太田述正コラム#1880(2007.7.26)
<CIAの実相(続)>(2008.1.23公開)
 (「CIAの実相」シリーズで用いた「エリント(電波情報)」には、「コミント(通信情報)」を含めたつもりですが、このほか、U-2や偵察衛星による写真情報も米国が卓越しており、これらを総称した「エリント等」といった言葉を用いるべきでした。)
1 始めに
 チャルマーズ・ジョンソン(Chalmers Johnson)(コラム#1141、1145、1148)によるワイナー(Tim Weiner)の本、Legacy of Ashes: The History of the CIA の書評が出たので、その中の目新しい部分をご紹介しましょう。
2 ジョンソンによるワイナーの指摘の紹介
 (1)全般的事項
 CIAには約17,000人の職員がおり、年間440億ドルから460億ドルと推定される米国の全諜報予算の相当部分を使っていると考えられている。
 1947年の国家安全保障法はCIAに5つの任務を与えた。最初の4つは公開資料とスパイによって諜報を集め、調整し、配布することに関わるものであり、5番目の任務は、「諜報に関連するところの、国家安全保障会議が時に応じて指示する国家安全保障に係る任務を遂行する」という漠然とした規定の仕方をされているが、これがCIAの秘密工作活動の根拠なのだ。
 1964年までにはCIAの秘密工作活動(clandestine service)に係る予算はCIAの全予算の90%を占めるようになった。
 ちなみに、盗聴と暗号を担当する国家安全保障庁を1952年につくったのは、朝鮮戦争の時にCIAが北朝鮮でスパイを確保することに完全に失敗した(後述)ことに衝撃を受けた当時のCIAの上層部だった。
 また、国防省はCIAのキューバのピッグス湾事件における大失態に呆れて自分の省に秘密工作活動を行うDIA(Defense Intelligence Agency)をつくった。
 
 (2)個別的事項
 1950年代初頭にCIAはポーランドの地下反ソ抵抗組織のために金の延べ棒、武器、双方向ラジオ、工作員をポーランドに空中投下した。
 しかし、実際には抵抗組織はソ連の工作員によって一掃されてしまっており、かつての抵抗組織のメンバーを二重スパイに仕立て、CIAからの贈り物を有り難くもらい受けたのだった。これらは換金され、その一部はイタリア共産党に提供された。
 中共の朝鮮戦争介入の後、CIAは212名の工作員を満州に投下したが、何日も経たないうちに101名が殺害され、残りの111名は捕まってしまったが、CIAはこのことを隠し抜いた。
 また、当時のCIAソウル支局長のハネイ(Albert R Haney)は陸軍大佐だったが、北朝鮮で確保したと思いこんでいた数百名のスパイはことごとく二重スパイであり、北朝鮮当局によってコントロールされていることに全く気付かなかった。
 しかし、ハネイが責任を追及されることはなかった。というのは、1952年11月に、負傷して北朝鮮に捕まっていた海兵隊員・・当時のCIA長官のダレス(Allen Dulles)の息子・・を米国に復員させることに携わったからだ。
 責任を追及するどころか、ダレスは、ハネイを重要な秘密工作の責任者に任命した。
 今度はハネイは見事にその任務をやってのけ、1954年にグアテマラのアルベンス(Jacobo Arbenz)大統領政権の転覆に成功した。同政権は民主的に成立したというのに、容共政権だとして米国のユナイテッド・フルーツ社の利権を守るために米国は同政権を転覆したのだ。その結果は、40年間にわたって続いたグアテマラ内戦であり、その過程で一般住民20万人が死亡することになる。
 こうやって米国はグアテマラ国民の反感をかったわけだが、このような、米国民にとってだけの「秘密」工作を重ねること・・総計で何百万人もの死者をもたらしたところの、南ベトナムとコンゴの大統領の殺害、及び、イラン(1953年)、インドネシア(3回)、韓国(2回)、東南アジアの全ての国、ラテンアメリカのほとんど全ての国、そしてレバノン、アフガニスタン、イラク)2004年)の政権の転覆・・によって、米国が全世界でどれだけの反感をかったか想像に難くない。
 ただし、先進国に対するカネの力による工作にはCIAは「成功」したと言えよう。
 CIAが最初にそれをやったのはイタリアに対してだった。
 当時、カネがなかったCIAはウォール街や金持ちのイタリア系米国人から密かにカネをかき集めて1948年の選挙の際、カトリック・アクション(Catholic Action)なるバチカンの政治フロントの政治家達や坊さん達にカネを注ぎ込み、キリスト教民主党に選挙を勝たせ、共産党抜きの内閣をつくらせることに成功した。
 それ以降もCIAはキリスト教民主党の政治家に与え続け、その額は総計で少なくとも5,500万ドルに達した。
 次にCIAは日本に対して同じようなことをやった。
 こうして先進諸国に対し、25年間CIAは選挙と政治家の買収を続けたのだ。
 CIAが先進国に対してやったカネの力による工作はもう一つある。
 西欧諸国及び英国に対する、ソ連の息のかかった新聞や本以外の出版物への支援だ。ねらいは学生やインテリの物の考え方に影響を与えることだった。
 このため、ドイツにおけるDer Monatや英国におけるEncounterといった文芸雑誌、(ソ連の社会主義リアリズムに対抗するため)抽象的表現主義芸術、250万以上に及ぶ本や季刊雑誌の出版販売、をCIAは秘密裏に資金援助した。
3 終わりに
 ジョンソンは、このようにCIAは機能していないのだから解体し、情報収集は国務省(の情報調査局=Bureau of Intelligence and Research =INR)に、秘密工作は国防省に委ねるべきだと主張します。 (以上、
http://www.atimes.com/atimes/Front_Page/IG26Aa01.html  
(7月26日アクセス)による。)
 しかし、スパイ機能を外交担当部局に持たせることは、外交をやりにくくさせますし、軍に秘密工作を全面的に委ねることも危険だと思います。
 結局、独立したスパイ担当機関と秘密工作機関を設けるのか、この二つの機能を併せ持つ機関を設けるのか、という選択となり、この二つの機能の相互補完性に鑑みれば、やはりこの二つの機能を併せ持つ機関を設けるのが正解、ということになりそうです。
 繰り返します。
 日本は一刻も早くこのような諜報機関を持つべきです。