太田述正コラム#2008(2007.8.18)
<インドと民主主義(その2)>(2008.2.20公開)
インドで民主主義が機能しているだなんてご冗談を、と言われそうなくらい、インドには暴力沙汰や紛争がつきものであることは事実です。
そもそも、インドとパキスタンが分離して独立した際にも、最低18万人、一節では100万人もの人々が命を失いましたし、1984年のインディラ・ガンジー(Indira Gandhi)首相暗殺に引き続くシーク教徒の叛乱、1992年と1993年の(インド金融・映画中枢)ムンバイでの都市暴動・・257人の死者が出た連続爆破事件の引き金にもなった・・や2002年のヒンズー過激派によるグジャラート州での大量殺戮事件が起こっています。
このほか、インド東北部での分離主義ゲリラとの消耗戦等、日本ではほとんど報道されない暴力沙汰や紛争だらけの国がインドなのです。
それでも、これらの暴力沙汰や紛争がどんどん拡大して収拾がつかなくなる、ということはないのであって、インドで民主主義がまがりなりにも機能していることもまた厳然たる事実です。
一体それはどうしてなのでしょうか。
オブザーバー紙の無署名書評子は、ヒンディー語の映画であるところのいわゆるボリウッド(Bollywood)映画 とクリケットの二つを挙げています。
ボリウッド映画は世界一の本数を誇っており、ヒンディー語以外のインド亜大陸の諸言語に吹き替えられ、インド国内だけでなく、インド亜大陸諸国、更には広く中近東や東南アジアで圧倒的な人気ですし、宗主国の英国が移植したクリケットは、集団スポーツとしてインドが秀でている唯一のものであって絶大な人気をインドで博しています。
書評子は、この二つこそ、そしてこの二つだけがインドの都市中産階級と人口の70%が住んでいる農村部の貧困層を結びつけていると指摘するのです。
(以上、
http://books.guardian.co.uk/reviews/history/0,,2146931,00.html
(8月12日アクセス)による。)
私はそうは思いません。
私は以前(コラム#1992で)、ガンジーを暗殺した男が、「ガンジーが、イスラム教徒に宥和的であったことと、自己の利益と軍事力が何よりも重要であるはずの政治の領域に宗教とか「精神の純粋性」とか個人的良心といった非合理的な代物を持ち込んだことを非難し」たこと、「このような考え方は、当時のインド亜大陸の大方の人々の考え方でもあった」と記したところです。
一体こんな現実主義的かつマキャベリスティックな政治観をインド亜大陸の人々はどうやって身につけたのでしょうか。
恐らく3,000年近く前に実際にあった王位をめぐる戦争を題材とし、2,000以上前に集大成されたと言われる世界最長の叙事詩マハーバラータ(Mahabharata)・・もともとはサンスクリットで語られ、記された・・にインド亜大陸の人々はみんな演劇等を通じて親しんでいるのですが、実は、マハーバラータの世界こそ、彼らの 現実主義的かつマキャベリスティックな政治観の源泉なのです(注3)。
(注3)ガンジーの非暴力主義(ahimsa)は、何10年も戦争が続き、偽計・裏切り・殺人が繰り返され、1800万人もの人々が戦死するマハーバラータの世界を熟知した上で、それを全面否定したものだ。
つまり、インド亜大陸の人々の大部分は、マハーバラータやラーマヤナ(Ramayana)の世界を共有している人々なのです。
更に言えば、彼らは、これらの叙事詩が語られ、記録された言語であるサンスクリット等を共有している人々でもあるのです。
すなわち、現在のインドの言語は無数に枝分かれしているけれど、マクロ的に見ると、(ヒンディー語とウルドゥー語の原語である)ヒンドゥスターニー語などの北インドの諸言語と南インドのドラヴィダ語族の二つに分かれているところ、サンスクリット、及びサンスクリットと同じ頃に流布していたプラークリットの2言語は、北インドの諸言語の原語であると同時に、ドラヴィダ語族には(ペルシャ語とアラビア語からの借用語の多い)北インドの諸言語よりはるかに大きく単語面で影響を与えているのです。
(以上、
http://books.guardian.co.uk/departments/generalfiction/story/0,,2150138,00.html
(8月17日アクセス)、及び
http://en.wikipedia.org/wiki/Mahabharata
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88
(8月18日アクセス)による。)
これに加えて、最南端部を除くインド、パキスタン、バングラデシュ、及びアフガニスタンははムガール帝国の版図であり、インド、パキスタン、バングラデシュは、英インド帝国領であった、という共通の近世史、近現代史を共有しています。
そして、以上のいずれにおいても、インドはその中核であり続けました。
このようにインドは、その多元性と多様性にもかかわらず、一民族からなる民族国家(nation state)としての側面をも有しているのです(
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,2148957,00.html
(8月15日アクセスから示唆を得た)。
だからこそ、インドで民主主義が一応機能しているのだ、と私は考えるに至っているのです。
(完)
インドと民主主義(その2)
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