太田述正コラム#2028(2007.8.28)
<スペインの異端審問(その2)>(2008.2.28公開)
 また、トレドのカランザ(Carranza)大司教がヴァルデス(Fernando Valdes)審問長官の手によって没落せしめられたのは、カランザの大司教任命に対するヴァルデスの嫉妬心による。そこには、ドミニコ会の神学者カノ(Melchor Cano)のカランザに対する敵意もからんでいた。
 嫉妬に駆られた男女、感情を害した姻戚、隣人を羨んだ隣人、とあらゆる人々が讒訴した。例えば、ある審問官の給仕に自分の子供のオモチャを奪われた庭師がこの給仕に抗議したところ、9ヶ月も牢屋で鎖につながれる羽目になった。
 スペインの異端審問の対象はどんどん拡大され、(カトリック教国ではなくなった)イギリスの水夫達まで船から引きずり下ろされて拷問されたりした。
 しかし異端審問では、北欧州で猛威を振るった魔女狩りはほとんど行われなかった。そんな余裕などなかった、というのが本当のところだ。
 
 異端審問においては、処刑以外に、様々な罰則が科された。
 「犯人」は罰金を科されたり、流刑になったり、ガレー船の漕ぎ手にさせられたりした。とっておきの刑は、リラックス刑と称したところの、杭につないでの焚刑だった。ただし、犠牲者が悔い改めた場合は先に絞め殺してもらえた。
 とりわけ異端審問を悪名高いものにしたのは、水責めや重りを膝につけて天井からつるして上げたり落としたりして脱臼させる拷問だった。
 異端審問の費用は、「異端」者から没収した財産を売却することで賄われた。そのため、金持ちが狙いうちされて容疑をでっちあげられた。色好みの係官達は、魅力的な女性の夫や息子の容疑をでっちあげ、無罪放免させてやる見返りに彼女達の体を提供させた。
 異端審問は、スペイン帝国中に恐怖感を植え付けることが目的であったと考えることもできる。
 これにより、王室以下の支配者達に対して経済的または政治的な対抗勢力が出てきそうになったら、いつでもこれら勢力を「悪」と決め付け、「善」による「悪」に対する戦いを発動できるようになったのだ。
 大衆もこの「異端」迫害の共犯者となった。
 「異端」の噂話を訴え出ることが奨励され、スペイン帝国は密告者のネットワークが張り巡らされた密告社会となった。友人同士、恋人同士、夫婦同士、親子同士等が生存本能に基づき、互いに密告し合ったのだ。
 法王庁がにらみをきかしていたイタリアでは異端審問も抑制されたものとなった。このため、16世紀にイタリア半島で異端審問で死んだ人の数は、イギリスの、カトリック信徒たるメアリー(Mary Tudor)女王の5年間の統治期間中に粛清されたプロテスタントの数より少なかった。イタリア半島では拷問だって控えめだった。スペインとポルトガルはユダヤ人を15世紀末に追放したが、法王庁は、彼らが法王領に移住することを認めている。
 スペインの異端審問は、近現代の欧米に大きな影響を与えることになる。
 異端審問は、市民の私的生活への官僚機構の全面的介入をもたらしたが、これは近代的全体主義国家の前兆と言える。
 また、異端審問における「血の純潔性(purity of blood)」への執着と憎悪・破壊・殺人への衝動はファシズムの前兆だ。
 更に言えば、スペインのフランコ独裁体制やポルトガルのサラザール独裁体制は異端審問体制の復活とも言えるし、米国の1950年代におけるマッカーシー(McCarthyite)旋風は、異端審問の「内なる敵(enemy within)」幻想の写し絵とも言えるのだ。
3 終わりに
 グリーンが異端審問が近現代の欧米に与えた影響を論じる中に、欧州と米国は登場してもイギリス(英国)は登場しません。
 米国「文明」はアングロサクソン文明を主、欧州文明を従とするキメラであるとする私の主張は、ここでも裏付けらている趣があります。
 なお、グリーンはちょっとカトリシズムに甘過ぎるのではないでしょうか。
 私は、スターリン主義とマルクス主義が切り離せないように、スペインの異端審問体制とカトリシズムも切り離せないと思うのです。
(完)