太田述正コラム#1996(2007.8.13)
<スターリン主義とナチズム(その1)>(2008.2.14公開)
1 始めに
 カナダ出身で英LSEでPH.Dをとった米フロリダ州立大学歴史学教授のゲラテリィ(Robert Gellately)が上梓した’Lenin, Stalin and Hitler: The Age of Social Catastrophe’を手がかりに、スターリン主義とナチズムの比較と、レーニンとスターリン主義との関係を考察してみることにしましょう。
 (以下、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/08/09/AR2007080901981_pf.html  
http://www1.economist.com/books/PrinterFriendly.cfm?story_id=9616751
http://www.post-gazette.com/pg/07224/808310-148.stm
http://www.cleveland.com/entertainment/plaindealer/index.ssf?/base/entertainment-0/118682291554370.xml&coll=2
http://www.fsu.edu/~history/staff/gellately.html
(いずれも8月12日アクセス)による。)
2 スターリン主義とナチズム
 (1)始めに
 スターリン主義とナチズムが、(反ユダヤ主義と帝国主義という属性を共有する)双生児的全体主義であることを最初に指摘したのはハンナ・アーレント(Hannah Arendt。1906~75年)の『全体主義の起源(The Origins of Totalitarianism)』(1951年)でした。
 ゲラテリィも同様の考えであり、第一次世界大戦で欧州の秩序が破壊されたために、階級独裁とか人種の純化といった幻想を抱くレーニン・スターリン・ヒットラーといったあぶれ者が政治の世界にしゃしゃり出ることができたのであり、その結果空前の大殺戮が起こった、と指摘します。
 (2)スターリン主義とナチズム
 スターリン主義は、むき出しの恐怖(terror)だけを用いた独裁だったけれど、ナチズムは「コンセンサス独裁(consensus dictatorship)」であり、抑制された恐怖と利益供与を組み合わせた独裁だった、とゲラテリィは主張します。
 だから、スターリン主義は1932~33年に農業集団化で数百万人を殺し、1937年の大粛清(Great Terror)で再び数百万人の共産党員を殺したのに対し、ヒットラーはこのようなスターリン主義を軽侮の念で見ており、ナチズムは、ヒットラーが1933年に首相に選出され、1934年に国家元首になると、ほとんど殺害を止めてしまい、1930年代中頃にはドイツの強制収容所には数千人もの政治犯が収容されていたけれど、殺害された者は数百人にとどまり、第二次世界大戦が始まってからも、反対勢力の殺害は殆ど行われなかった、というのです。
 この両者の違いは、ボルシェビキは自分達が不人気であることを自覚していたのに対し、ナチスは自分達が人気があると思っており、反対勢力、とりわけ「身内」たるナチスや軍部内の反対勢力を殺害する必要性を感じていなかったことから来ているというのです。
 軍部について言えば、プロイセン出身者中心の士官達のナチスへの忠誠心は大変なものであり、軍部の中から、ヒットラー暗殺未遂事件等のナチス打倒の動きが出てくるのは、実にドイツの敗北が決定的になった1944年の夏になってからです。(さすがにそれ以降は必要に迫られてナチスは士官達の殺害を始めます。)
 これほど反対勢力の殺害には慎重だったナチスですが、ドイツの「人種的生き残り」をかけた第二次世界大戦を始めた後は、スラブ人やユダヤ人といった非ドイツ人の大量殺害を始めます(注1)。
 (注1)ヒットラーは、ユダヤ人はドイツに、第一次世界大戦における敗北という屈辱と戦後の経済恐慌という経済的苦境をもたらした上、そのユダヤ人がソ連(ボルシェビキ)を牛耳っていると主張し、ドイツの人々にそう思いこませることに成功していた。
 これをゲラテリィは、1917年の権力奪取の瞬間から、階級の敵、実態はボルシェビキの敵たる白軍の総攻撃に晒されたボルシェビキが、この闘争に勝利するまでの間、白軍やそのシンパの大量殺害を始めざるを得なかったことと対比させます(注2)。
 (注2)スターリン主義の特異性は、この闘争に勝利した後も、次いで階級の敵をボルシェビキの外(農業集団化に「反対」する富農)に求めてこれを大量殺害し、その次には階級の敵をボルシェビキの内に求めてこれを大量殺害する、という具合に大量殺害を続けたことだ。これが、スターリンの独裁を維持することに寄与したことは間違いないとしても、スターリンが、(ヒットラーがユダヤ人のホロコーストが本当に必要であるとパラノイア的に思いこんだように、)これらの「階級の敵」の大量殺害が本当に必要であるとパラノイア的に思いこんで行ったのか、それともそんな必要などないことを承知しながら独裁を維持するために資すると冷徹に計算して行ったのかが問題になる。しかし、ゲラテリィは、この点をはっきりさせてくれてはいないようだ。いずれにせよ、支那の毛沢東やカンボディアのポルポトは、スターリン主義にとって大量殺害は必要不可欠とばかりに大量殺害に勤しむことになる。(太田)
 スターリンがソ連の人々を何人殺害したかははっきりしておらず、1,000万人から2,000万人の間とされています。
 この数は、ヒットラーのせいで第二次世界大戦の欧州戦域で亡くなった4,000万人の半分にも達しない上、ヒットラーはこれ以外にユダヤ人だけで600万人を殺害しています。
 しかし、こういう風に分けて考えるのではなく、スターリン主義とナチズムは、相違点こそ数々あれど、20世紀の人的大惨禍に連帯責任を負っていると考えるべきである、とゲラテリィは結論づけるのです。
(続く)