太田述正コラム#1992(2007.8.10)
<再びマハトマ・ガンジーについて>(2008.2.11公開)
1 始めに
 マハトマ・ガンジー(Mohandas Karamchand Gandhi。1869~1948年)を私が全く評価していないことは、以前から私のコラムを読んでこられた方々はご存じだと思います(コラム#26、176、1250、1251、1467、1898)。
 屋上屋を架すようですが、再びガンジーを採り上げることにしました。
2 ガンジーの暗殺者から見たガンジー
 1948年1月30日の夜、ガンジーはデリーで歩行中に銃殺されました。
 暗殺者はヒンズー教徒のゴッゼ(Nathuram Godse)という男でしたが、彼は逃げようとするどころか、大声で「警察」と呼ばわったといいます。
 裁判所でこの男は、ガンジーが、イスラム教徒に宥和的であったことと、自己の利益と軍事力が何よりも重要であるはずの政治の領域に宗教とか「精神の純粋性」とか個人的良心といった非合理的な代物を持ち込んだことを非難しました。
 実は、ゴッゼのこのような考え方は、当時のインド亜大陸の大方の人々の考え方でもあったのです(コラム#778参照)。
 (以上、特に断っていない限り
http://books.guardian.co.uk/departments/biography/story/0,,2114877,00.html
(6月30日アクセス)による。)
3 悪しき家庭人ガンジー
 
 (1)妻にとってのガンジー
 ガンジーは妻カスツルバ(Kasturba Gandhi。1869~1944年)とお互いに13歳の時に結婚しますが、1888年にはガンジーが英国に留学したため、既に生まれていた長男ハリラル(後述)とインドに取り残されます。
 (二人の間には、更に3人男の子ができる。)
 彼女は、1893年から南アフリカで弁護士業をやっていたガンジーに、今度は1897年に一方的に現地に呼び寄せられます。
 やがて二人はインドに戻るのですが、ガンジーは清貧を旨とするようになり、カスツルバもそれに右に倣えさせられます。
 1906年以降は、ガンジーは禁欲生活を彼女に強います。
 もっとも、ガンジーの回りにはいつも女性達がおり、彼女達と「全く肉体的接触なしに」同衾し風呂に入ることを修行と称する変わった禁欲生活をガンジーは送りました。
 ガンジーは、あの詩聖タゴール(Rabindranath Tagore)の姪と「精神的」婚姻生活を送ったりもします。
 このような境遇をじっと耐え忍ぶ人生をカスツルバは送ったわけです。
 (2)長男にとってのガンジー
 晩年のガンジーは、自分の人生において最も残念なことは、二人の人物を説得できなかったことだ、と述べたことがあります。
 この二人とは、敵となったかつての友人のジンナー(Mohammed Ali Jinnah。1876~1948年。パキスタン建国の父)とガンジーの長男のハリラル(Harilal Gandhi。1888~1948年)です。
 ハリラルは、小さい時に父親がいない母子家庭状態で育てられ、ガンジーと暮らすようになってからは、南アフリカで売れっ子の弁護士の子供としてはぶりの良い生活を送ったかと思ったら、インドに戻って今度はガンジーが勝手に始めた清貧にして禁欲的な生活を送らせられる羽目になる、という具合に2男以下とは全く違った可哀想な経験を重ねるのです。
 この間、ハリラルにとって特にショックだったのは、南ア時代に、奨学事業を始めたインド人篤志家からハリラルを英国留学させてあげようと言われたのを、ガンジーが、ハリラルよりも英国留学させるにふさわしい子供がほかにいるはずだ、と断ってしまったことです。
 ネポティズムを排するガンジーの主義主張のために、ハリラルは、父親に倣って英国に留学して弁護士になるという夢を絶たれてしまい、生涯ガンジーを恨み続けることになるのです。
 こうしてハリラルは、ガンジーが国産品奨励運動をやっているというのに、海外衣服の輸入業を行ったりしてガンジーに反抗するのですが、運も悪く、何の事業をやっても成功しません。
 父子関係は、ハリラルが、最初の妻を病死で失った後、ガンジーの禁欲主義に反して再婚したことで決定的に悪化します。
 結局ハリラルは酒と女と軽犯罪で身を持ち崩すことになります。
 ガンジーが暗殺された数ヶ月後、ハリラルは何とイスラム教に改宗し、名前をアブドラ(Abdullah)に変えます。
 そしてまもなく、行き倒れ状態でムンバイ(Mumbai)の路上で発見されたハリラルは、病院に運ばれ、医師から父親の名前を聞かれて「バプ(Bapu)」というガンジーの愛称を口にします。
 医師は、ガンジーは確かにインド建国の父だが、お前の実の父親は誰なのだと問い直したといいます。
 こうしてハリラルは生涯を閉じるのです。
 (以上、
http://www.guardian.co.uk/india/story/0,,2140440,00.html
(8月3日アクセス)、
http://www.guardian.co.uk/india/story/0,,2145946,00.html
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1609478,00.html?iid=chix-sphere(いずれも8月10日アクセス)による。)
4 終わりに
 偉い人物の家族は大変だけど、聖人の家族ともなると、大変なんてものではない、ということなのかもしれません。
 身につまされる方が読者の中にいらっしゃるかもしれませんね。
 なお、今年、Gandhi, My Fatherという、ガンジーとハリラルの関係を描いた映画(ヒンディー語版と英語版あり)が封切られ、また、ガンジーの4男の子供、つまりガンジーの孫のラジャモハン(Rajmohan Gandhi)の、悪しき家庭人ガンジーを描いた’Gandhi, My Father is out now. Gandhi: The Man, His People and the Empire’が出版されたことを付言しておきます。