太田述正コラム#2026(2007.8.27)
<ホロコーストの真相>(2008.2.27公開)
1 始めに
300万人も先の大戦後に不慮の死を遂げる羽目になったドイツ人が、戦時中に犯した最大の罪がユダヤ人大量虐殺、いわゆるホロコーストです。
両親をホロコーストで失った老ユダヤ人歴史学者の手でホロコーストに関する決定版とも言うべき本が今年出版されました。
フリードレンダー(Saul Friedlander。aにウムラウトがつく。1932年~)による’THE YEARS OF EXTERMINATION–Nazi Germany and the Jews, 1939-1945’です。
例によってその概要をご紹介しましょう。
(以下、特に断っていない限り
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/05/11/AR2007051101768_pf.html
(5月13日アクセス)、及び
http://www.nytimes.com/2007/06/24/books/review/Evans-t.html?ex=1340337600en=dc8de847d86facc7ei=5088partner=rssnytemc=rss&pagewanted=print、
http://www.msnbc.msn.com/id/18083304/site/newsweek/page/0/、
http://www.jpost.com/servlet/Satellite?cid=1186557464098&pagename=JPost%2FJPArticle%2FPrinter、
http://www.latimes.com/features/books/cl-ca-friedlander15jul15,0,491398,print.story?coll=la-books-headlines
(いずれも8月27日アクセス)による。)
2 ホロコーストの真相
(1)ホロコーストの責任
ア ヒットラーに一義的な責任がある
ホロコーストの責任は一義的にはヒットラーにある。
米国の参戦こそ、ヒットラーがユダヤ人の全面的東方追放、そして最終的には全面的殺戮(ホロコースト)に踏み切るきっかけとなった
そもそもヒットラーは、ローズベルトの次第にエスカレートする対独活動をユダヤ人の仕業と考えていた。
そして、1941年12月に米国が参戦した時、ヒットラーは、彼が1939年に行ったところの、ユダヤ人が世界を戦争に巻き込んだら報復するという約束を果たさなければならなくなった。
ヒットラーは、少なくとも一度はSSの司令官であるヒムラー(Heinrich Himmler)と会って、死の収容所等で殺戮されたユダヤ人の数を整理した表に見入ったことがあるが、このことからも、ヒットラーがホロコーストの進捗状況に強い関心を持っていたことが分かる。
ヒットラーは1943年2月のスターリングラード包囲戦での敗北も、当然ユダヤ人のせいだと考え、「現代の人類は、ユダヤ人を絶滅(eliminate)させる以外に方法はない」と語っている。
ヒットラーは1943年7~8月のハンブルグへの英空軍による大空襲もユダヤ人の企みだと抜かす始末だった。
実際には、占領下にあった欧州以外にいたユダヤ人達が英米にアウシュビッツとそこへの鉄道の経路を爆撃するよう働きかけたにもかかわらず、それが実現しなかったくらい、ユダヤ人には影響力などなかったというのに・・。
イ ナチス指導部はもちろん連帯責任を負っている
ナチス指導部、特にSSの指導部は当然、このヒットラーの妄想について、連帯責任を負っている。
戦況が不利に傾いた時期になっても、ナチスはドイツ人とポーランド等におけるドイツ協力者達の結束を図るためには反ユダヤ主義が唯一の効果的イデオロギーであることを知悉していた。
だから、戦争末期にかえってユダヤ人殺戮のペースが上がったのは、一見常識に反するが、決して驚くべきことではない。
そして、敗戦直前には、彼らは証拠隠滅を図ろうとした。
ウ 当時のドイツ人全体も責任も免れない。
ユダヤ人を欧州から、そして究極的には世界から駆逐しようというのは、ドイツ人だけが生み出したドイツ人固有のイデオロギーだ。
彼らは、ユダヤ人の大量殺戮が行われていることを知っていたし、決して脅かされてユダヤ人迫害に協力したわけでもない。
いずれにせよ、当時のドイツ人をナチスとドイツ人に分けることなどナンセンスだ。
エ ナチスドイツ占領地区の当時の住民全体も責任がないとは言えない
ナチスドイツが占領したオランダ・フランス・ポーランド・ウクライナ等の住民の大部分は、ホロコーストに手を貸すか傍観したのであって、ユダヤ人にほとんど同情を寄せなかった。
占領された大部分の国の官憲は、ユダヤ人狩りに喜んで従事した。
ポーランド・ルーマニア・クロアチアでは、国(地域)を挙げてユダヤ人狩りに狂奔した。
ただし、ブルガリアとスロバキアでは、民衆のユダヤ人殺戮への怒りにより両国政府がユダヤ人殺戮への協力方針を撤回している。
また、いくつかの国のカトリック教会の指導者達がユダヤ人殺戮に異議を唱えたし、神父で危険を冒して個人的にユダヤ人を助けた人達もいた。しかし、カトリックに改宗したユダヤ人だけは守ったものの、全般的にはナチスを懼れて、何もしない神父達が多かった。
それどころか、クロアチア等では、神父達は積極的にユダヤ人狩りに手を貸した(注1)。
(注1)1941年、既にユダヤ人大量殺戮のニュースが広く伝わってきていたというのに、時の法王ピオ(Pius)12世は、ワグナーの楽劇の抜粋公演を行って欲しいとベルリン歌劇団をバチカンに招待する電報を打っている。
(2)ホロコーストへの軌跡
ユダヤ人をドイツ及び欧州から駆逐しようというイデオロギーをナチス指導部と多くのドイツ人が抱いていたことは事実だが、一直線にホロコーストに至ったのではなく、それは、軍事的・政治的・経済的制約と機会という文脈の中で、ゲットーに閉じこめる→追放する→地域的殺戮→全体的殺戮(注2)、と「進化」する軌跡をたどった。
(注2)ホロコースト否定論者は、この本で引用されている無数の一次資料に直接あたるべきだ。例えば、アウシュビッツで、ユダヤ人のガス殺戮死体の後始末作業に従事させられ、その事実を詳細に書き残し、自らも殺戮されたユダヤ人の日記など。(太田)
(3)ドイツ人の精神的堕落
ユダヤ人を悪の根源、かつ最大の敵とするナチスの宣伝は、予期した以上の効果を発揮し、当時の大方のドイツ人は、ユダヤ人を嫌悪し、殺戮しようと思うに至った。
このような精神的堕落が、早くもポーランド侵攻の際、SSをして、本来悪でも敵でもない3,000人の精神障害者達を、病院から駆逐して病院を兵舎として使うために殺戮せしめた。
ソ連兵捕虜の百万単位での殺戮、ポーランドの知識人の計画的殺戮、約20万人の精神障害者ないし身体障害者たるドイツ人の殺害、欧州のジプシーの多くの殺戮、等は、このドイツ人の精神的堕落の論理的帰結だった。
3 終わりに
独裁者とその一派の吹き込んだイデオロギーにかぶれ、犯罪的指示にも喜々として従って行動する国民、これが当時のドイツの醜悪な姿です。
これは先の大戦時の日本の姿とは対蹠的です。
なぜなら、当時の日本の姿はよかれ悪しかれ、イデオロギーなどあってなきがごとしであって、ひたすら民意に忠実に軍部を含むところの政府が行動する、というものだったからです。
ホロコーストの真相
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#2026ホロコーストの真相を読んでから、ホロコーストシリーズを読みました。今まで知らなかったホロコーストに対することを発見できて、驚いてます。“シンドラーのリスト”“ソフィーの選択”“ブリキの太鼓”など、ホロコーストやナチスドイツ時代が背景になった映画を観たり、原作を読んだりしているので、とても参考になりました。一民族をこの世から、抹殺するという考えに恐怖を感じました。