太田述正コラム#2032(2007.8.30)
<イスラム教と民主主義>(2008.3.1公開)
1 始めに
 イスラム教と民主主義は互いに相容れないのかそれとも両立するのかをめぐる、最近の議論をご紹介しましょう。
2 「良識派」イスラム教徒やイスラム教学者の見解
 イスラム教は神の意思への服従を要求するのに対し、民主主義は人々の意思への服従を要求するので、両者は互いに相容れないとする見解は間違いだ。
 預言者ムハンマドは、アラビア半島に初めてまともな国家をつくりあげたが、その時メディナ憲章を公布し、その中に「ムハンマドと・・<メディナの>ユダヤ人は一つの国民である」という一節があることから分かるように、社会的関係は宗教的信条ではなく、平等と正義に立脚すべきものと考えられていた。
 実際、ムハンマドの締結した最も重要な休戦協定であるところの、ムハンマド達とメッカの最強力な部族であるクライシュ(Quraish)族との間のホディビアー(Hodibiah)協定は、「誰でも、ムハンマド連盟かクライシュ連盟のどちらにでも自由に加盟できる」としている。これを受けて、ナグラン(Nagran)のキリスト教徒とか、ファドク(Fadk)のユダヤ人とかホザ(Khoza)の異教徒達はムハンマド連盟に加盟しイスラム国家の一部を構成した。
 そして、ムハンマド連盟は、クライシュ族の攻撃からホザの異教徒達を守るため、この異教徒達をメッカに招じ入れたのだ。
 つまり、ムハンマドは宗教指導者が統治する宗教的国家をつくろうとしたのではなく、構成員が権利と義務において平等な民主主義的な世俗国家をつくろうとしたのだ。
 コーランを見よ。
 「宗教において強制があってはならない」、「お前は彼らのことに干渉するような一人であってはならない」、「われわれはお前を彼らに代わって彼らのことを取り仕切るために送り込んだのではない」、「真実は神に由来する。神に誰が信じ、誰が信じないかを決めていただこうではないか」等々。
 (シリアの国会議員にしてダマスカスのイスラム研究センター所長のハバシュ(Muhammad Habash)の言)
 (以上、
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2007/08/24/2003375637
(8月25日アクセス)による。)
 
 イスラム教徒を対象とした最近の世論調査によれば、彼らの大部分は民主主義が最良の政治システムであると考えている。と同時に彼らはイスラム法であるところのシャリアの重要性も承知している。
 非イスラム教徒に誤解があるのだが、シャリアは決して欧米的な法なのではなく、個人的・社会的選択を行う際にイスラム教徒を導く道徳的原則と規範に他ならないのだ。
 (ハーバード大学イスラム学教授のセサーリ(Jocelyne Cesari)の言)
 1920年代中頃にエジプトのアルラジク(Ali Abd al-Raziq)が『イスラムと政府の起源(Islam and the Roots of Government)』という本の中で、ムハンマドは一つの宗教を創始したのであって国家を創始したわけではないのだから、今日において宗教が国家構造を決定するようなことがあってはならないと主張した。
 この本はイスラム世界の各方面から厳しく批判されてきたが、今でもカイロの本屋で買うことができるところを見ると、引き続き読まれていることが分かる。
 英国の最も保守的なイスラム教徒の理論家達にイスラム教的統治とはいかなるものであるべきかと問うと、社会的正義・信頼できる法的システム・個人的自由・平等・民衆の統治への参画・責任ある対応をする統治者、等々を挙げる。
 更に問いつめると、北欧州の福祉国家群はイスラム世界におけるいかなる国より「イスラム的」であるとさえ答える。
 (ダマスカスのデンマーク・インスティチュート所長のニールセン(Jorgen S. Nielsen)の言)
3 本当のところは?
 良識派イスラム教徒の言っていることは必ずしも正しくない。
 コーランはメッカ時代(初期)とメディナ時代(後期)の二つのコーランが合体したものだ。
 この二つのコーランには矛盾がある。
 「君は君の宗教を、そして私は私の宗教を」(109:6)と「われわれは非イスラム教徒(kafir)の心中に恐怖を投げ込むだろう。彼らのクビをたたき落とせ」(8:12)とは全く違う。
 われわれの論理だと、どちらか一方だけが正しい、ということにならざるをえない。
 しかし、イスラム教は二元的論理で成り立っており、どちらも正しいのだ。
 メッカ時代には単なる宗教であったイスラム教が、メディナ時代以降は政治性を帯び、聖戦の遂行を通じて、史上初めてアラブ人居住地域の全体を統一的に支配することになり、次いで世界に広がっていったわけだが、これが可能となったのは、イスラム教が政治と一体化したからこそなのだ。
 メディナ以降のイスラム教においては、全世界がイスラム教徒の世界と非イスラム教徒の世界に画然と分けられている。
 実際、あらゆる人間は「政治と一体となったイスラム教(political Islam)」に従わなければならない、という命題以外の人間に係る普遍的命題はメディナ時代のコーランには登場しないのだ。
 このメディナ時代以降のイスラム教においては、二種類の倫理があり、一つの倫理はイスラム教徒用、もう一つの倫理は非イスラム教徒用なのだ。
 例えばイスラム教徒は、イスラム教徒に危害を加えてはならないけれど、非イスラム教徒に対しては、イスラム教のためであれば盗み、殺し、だますことが許される。
 この「政治と一体となったイスラム教」の実相が白日の下に晒されるのを妨げるベールとなっているのがメッカ時代のコーランの諸篇なのだ
 (米国の「政治と一体となったイスラム教」研究センター所(Center for the Study of Political Islam)長のワーナー(Bill Warner)の言)
 (以上、
http://www.csmonitor.com/2007/0830/p09s01-coop.htm  
(8月30日アクセス)による。)
3 感想
 私見では、どうごまかしてみても、宗政分離を前提とする民主主義とイスラム教は互いに相容れないということなのです。
 つまり、メディナ時代のコーランを捨て去り、メッカ時代のコーランだけに立脚した新しいイスラム教へと脱皮するか、イスラム教を捨て去る以外に、イスラム教徒が多数を占める国々において、民主主義への展望は開けそうもないということです。