太田述正コラム#2249(2007.12.21)
<NLPで役人を辞めた私(その2)>(2008.1.29公開)
3 アクションを起こした私
 既に9月29日付で鈴木三沢市長にもほぼ同趣旨の書簡を送ってあった私は、三沢市長が三沢の米海軍との断交を発表したこともあり、東北管内でNLP問題を抜本的に解決する案をつくろうと決意したのです。
 東北管内でそんな案があれば、全国的に探せばもっといい案がありうる、という話になるからです。
 まず目をつけたのはこの三沢市です。
 三沢基地周辺は市街地であり、この基地には滑走路が一本しかありませんでした。
 この一本の滑走路を米空軍(F-16)、米海軍(平素はP-3C)、航空自衛隊(F-1、F-2)と民航機が共用しているため、安全上問題なしとしないだけでなく、民航機の増便もままならない状況です。
 ここで更に空母艦載機のNLPが行われ、しかもそれが騒音をまき散らすのですから、三沢市がNLPに拒否反応を示すのは当たり前なのです。
 こういう状況下、三沢市からは、第二滑走路の建設要求が出されていました。
 私はこれを逆手にとって、市街地から離れた市東部の海沿いの過疎地(四川目地区)に米軍と自衛隊専用の第二滑走路をつくり、NLPもここで実施したらどうかと考えたのです。
 硫黄島の代替NLP基地として使うのではなく、NLPは全面的に三沢で実施させる、となると空母艦載機は厚木から三沢までNLPを実施する時には飛んでこなければならない。
 だから、空母艦載機の母基地を厚木から三沢に移す。
 そうなると、空母の母港である横須賀と艦載機母基地である三沢が離れすぎている。
 だから、空母の母港も横須賀から、三沢周辺に移すことが望ましい。
 この空母の母港として私が適当と思ったのが、むつ市の青函海峡に面した関根浜でした。
 日本の最初にして今のところ最後の原子力船の「むつ」の晩年の定係港となったのが関根浜であり、キティーホークの次に日本に配備される米空母は原子力空母になることが必至であったことから、横須賀で原子力空母配備反対運動が起きると見越し、NLP問題の抜本的解決もできることから、次期空母の母港として関根浜は好適だと考えたのです。
 そこで私は、まず、三沢の四川目地区にNLP用の滑走路をつくる案について、仙台施設局の事務方に検討をしてもらうことにしました。
 10月19日に局の上保建設部長に話をした上で、翌20日に上保建設部長と辰巳施設部長に作業をするよう正式に指示しました。また、その後で防衛施設本庁の林技術審議官(私の前任の仙台防衛施設局長)に電話をかけ、「三沢基地外に滑走路を設けるスタデイーを行っているので、他局ににデータ提供を求めたりしているが、話が本庁建設部に聞こえてきても、黙っていで欲しい」と伝えておきました。
 建設部の作業結果を頭に入れた上で、11月6日、鈴木三沢市長に面会(先方は市長以外は秘書課長のみ、当方は私以外は三沢事務所長のみ同席)し、四川目地区にNLP用の滑走路をつくる案について説明したところ、市長は、「一、三沢飛行場の海岸沿いへの移転は昔からの持論。だからこそ、移転跡地には植生程度を考えるべきだと言ってきた。滑走路はやや斜めにすべきだ。かっての帝国海軍の三沢基地の滑走路は斜めだった。二、そのような将来構想が明らかになった場合、新滑走路でNLP実施を受け入れるかどうかは、現段階では答えられない。三、ただし、米空軍が引き続き退いていく可能性があること、そのためにも海軍部隊受け入れの可能性を残しておくべきだとの局長の指摘は正しい。」と答えました。
 二は、カネ等を目当ての条件闘争をするからねという意味ですし、三は、米軍がいてくれることで三沢市は潤っているので、在日米軍が縮小されて三沢の米軍の規模も縮小されることは困っていたので増える話は歓迎だ、ということです。
 これはすこぶるつきに前向きの回答であったと言えるでしょう。
 同じ日に、三沢米海軍司令のハイ大佐、次いで三沢基地司令のアターバック准将に、太田私案を記した英文ペーパーを示して説明をしました。
 
 そして、東北地方と北海道を所管する米札幌総領事のメザーブ(W. Michael Meserve)がフォーリー米大使に随行して仙台を訪問すると聞き、その際、会いたいと申し入れ、了解を得た上で、太田私案をFAX送付しました。
 11月11日(土)の朝、メザーブの泊まっていたホテル仙台プラザに赴き、面談しました。
 メザーブは、「3~4回あなたのメモを読ませて貰った。まだ、コンセプトの段階だがコンプリヘンシブ・アプローチですね。それにしてもあなたは勇気がありますね。アターバック准将とはその後も何度か連絡を取り合っているが、とても自分には書けない労作をあなたが書いてくれたことに対し感謝の意を伝えてくれと言っていた。NLPの時、彼のところには、基地内に住む人々から何十件もの抗議が寄せられた。子供が眠れないじゃないか等と言ってね。このNLPの問題に取り組むのはフォーリー大使の残りの半年の任期の仕事として適切かも知れない。(ここだけの話だが、大使は、マンスフィールド大使のように無様な最後の日々を送りたくないと考えている。)やはり、横須賀では原子力空母の受け入れはむつかしいと思うか。呉も確かにまずい。ただ、青森についても、木村知事は、原子力のゴミ捨て場にしてもらっては困ると言っている。それに、大使館、在日米軍、外務省、防衛施設庁の関係は微妙であることから、(米側の考えがまとまったとしても、)誰が日本側の誰に話をするべきかは考えどころだ。第一、日本の政治状況がこんな有様ではね。第7艦隊司令官も、空母機動群司令官も替わったばかりだし、在日米軍司令官はどんなものですかね。・・<中略>・・米本土を母港としている空母の艦載機のNLPは砂漠地帯等の基地においてあっという間に終了するが、日本では異常に長くかかっている。三沢では38機で計画したところ、実際には5機でNLPをやって、あの騒ぎだ。・・<中略>・・海岸地帯への基地の移転が鈴木市長の持論だというのはその通りだろう。10日後に在日総領事会議が東京であるので、その時、太田私案のことを関係方面と話し合ってみる。その上で、感触をお伝えしよう。空母航空群司令とあなたが話をするのも意義があるのではないか。彼は、あえて分散してNLPを実施したところ、全国的な騒ぎになってしまい、頭を抱えている。彼自身も日本側の誰かと話をしたがっている。」と言っていました。
(続く)