E9%8E%96-%E3%81%AF%E7%B6%9A%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F/ar-AA19UrmV?ocid=msedgntp&cvid=66e40e67bac748b0984884b1a6f25c7b&ei=23
それでは、その他の国内記事の紹介です。↓
このヒト、日本原住民が絶滅しても、ひいては全人類が絶滅してもいいというのかしら?↓
「「少子化は最悪だ」という日本人は間違っている・・・
所得水準が上がれば、少子化が進む。これは人類の歴史において動かしがたい、変えようのない事実である。だから、そもそも少子化を止めることは不可能である。・・・」
https://toyokeizai.net/articles/-/666735
日本の対英米戦が始まるずっと前から、米ソ(露)はこういう蜜月関係にあった。
これを敵対関係に大転換させるのも杉山構想の肝の一つであり、物の見事にそれに成功した結果が、例えば、現在のウクライナ戦争だ。↓
「・・・ヤルタ会談では、他にも重要な密約があった。アメリカはソ連の対日参戦を決意させるために、ソ連に特別の軍事支援をすることも約束し、実行に移していたのだ。
具体的には、1945年8月14日に日本が連合国のポツダム宣言を受諾した後、ソ連軍は8月28日から9月5日にわたって北方4島を軍事占領したが、そのソ連の上陸占領作戦に、アメリカからの貸与艦船11隻が投入され、ソ連を軍事支援していた。「プロジェクト・フラ」と呼ばれる米ソの極秘作戦である。・・・
アメリカ海軍は掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、フリゲート艦28隻、駆潜艇32隻など計149隻の艦船をソ連に無償貸与した。(ただし、この本の本文には149隻をソ連に引き渡したとの記述が2カ所あるものの、本の巻末別表にある「ソ連への引き渡し艦艇一覧」には145隻しか記載されていない矛盾がある)。アメリカ海軍は当初の計画では、1945年11月までに180隻をソ連に貸与することを考えていた。
・・・アメリカ海軍は、アリューシャン列島に連なるアラスカ半島の先端に近いアラスカ州コールドベイの米軍基地にソ連兵1万2000人を集め、船舶輸送やレーダー、無線通信、ソナー、エンジニアリング、機雷除去などの習熟訓練を行なった。コールドベイにはアメリカ兵約1500人が常駐し、ソ連兵の指導に当たった。・・・
北方4島の占領作戦には、前述のアメリカの貸与艦船149隻のうちの11隻を含む18隻(輸送船を含む)が使用されていたことを突き止めた。このアメリカの貸与艦船は、ソ連海軍によって千島列島のほか、南樺太や朝鮮半島北部の上陸作戦にも使われた。・・・
アメリカは戦中はソ連の北方4島占領を軍事支援していたのに、戦後は「2島返還でソ連と手を打つな。4島返還を目指せ」と日本を脅していたわけだ。見事なまでの二枚舌外交である。・・・」
https://news.yahoo.co.jp/byline/takahashikosuke/20230416-00345805
日・文カルト問題。↓
<後者の方がはるかに大きかった要因だろ。↓>
「李承晩政権以降、14年も引きずってきた韓日国交正常化問題は、1965年に劇的に妥結した。
二つの要因があった。一つは米国。ビクター・チャは「米国がベトナム戦争へと次第に深く介入していくのに伴い、米国は東アジア地域の反共戦線を支えるため、最も重要な二つの同盟国たる韓日の間に、直ちに和解を求めるほかなかった」とし「歴史的敵対感にもかかわらず、指導者が相手方にいかなる態度を取っているかとは関係なしに、(米国が介入して)当時両国の国交正常化協定は妥結あるのみだった」と記した。
もう一つは実利主義だった。米国の援助が減る中、韓国は経済発展のための外貨を確保しなければならなかった。韓国の立場からすると憎たらしいが、日本はこの時期における国交正常化を、最小の費用(無償3億ドル、有償2億ドルで請求権協定)で両国関係を正常化する絶好の機会と見なした。ビクター・チャはこれを「相互に敵対感が存在する状況での協力関係」と定義した。その結果、韓日は「疑似同盟」関係を持つに至った。・・・」
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/04/14/2023041480124.html
<更なる健闘を祈る。↓>
「配膳ロボット・AI予約…日本市場に食い込む韓国スタートアップ企業 ・・・」
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/04/14/2023041480125.html
<米国も含め、いつまで続くことやら。↓>
「韓日米安保会議「北ミサイル対応、防御・対潜戦訓練を定例化」・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/303272
「韓国の安保担当高官 韓米情報共有拡大に「日本も含まれる公算大」・・・」
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20230416000100882?section=politics/index
<殆ど報道価値なし。↓>
「斉藤国土交通相「尹大統領、日本国民に感動与えた…彼の決断に尊敬」・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/303275
戦争は絶対にイケナイと国内で抜かしてる、怠惰極まる戦後日本の「知識人」の諸君、直ちにアフリカに飛んだらどうや。↓
・・・Sudan was on the verge of civil war Saturday after a paramilitary known as the Rapid Support Forces (RSF) claimed to have taken control of the country’s presidential palace, an international airport in the capital of Khartoum and another airport in Merowe, north of the capital. Sudan’s military dismissed the RSF claims as “lies,” and both sides accused the other of kicking off the battles that have seen airstrikes in the capital city.
The violence comes after years of heightening tensions between the RSF and Sudan’s military, headed by the president, Lt. Gen. Abdel Fattah al-Burhan, as the country has struggled to transition to a civilian-led government.・・・
https://www.washingtonpost.com/world/2023/04/15/sudan-fighting-paramilitary-hemedti-khartoum/
中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓
<中共人民の人間主義のお勉強は続く。↓>
「在日中国人ブロガー・・・の「陳生大王」氏は・・・、中国版ツイッター・微博(ウェイボー)アカウントで「さっき幼稚園の紹介を見ていた。あやうく泣きそうになった」と報告した。「陳生大王」氏は先日、散歩中に北鎌倉幼稚園の園児募集を目にしたといい、帰宅後に調べてみたところ、「この幼稚園の園児たちは一体なんという日々を送っているんだ」とあっけにとられたという。
そして、同幼稚園のインスタグラムの写真を基に、園児たちが草の上で寝転んだり、走り回ったり、お寺を探検したり、春には凧揚げやイチゴ狩り、夏には花火、秋には紅葉を見たり焼き芋をしたり、雨の日にはお坊さんと将棋を指したり、音楽を聞いたりしていることを紹介した。
また、募集要項がさらに涙を誘ったようで、「教育目標の欄には、足し算や引き算をどれだけ習得するか、どれだけの単語を覚えるかではなく、『愛情と信頼に基づいたコミュニケーションを培い、楽しい集団生活ができると同時に、子どもたちの個性を尊重し、自立の精神と創造性、行動力を養い育てること』と書いてあった」と説明。
最後に「これを見てとてもつらかった。(胸が)詰まって、大泣きしたくなった。私たちはなぜ一生に渡ってこんなにも疲れているのだろうか。私もこんなふうにもう一度(子どもから)成長したい。私もこんなふうに愛されてみたい」とつづった。
この投稿は中国のネットユーザーの大きな反響を呼び、コメント欄には「うわ。大泣き」「『窓ぎわのトットちゃん』を思い出した」「こうした能力の欠如って大人になってから気付くんだけど、どうしようもないんだよな」「中国には愛情の教育がないみたい。少なくとも私たちの代にはなかった」「中国では幼稚園からすでに競争が始まっている。私たちは小さいころから愛情や知覚とは何かを学んでいない」「中国人は100年後、彼らに追いつけるだろうか」「ドイツの幼稚園もそう。一日中色々な遊びをする。森へ行ったり、農場へ行ったり、街に行ったり。工作をしたり、水泳をしたり。すごくうらやましい。もう一度子どもに戻りたいよ」といった声が寄せられている。」
https://www.recordchina.co.jp/b912439-s25-c30-d0052.html
<同じく。↓>
「日本人は本当に冷たいのか?中国ネット「日本に2回行ったが…」・・・中国版ツイッター・微博(ウェイボー・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b912532-s25-c60-d0052.html
<今は昔・・。↓>
「一橋大学で学んだ1年余りは、実に有意義なものでした。友人が多くできたし、先生との交流もありました。もともと卒業してから帰国する予定でしたが、興安丸にて無料で帰国できること、また祖国が歓迎しているということで早期帰国を決めました。
もっとも、その根底にはブルジョア統計学を学んでも役に立たないという誤った判断がありました。私は高校時代に数学クラブをつくったほど数学が得意でした。社会科学にも興味があり、数学も生かしたいので、経済統計学に優れた一橋大学を選びました。ところが「ソビエトの統計理論」を読んでみると、ブルジョア統計理論と社会主義統計理論の違いが説かれ、日本でブルジョア統計理論を学んでも、中国に帰ってから役に立たないと思うようになったのです。また、帰国したらソ連に留学するチャンスがあるのではないかと思ったことも帰国の動機の一つでした。とにかく当時のソ連は 進歩的学生の憧れの的でした。
私が帰国することにしたと話すと、友人たちからは「日本の革命を放棄して、解放された中国に行くのか」と言われ、半分うらやましがれ、半分責められたりしました。・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b911658-s530-c30-d1530.html
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太田述正コラム#13426(2023.4.16)
<小山俊樹『五・一五事件–海軍青年将校たちの「昭和維新」』を読む(その36)>
→非公開