太田述正コラム#2385(2008.2.25)
<皆さんとディスカッション(続x72)>
<遠江人>
 –縄文系の政治実権への指向–
>1925年の普通選挙権の付与によって、縄文人(の末裔達)が弥生人到来以後初めて法理論上日本の実権を回復したところ、爾後急速に縄文モードへの転換が 進み、日本の敗戦によって日本の縄文モード化が完成した、と考えると平仄がぴったり合うような気がするのですがいかがなものでしょうか。
 以上は太田述正コラム#2325(2008.1.27)からの抜粋ですが、これをヒントにして、縄文・弥生モードについて少しだけ妄想してみました。
 1925年の普通選挙権の付与によって縄文系に実権が移ることへの第一歩になったところ、それが具体的に実現する前に米英との戦争に突入してしまったことで、縄文モードへの転換は一時中断していたのではないでしょうか。そして縄文系への実権の移行は中断したまま敗戦に至ります。
 有名な話だと思いますが、敗戦後マッカーサーに対して日本国民から膨大な量のファンレターが寄せられるという世界史的に見ても、この時の日本以外では考えられないような出来事が起こりました。
ダグラス・マッカーサー MacArthur, Douglas
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/makkasa.htm
袖井林二郎「拝啓マッカーサー元帥様」 – 週刊日記
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/e11d161950e6edc79ed8bf36e73b9dd6
 これは、縄文系による本格的な実権掌握は戦争によって中断していたけれど、弥生系の政治権力が米国に敗れたことで今度こそ縄文系による政治を実現しなければならない、という思いから、このような手の平返しが起こったと考えれば一応辻褄があうかもしれません。
 そして日本は名目上独立して普通選挙も復活しますが、現実として待っていたのは、安全保障は米国に丸投げのうえ、政党は親米保守政党という名の米国の御用政党と、所詮保守政党(自民党)の補完的役割を演じているにすぎない社会党の二者択一でした。結局、縄文系による自主自立的な政治などできないのだ、ということに(もちろん縄文・弥生という思考ではないけれど)民衆は気付かされたのではないでしょうか。
 そして戦後の政治運動です。
 以下は2004年元旦に放送された朝まで生テレビ元旦スペシャルの中において、理念と現実主義という話の流れの中での、小林よしのり氏の発言(抜粋)の要約です。
 「60年安保とか70年安保とか学生運動をやりながら理念だけで戦った世代があるわけですよね。その人達が結局みんな失敗して挫折して、体制の中に入っていって何か変えようと考えた人もいるんでしょう。で、その時にある意味、反体制でやった人達を、後の人間達が馬鹿にしすぎてしまった。あのことに全く価値を認めず、結局は体制の思うがままであると、時の政府時の権力の思うままであると。我々がそれに反対しようと自分の考えを自主的に述べようと、それが何の意味があるんだと。結局、前の世代、歴史が証明しているじゃないかと、学生運動をやった世代は馬鹿なんだと、というような感覚になってしまっているわけ、 次の世代がね。で自分もそう思っていた時が実はあった。何やってるんだあの学生運動やってた連中は、というふうに思ってた時代が自分にもあった。けれど も、理念と現実主義の話をしていたときに、あの時はその理念で動いた若者達、実際に大衆運動になった若者達というのが、まぁマルクス主義とか共産主義とか に結びついてしまっていたから、後に結論が出てしまったけれど、特にソ連邦のようになりたいとか中国共産党のようになりたいとかいうふうには思ってなくて、何らかのまぁアメリカに対する反発や権力に対する漠然とした反発、そして自分達の理念、理想というものをどうやって実現できるか、ということで戦った 世代があった。で、そこを全部挫折したと捉えてしまって、次の世代からというのは、これはもう、まったく行動にも起こさないし、そもそも政治そのものに関心を持たなくなってしまった。どうせ小泉や時の政権がやるだろうと、どうせ自民党の思うがままになるんだろうと、どうせアメリカの思うがままになるんだろう、としかもう思っていない。この状況を自分はかなり危ういと思っている。」
 以下で実際に動画を見ることができます。できれば見てください。
HooSoo.tv あなたが放送局 > ビデオ
http://www.hoosoo.tv/Default.aspx?tabid=58&v=03-647c794d-a822-473b-9bda-8415a6144b52
 これを縄文・弥生モードという観点から考えるとどうなるでしょう。
 共産主義は思想としては問題がありすぎますが、一応は大衆のための政治思想だとすれば、縄文系の深層心理と重なる部分があったのかもしれません。とにか く武力行使も含めて「革命」を目指したのはいいけれど、結局散々に叩き潰されて、ここに至って、現実的な手段にしろ思想的な啓蒙(布教?)にしろ社会を変えることはできないのだと完全に諦めてしまったのではないでしょうか。そしてどうせ変わらないのなら面倒なことは一切考えなくてもいい政治体制=米国の属国=縄文モードの世の中でいいじゃないかということになった?とすれば、これまた辻褄が合うかもしれません。
 その挫折から数十年、ようやく非自民系の政党が選挙によって実権を握ろうとしています。選挙という至極まっとうな手段で実権を手に入れたからには、縄文系もいよいよ真面目に政治(縄文系主体による弥生的な政治の実現)に取り組んでくれると信じたいところですが、どうでしょうか。
 以上、妄想ですが、縄文・弥生モードというお題を与えられて、それについていろいろと考えてみるのは楽しいですね。
<太田>
 縄文・弥生モードという発想が、遠江人さんだけでなく、様々な皆さんによって発展させられていくことを期待しています。
 さて、この発想の元祖だとはいえ、私に特段の権威があるわけではありませんが、若干のコメントをさせてください。
 
>1925年の普通選挙権の付与によって縄文系に実権が移ることへの第一歩になったところ、それが具体的に実現する前に米英との戦争に突入してしまったことで、縄文モードへの転換は一時中断していたのではないでしょうか。そして縄文系への実権の移行は中断したまま敗戦に至ります。
 むしろ、普選によって縄文系に実権が移り、そのために軍事合理性抜きの支那(満州を含む)へのなし崩し的進出が続けられた、それを弥生系のエリート達は慨嘆して見ていた、と考えるべきではないでしょうか。
 また、先の大戦が始まる頃には縄文モード化・・私の言うところの日本型政治経済体制化・・が完成していた、と私は考えています。
>敗戦後マッカーサーに対して日本国民から膨大な量のファンレターが寄せられるという世界史的に見ても、この時の日本以外では考えられないような出来事が起こりました。
 大昔の弥生人が渡来した時の縄文人の姿勢・・あくまで想像ですが・・を彷彿とさせます。
 そして、弥生人同様、占領軍が縄文人にさしてひどいことをしなかったことで、縄文人は自分達の世界観の「正しさ」を確信するに至るわけです。
>そして日本は名目上独立して普通選挙も復活します
 「そして日本は名目上独立して縄文人は占領軍から実権を返還されます」でしょう。
>共産主義は思想としては問題がありすぎますが、一応は大衆のための政治思想だとすれば、縄文系の深層心理と重なる部分があったのかもしれません。
 話は逆であり、共産主義は私の言うところの欧州文明の嫡出子であって、自然も社会もエリートによる変革が可能であると見る点で弥生人、すなわち日本のエリートの「深層心理と重なる部分があった」と考えるべきでしょう。
 「60年安保とか70年安保とか学生運動」が縄文人たる大衆の共感を呼ばず、浮き上がった存在に終始したのはそのためだと考えます。
 しかし、これらの学生運動を担った若者達は、弥生的要素抜きの縄文日本の行く手に待ち構える閉塞状況、そして没落を直感的に予見しており、この危機意識が彼らを駆り立てた、と見ることもあながち不可能ではないでしょう。
 そういう意味では、小林よしのり氏の指摘は正しい、と思います。
<大阪の川にゃ>
1、せっかく太田さんの映像を見る事ができるのに、日本テレビはYOU-TUBEに削除をさせたようです。残念。
 
2、大阪の朝日放送・読売テレビは、太っ腹です。僕の知る限り両局は政治・歴史問題の映像を削除させません。偉い。
3、系列は同じでもテレ朝は、例の郵政解散投票後の朝生での菅直人先生の発言を削除させましたね。菅先生「国民は郵政民営化に賛成した。まさに一億総白痴。」
<少年正義言論の祭典>
 太田さん、いつも専門的な記事で勉強させてもらっております。
 今回の事故が報道されてから太田さんの見解を待っておりました。
 コラム#2380を早速読ませていただき、やはりというか、冷静でおられると申しますか、一般的な見解で残念に思いました。
 僕は素人ながら、あたごが意図的に清徳丸にぶつけたのではないかと思っています。
<太田>
 せめてそう思いたい、というお気持ちは分からないでもありません。
 大昔は、海戦は、敵の船にぶつけて沈没させる、さもなくば乗り移って敵と切り結ぶというのが当たり前でしたし、後の米大統領ジョン・F・ケネディ中尉が率いる魚雷艇、PT-109が1943年、ソロモン諸島の近くのニュージョージアの西を哨戒していた時に、帝国海軍の駆逐艦「天霧」との偶発的な接触事故によって船体を引き裂かれて沈没し、同中尉は九死に一生を得た(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%9C%A7_(%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6)
)という話は有名ですよね。
 しかし、犯罪には動機が必要ですが、動機を思いつきます?
 また、仮に犯罪であれば、あれだけ多数の人間が関与している以上、事前の共謀がなかったとすれば、既に誰かがちくっていても不思議はないのでは?
<Yoshu>
 残念ながら、私は、太田さんご出演予定のフジテレビの番組を見逃してしまいました。(シンドラーのリスト観てたので。)でも、コラム#2380を読む限り、今の時点では一番、これからの防衛省のあり方や日本の安全保障などを冷静に分析されてるので、さすがだと思ってます。 
 この頃は、コラムと関連コラム読んだりするだけで、精いっぱいです。少しでも、よく理解できるように頑張りたいです。
<太田>
 自分自身見逃しているのでは話になりませんが、どなたか見ていた人いないのかなあ。
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太田述正コラム#2386(2008.2.25)
<ビザンツ帝国(その3)>
→非公開