太田述正コラム#1875(2007.7.22)
<CIAの実相(その1)>(2008.1.17公開)
1 始めに
 ニューヨークタイムスの記者でかつてピューリッツァー賞を受賞したことがあるワイナー(Tim Weiner)が6月末に上梓した’Legacy of Ashes: The History of the CIA, Doubleday’(注1)が米国で話題になっています。
 (注1)この本のタイトルは、アイゼンハワーが大統領を辞める時に、当時のCIA長官であったダレス(Allen Dulles)に向かって、「真珠湾攻撃のようなことが二度と起きないようにするためにCIAはできたはずだが、できる前に比べて米国は少しも安心できる状況にはなっていない。私は次の大統領に「灰の遺産」を残して去ることになってしまった。」と語ったことにひっかけている。
 CIA(Central Intelligence Agency。1947年設立)の実相が、秘密指定解除された大量の一次資料と300名以上の実名インタビューを駆使することによって白日の下に晒されたからです。
 このワイナー描くところの慄然たるCIAの実相をご紹介しましょう。
 (ここまでを含め、特に断っていない限り、この本の書評である
http://www.nytimes.com/2007/07/12/books/12besc.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print 
(7月14日アクセス)、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/07/19/AR2007071902217_pf.html
http://www.nytimes.com/2007/07/22/books/review/Thomas-t.html?ref=world&pagewanted=print
http://www.statesman.com/life/content/life/stories/books/07/08/0708cia.html
http://www.chron.com/disp/story.mpl/life/books/reviews/4946453.html
http://www.newsday.com/features/booksmags/ny-bkcov5289840jul15,0,7965647.story?coll=ny-bookreview-headlines
http://intellibriefs.blogspot.com/2007/07/cia-legacy-of-ashes.html
http://online.wsj.com/article/SB118436115647966211.html?mod=googlenews_wsj
http://www.latimes.com/entertainment/la-et-rutten29jun29,1,2026280,print.story
http://www.oregonlive.com/O/artsandbooks/index.ssf?/base/entertainment/1184108120119680.xml&coll=7 
(いずれも7月22日アクセス)、及びこの本からの抜粋である
http://www.nytimes.com/2007/07/22/books/chapters/0722-1st-wein.html?pagewanted=print  
(7月22日アクセス)による。また、OSSについては
http://en.wikipedia.org/wiki/Office_of_Strategic_Services
CIAについては
http://en.wikipedia.org/wiki/CIA
による。)
2 CIAの実相
 (1)CIAの設立まで
 第二次世界大戦以前の米国には官庁横断的な諜報機関がありませんでした。
 米国には、官庁横断的なスパイ(espionage。含む対スパイ)機関がなかっただけでなく、他の列強では考えられないことに、米国は秘密工作(covert action)機関を全く持っていなかったのです。
 こんな心許ない米国のことを心配した英国の諜報機関の勧告を受け、ローズベルト大統領は、1942年6月に、スパイと秘密工作を行うOSS(Office of Strategic Services)を設立します(注1)。
 (注1)スパイは世界を理解しようとするし、秘密工作は世界を変えようとする。また、秘密工作はスパイに割り当てられるべき予算を奪ったり、諜報機関全体を腐敗させたりしがちだ。
 英国の諜報機関は、OSSの要員を手取り足取り指導します。
 OSSの業績は、中国共産党やベトナム共産党を支援したけれど、日本には痛くもかゆくもなかった上、それぞれ戦後の共産主義者による支那とベトナムの権力奪取に「貢献」しただけに終わったこと(太田)や、対ナチスドイツ秘密工作には全く成功しなかったこと・・例えば、ドイツ国内に二人一組の秘密工作員21組を送り込んだがうち一組しか活動することができず残りは全滅した・・等失敗ばかりでした。
 唯一の成功らしい成功は、スイスに拠点を構えたOSS要員ダレス(上述)がナチスドイツの最高指導部の情報をとるのに成功したことくらいだったのです。
 ところが、トルーマン大統領は、そんなOSSすら、戦争が終わったのだからもう用はなくなったとして、1945年9月に解体してしまいます。
 しかし、ソ連の脅威に目覚めて翻心したトルーマンはOSSを復活させることとし、国家安全保障法(The National Security Act)に基づきCIAを1947年に設立するのです。
 CIAは官庁横断的な諜報機関であったわけですが、それゆえこそ、(OSS時代同様、)国務省、国防省、及びFBIとの縄張り争いは避けられず、現在に至っています。
 ワイナーは、このCIAについて次のように言っています。
 
 (2)まるでダメなCIA
  ア 全般
 CIAが全く役に立たなかったというわけではない。
 イスラエルとアラブ諸国との間の1967年の6日戦争の帰趨について事前に的確にジョンソン(Lyndon B. Johnson)大統領に警告を発することができたことや、何と言っても1980年代にCIAの総力を挙げてソ連のスパイ網を破壊し、ソ連経済を毀損し、ソ連を不安定化した(その一端はコラム#261参照(太田))ことは特筆される。
 
 しかし、全体として見れば、CIAはまるでダメだった。
 失敗ばかりの秘密工作にカネとエネルギーを注ぎ、そのためスパイ機関としても役に立たなかった、と言ってよい(注2)。
 (注2)象徴的な滑稽譚を一つ挙げておく。1994年にグアテマラのCIAの責任者が駐グアテマラ米国大使のマカフェー(Marilyn McAfee)女史の「醜聞」をワシントンに報告し、この話が広汎に流布したことがある。CIAのお友達であるグアテマラの軍人達が大使の寝室にしかけた盗聴器で大使がレスビアン行為に耽っていることが分かったというのだ。ところが、大使は結婚しており、レスビアンではなく、単に愛犬を愛撫していただけだったことが判明してCIAは大恥をかいた。
  イ ソ連/ロシア
 まず、CIAの最大のターゲットであったソ連/ロシアについての業績を見てみよう。
 ソ連圏にCIA要員たるスパイや秘密工作員を送り込むことやソ連圏でスパイを確保することにCIAはほとんど成功しなかった。
 スパイを確保したと思っても、その多くは二重スパイで歪曲情報をCIAに提供した。
 また、ソ連はOSSにもCIAにも最初からスパイを確保していたというのに、CIAはソ連の政府や諜報機関でスパイを確保できたことはほとんどなかった。
 CIAの対諜報部局の長のエームス(Aldrich Ames)やFBIの高官のハンセン(Robert Hanssen)がソ連のスパイだった、というひどい事例まである。CIAがソ連圏に送り込んだりソ連圏で確保したりしたスパイは全部相手に知られていたわけだ。
 
 具体例を挙げよう。
 CIAは、設立後最初に要員をアルバニアに送り込んだがすぐに一掃されてしまい、今度はソ連とポーランドに要員をパラシュート降下させたが、全員消息不明となってしまった。
 また、ソ連圏内で確保したスパイはソ連人が1956年6月の時点で20人しかおらず、そのうち2人しかソ連政府や軍部関係者ではなかった。
 だから同年10月にハンガリー動乱が起こった時に、ハンガリー内にスパイは全くいなかったし、そもそもCIA本部にハンガリー語ができる者など一人もいなかった。だから、CIAはハンガリー動乱が起きることが全く予想できなかっただけでなく、どうして起こったかも分からず、ソ連が介入して鎮圧することも予想できなかった。
 碌にソ連から情報がとれないので、CIAは推測で対ソ情勢分析をすることが多かった。
 例えば1960年に、CIAはソ連がICBMを500基保有しているとしたが、実際には4基しか保有していなかった。
 こういう具合に、冷戦終焉まで、CIAはソ連の軍事力の質と量を過大評価し続けた。
 更に、レーガン政権が対ソ戦争をしかけるのではないかと本気で心配して、ソ連は1981年5月から2年間にわたって核戦争即応態勢をとったのだが、このこともCIAは全く察知できなかった。
 1988年12月時点で、CIAは、ゴルバチョフの改革政策にもかかわらず、ソ連の国防政策や国防態勢に変化はない、としたが、一週間も経たないうちにゴルバチョフはソ連軍の兵力を50万人削減すると発表した。
 1989年にベルリンの壁が崩壊した時、CIAのソ連担当部局の長のビアデン(Milt Bearden)は、CNNの報道を呆然と見ているだけであり、ホワイトハウスから、情報提供を求める電話がかかってきても逃げ回って電話に出なかった。
 当然CIAは、ソ連がいつ崩壊するかなど予想できなかった。
 極めつきは、ソ連崩壊を挟む1986年から1994年までの8年間、CIAのソ連/ロシア情報は、ソ連/ロシア内の二重スパイから提供される歪曲情報で汚染されきっていることにCIA上層部はうすうす気付いていたにもかかわらず、このようなCIAの恥を明らかにしたくなかったため、あえてこんな情報をホワイトハウスに提供し続けたことだ。
(続く)