太田述正コラム#13274(2023.1.30)
<大谷栄一『日蓮主義とはなんだったのか』を読む(その6)>(2023.4.27公開)
「・・・<高山>樗牛の日蓮研究にはどのような特徴があるのだろうか。
ここでは、樗牛による「国家と宗教」の捉えかたに注目したい。・・・
明治30年(1897)5月、『太陽』の編集主幹の樗牛は、すぐにみずからの日本主義<(注22)>のマニフェスト(宣言)というべき論考「日本主義を賛す」・・・を公表する。
(注22)「明治中期において明治政府の極端な欧化主義に対する反動として起こり、日本古来の伝統的な精神を重視しこれを国家・社会の基調としようとした国家主義思想である。三宅雪嶺や高山樗牛、井上哲次郎、井上円了らによって提唱された。
明治から第二次世界大戦敗戦における欧化主義・民主主義・社会主義に反対しながら、日本古来の伝統や国粋を擁護しようとした思想、運動である。思想的には一定の体系を成しておらず、その内容は論者によって相違するが、政治的には欧米協調主義への反対と国権・対外強硬策の強調を主張する。大正・昭和になると資本主義の高度化に伴って階級対立が激しくなり社会主義やマルクス主義が国内に流入するようになると、日本主義はこれらの思想に対抗するイデオロギーとして機能し、天皇を中心とする皇道や国体思想を強調させた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9
「この思想は・・・1897年設立の大日本協会の機関誌『日本主義』と雑誌『太陽』に発表された。・・・
<その後、>時期により変遷はあるが,血統的に一系の天皇をいただく日本の国家体制の〈優秀性と永久性〉を強調する国体論が,核心をなした点では変りがないといってよい。…」
https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9-110186
「「日本主義」が主張されたのは、圧倒的優位に立つ列強国との日常生活レベルにおける人的な交流・交通が西欧的な価値観、とりわけキリスト教の人生観・世界観を日本の民衆の間に浸透させ、それまでの習慣や振興などの精神生活を根底から揺さぶり、ついにはナショナル・アイデンティティーの崩壊をもたらすのではないか、という危機意識を煽り、それに応える形で展開された」(※)
https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwi00JLK3O78AhUaSWwGHSf3C5kQFnoECAYQAQ&url=https%3A%2F%2Ftwcu.repo.nii.ac.jp%2F%3Faction%3Drepository_uri%26item_id%3D25402%26file_id%3D22%26file_no%3D1%26nc_session%3D2je376l7ba5bip486o9m01jnn2&usg=AOvVaw25mBfyFe3sklgdiDhLAkSn
「日本主義とは何ぞや」と問うたうえで、「国民的特性に本(もとづ)ける自主独立の精神に拠りて、建国当初の抱負を発揮せむことを目的とする所の道徳的原理、即是なり」・・・と樗牛は定義し、・・・吾等は我日本主義によりて現今我邦に於ける一切の宗教を排撃するものなり。・・・<と>主張する。
ただし、世界中すべての民族に宗教を放棄せよと勧めるものではないという。・・・
さらに、「宗教と国家」(・・・8月)では、個人主義と人類同朋主義を中心とするキリスト教を批判し、「国家の前途に関して忠誠なる国民の有すべき信仰は国家主義あるのみ。日本主義あるのみ。あゝ国家主義なる哉。日本主義なるかな」・・・と断じている。・・・
<ところが、>「晩年の高山の内面においては、日ごとに超越的な物への志向が強くなっていった」と、長尾宗典<(注22)>は指摘する。・・・
(注22)1979年~。「筑波大学第一学群人文学類卒業。筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科歴史・人類学専攻単位取得退学。博士(文学)。」
https://www.hmv.co.jp/artist_%E9%95%B7%E5%B0%BE%E5%AE%97%E5%85%B8_000000000683656/biography/
「国立国会図書館司書を経て2018年4月より・・・城西国際大学・・・准教授<。>・・・明治・大正時代を中心に、日本の文化についての考え方がどのように形作られ、どういう経路で広まっていったのか。雑誌や図書館などにも注目しつつ研究してい<る。>」
https://www.jiu.ac.jp/graduate/human/faculty/detail/id=3494
樗牛と智学<は>いずれも「今日の所謂国家主義」を批判していた<ところ、>・・・智学には・・・宗教的ナショナリズム<も>・・・世俗的ナショナリズムもあった<けれど、樗牛は>・・・極端な超越志向性<に到達したのだ。>」(105~108、122)
⇒小日蓮主義は、廃仏毀釈とキリスト教への警戒感(※)が生み出した、と見てよいでしょうね。(太田)
(続く)